2番
自分に何ができるのだろう
そう何度も考えてみた
ずっと眠れぬまま働く
彼らにどう感謝をしようか
2番冒頭では再び、あまりに無力な自分自身に対してスポットライトが向けられます。
医療従事者はじめ多くの人が、自分の身を危険にさらしながらも寝る間を惜しんで働いているというのに自分は何をすればいいんだろう。一体彼らにどう感謝すればいいのだろう。
何かしてあげたいのに何もできない、やるせない感情が私たちを襲います。
「自分に何ができるのだろう そう何度も考えてみた」は斎藤アナ・市來アナのユニゾン。考えすぎなどではなく、確かな事実として歌詞を突きつけられているような印象を受けます。
そうさ 人間は捨てたもんじゃない
会ったことない誰かのため 支え合って
すべてを乗り越えられる強さを持ち
未来に続く希望を信じてる
それでも人間は捨てたもんじゃない。
希望を唄った「世界中の隣人よ」では、たとえ何もできずとも、人間の持つ無限の可能性が描かれています。
これまでだって、全く見ず知らずの誰かが支え合ってあらゆる困難を乗り越えてきた人類。
たとえ家から出られずとも、大切な誰かを想う気持ちはきっと誰かを支えているはず。想いはどこかできっと通じ合っているはずなのです。
未来に希望は続いていく。
根拠はなくとも、必ず人間はこの困難を乗り越えていけるのだという確信がそこにはあります。
サビ2
隣人よ 微笑んで
私と一緒に歌ってください
壁の向こう側に
この声は聴こえていますか?
お互いに一人じゃないと
わかって・・・
「壁の向こう側にこの声は聞こえていますか?」
多くの人が自宅待機を余儀なくされている以上、苦しんでいる人、誰かの幸せを願っている人の間には何枚もの壁があります。現実を見れば、きっとそれぞれの声が届くことはありません。
しかしここで言いたいのは、誰もが他の誰かのことを想っているのだという事実です。
どんなに孤独を感じている人であっても、人間である限り一人ではない。壁の向こう側で、誰かがあなたを想って歌っていることに気付いてほしい。
誰かが誰かを想い歌い続ける限り人間は孤独ではない。悲しみだって分け合えるはずだ。そんな「Sing Out!」で歌われていたことと全く同じことが、ここでも描かれているのです。
ラストサビ
隣人よ 夜が明けて
世界を照らすまで部屋にいましょう隣人よ そこにいて
あなたの想いは伝わっているから
手を握らなくても
その愛は分かち合えるよ
大切な誰かと今を生きよう
きっとあなたの想いは伝わっているから、今は部屋にいよう。
「何も心配することなく、夜が明けるまでは安静にしていよう」とここで呼びかけられます。
きっとこの想いが誰かを支えているはず。きっと自分が苦しくなった時も、他の誰かが自分を想う気持ちが自分を支えてくれるはずです。
お互いにお互いを想い合えば、きっと世界は一つになれるはずだという乃木坂の遥かな願い。
理想論ではありますが、きっとそこには素敵な世界が広がっているはずです。
感想
目には見えなくたって、確かに人間が持つ支え合う力を信じよう。
言葉を交わしていなくても、心が勝手に共鳴しているはず。
ここにいない誰かのために、風に乗って飛んでいけ愛の歌。
そんな乃木坂の楽曲で脈々と歌われ続けてきた【隣人愛】は、きっと今も誰かを支えているはずです。
【乃木坂46/世界中の隣人よ】
歌詞の意味の解釈でした!
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