フルアルバム「深層から」のリード曲。
【Sou(ソウ)】の「ノイド」について
MVと歌詞の意味を徹底的に
考察および解説していきたいと思います。
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楽曲の基本情報
今回紹介する「ノイド」は、Souの第2弾フルアルバム「深層から」のリード曲です。
- Souが作曲
- RUCCAとSouが作詞
- MVは、MONO-Devoidとsakiyamaの共作
という、なんとも豪華な構成になっています。
楽曲のクオリティの高さにも納得。
MVでは、
AIが発達する中で人間の人口が減少した世界
が舞台として設けられており、
人間の命の美学と儚さを巡って、
機械と敵対する主人公の物語
がストーリーとして描かれています。
まさに、近代的な問題に迫っているのです。
さっそく楽曲考察に移っていきましょう。
楽曲名「ノイド」とは
楽曲名「ノイド」を深堀りするためには、まず『接尾辞~ロイド』を把握しておく必要があります。
これは
-oid (like, resembling)
~のような、~に似た
という意味を持つ接尾辞で
様々な単語の語尾につくことで
- アルカロイド
- アンドロイド
- ヒューマノイド
などの言葉を生み出しています。
ちなみに
-oidが-noid(ノイド)になるタイミングは、
先ほど例の1つとして挙げた
「ヒューマノイド」
という言葉を用いる際です。
つまり、本楽曲における
「ノイド」は、「ヒューマノイド」という言葉から切り取られており、同じ意味を持つと考えて良いでしょう。
そして、ヒューマノイドとは
形容詞としては、
「人間そっくりの」「人間によく似た」
という意味で、名詞としては、
「人間に似た生物」「人型ロボット」
などを指します。
楽曲の基本情報で述べた
MVの世界観と絶妙にマッチ
してきますね。
この楽曲名が歌詞の内容と
どう関与しているのでしょうか。
本題の歌詞を追っていきましょう。
歌詞
-ワレラヲモウユエニワレラアリ-
ロボットたちが宣いました
片や当の人類なんてさ
脳に苔生やしています見限られた旧歓楽街
思考回路L∞Pしているのは
前時代のガラクタなんてさ
もう此処では必要ないんでしょアシッドジャズの雨
降りしきる午前2時のアスファルト
躰と魂 拒絶反応バグだらけ
「ア…ニマルのまま 滅んでいれば…」
この手の柵も煩悩も
奴等には解らないんだろうジーザスとスーサイド
僕等 今日も縋って 存在証明
0か1の塩基配列
丁か、半か。単純に
シーサイドスーサイド
死こそ 全人類の美学と謂うけれど
「正解?」混在
まだ世界に細胞の欠片も
遺せていないのに「軽蔑より 嫉妬に近いもの」
この感情何と名付けよう
ホログラムの恋人たちへ
体温のない口づけをフロイトのクローンが居たなら
奴等のも科学できたのかなぁ
「所詮、紛いモンです」なんて
その解答を訊かせておくれよ遠く忘却の彼方へ追い遣られた
ちっぽけな幸福論
どうして懐かしいんだ
叶いはせぬ夢ほど
儚く美しい理由は
泥塗れこそ生命って
想い返してしまったからジーザスとスーサイド
僕等 ねえ何時だって現状逃避
電子上のシャングリ・ラ
善か、悪か。純粋に消滅も再生も
たとえ来世までプログラムされても
「どうだい?」正体
この素肌に愛憎の記憶も
遺せていないから 嗚呼似せて造った 錆が薫った
その血の意味解いて
似せて造った ただ繕った
臓器が意思を持った
白か、黒か。ヒトか、使徒か。
揶揄するような問いかけ
糸の切れたピアノ弾いて
出遭いに 愛に 哀に
“I”に 哭いた何回も 何回も
ジーザスとスーサイド
僕等 今日も縋って存在証明
0か1の塩基配列
丁か、半か。単純に
シーサイドスーサイド
死こそ全人類の美学と謂うけれど
「やっと 眠れる…」
躰へとサヨナラをして
あの日の君の元へ作詞:RUCCA&Sou
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歌詞の意味・解釈
1番
-ワレラヲモウユエニワレラアリ-
ロボットたちが宣いました
片や当の人類なんてさ
脳に苔生やしています作詞:RUCCA&Sou
冒頭近くで述べましたが、本楽曲は
AIが発達し、人間の人口が減少した世界
が描かれています。
そして歌詞は
-ワレラヲモウユエニワレラアリ-
というヒューマノイドの宣誓から始まります。
増えてきた機械(ヒューマノイド)に、命の儚さを感じないことから、世界と敵対していく主人公ですが、ヒューマノイドは「我ら想う故に、我らあり(人間が欲しくて作ったから、存在している)」と、自らの存在意義を主張しています。
また、主人公にとって尊重したいはずの人類は、脳に苔が生えていると言いたくなるほど、生命力が枯渇した状態にあるようです。
苔は、古いもの、孤独、静寂を象徴します。
見限られた旧歓楽街
思考回路L∞Pしているのは
前時代のガラクタなんてさ
もう此処では必要ないんでしょ作詞:RUCCA&Sou
旧歓楽街というのは、AIが発達しておらず、人間がありふれていた頃の街を指します。
AI優先の世界になってしまったから、
「見限られた」とあるのです。
また、ガラクタという言葉は、本来「使えなくなった機械」に対して使うものですが、ここでは「前時代の者」つまり「人間」に対して使われています。
これは、この世界において、『人間<AI』という力関係が出来ていることを示唆しているのでしょう。
アシッドジャズの雨
降りしきる午前2時のアスファルト
躰と魂 拒絶反応バグだらけ
「ア…ニマルのまま 滅んでいれば…」
この手の柵も煩悩も
奴等には解らないんだろう作詞:RUCCA&Sou
ここは、言葉選びの秀逸さが光ります。
注目したいのは「アシッドジャズ」という言葉です。これは、ジャズと電子楽器などを融合させてつくられたクラブ・ミュージックの一つなのですが、コンピュータや電子楽器の発達により曲と曲をつなげたり,異なるリズムを加えたりして,音楽を合成することが容易となったことが誕生の背景にあります。
つまり、アシッドジャズは、
機械の進化を象徴する音楽
と言っても過言ではありません。
すると、アシッドジャズの雨というのは、
機械有利(人間劣勢)の世界に憂鬱する主人公
を表していることが分かります。
そんな世界に絶望しているから
「ア…ニマルのまま 滅んでいれば…」
すなわち「サルがヒトに進化して、AIを作るような知恵を付けなければ…」と、どうしようもない現状を嘆いているのです。
サビ1
ジーザスとスーサイド
僕等 今日も縋って 存在証明
0か1の塩基配列
丁か、半か。単純に作詞:RUCCA&Sou
ジーザス (Jesus) は、
イエス・キリストの「イエス」の英語読み。
「Jesus」は、=「God」と呼ばれています。
スーサイド(suicide)とは
自殺、自殺者を示す言葉です。
これらに、今日も縋ってとありますから、サビ始めの文は
“絶望的な世界から救い出してくれるように神に拝んで、それが叶わなけらば自殺という選択で世界から逃げ出そうとする”
そのような情景が描かれているのでしょう。
また、
0か1の塩基配列
という言葉も意味深ですね。
噛み砕いていきましょう。
まず塩基配列とは、生物学における言葉でDNA、RNAなどの核酸において、それを構成しているヌクレオチドの結合順を、ヌクレオチドの一部をなす有機塩基類の種類に注目して記述する方法、あるいは記述したもののことです。
難しい定義ですが、簡単に言えば
遺伝情報を伝えるもの
という解釈でOKです。
0と1は、0→無、1→有
をそれぞれ対比していると仮定すると
0か1の塩基配列
というのは、
人間とAIを区別している表現
であることが分かります。
また、丁半(ちょうはん)とは、ツボに入れて振られた二つのサイコロの出目の和が、丁(偶数)か、半(奇数)かを客が予想して賭けるサイコロを使った賭博のことで、2択の物事を指しています。
本楽曲は、人間の命の美学や、
機械と敵対する姿が描かれているため
2択の物事と言いますと
- 人間 or ロボット
- 生きる or 死ぬ
といったところが考えられます。
どちらを指しているのかは、更に歌詞を追っていく事で考えていきましょう。
シーサイドスーサイド
死こそ 全人類の美学と謂うけれど
「正解?」混在
まだ世界に細胞の欠片も
遺せていないのに作詞:RUCCA&Sou
シーサイドという言葉自体は、海岸という意味を持ちますが、本楽曲におけるシーサイドにそのような意味合いは薄いと思います。自殺を表すスーサイドと韻を踏むように掛けたのでしょう。
本楽曲の主人公は、
- 死のないAI
- やがて死ぬ人間
をそれぞれ見比べて、人間の命を尊重しているのですが、本心では「死があること」が美学なのかどうか納得できないでいるのです。なぜなら歌詞であるように
世界に何も遺せていないから
です。
命は儚い。
とはいえ、世界に絶望したまま命尽きることを「美学」とは言えないですものね。この後、主人公はどうなっていくのでしょうか。
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2番
「軽蔑より 嫉妬に近いもの」
この感情何と名付けよう
ホログラムの恋人たちへ
体温のない口づけを作詞:RUCCA&Sou
ここで主人公の本音がこぼれます。
それは、ロボットたちへ向けられる
「軽蔑より 嫉妬に近いもの」
という感情です。
機械であるAIたちに、「虚像」だとか「機械だから体温がない」と皮肉めいたことを言いならがらも、本当は人間に変わって世界を支配しようとする彼らを羨んでいるのです。
ホログラムとは、物体の虚像を見るもの。
フロイトのクローンが居たなら
奴等のも科学できたのかなぁ
「所詮、紛いモンです」なんて
その解答を訊かせておくれよ作詞:RUCCA&Sou
フロイトとは、精神分析の創始者のことで、20世紀の人間諸科学に圧倒的な影響と示唆を与え続けている学者です。
そんな有名な精神分析者に
「所詮、紛いモンです」
とAIを否定してもらうことで、
人間優位な世界に変化すること
を、叶わないと承知しながらも願っているのです。
遠く忘却の彼方へ追い遣られた
ちっぽけな幸福論
どうして懐かしいんだ
叶いはせぬ夢ほど
儚く美しい理由は
泥塗れこそ生命って
想い返してしまったから作詞:RUCCA&Sou
MVでは、このタイミングで人間が登場します。
「軽蔑より 嫉妬に近いもの」
と言ってしまうくらい、人間の尊さが薄れてしまっていた主人公でしたが、残り少ない人類に偶然出会ったことで、懐かしさや忘れかけていた「命の儚さ・美しさ」を思い出してしまったのです。
サビ2
ジーザスとスーサイド
僕等 ねえ何時だって現状逃避
電子上のシャングリ・ラ
善か、悪か。純粋に消滅も再生も
たとえ来世までプログラムされても
「どうだい?」正体
この素肌に愛憎の記憶も
遺せていないから 嗚呼作詞:RUCCA&Sou
シャングリラとは、理想郷のこと。
サビ2の前半は、AIが発達する中で構築される、電子上の(機械だらけ)の理想郷を嘆いているのでしょう。
また後半は、「消滅」「再生」「プログラム」といった機械を連想させる言葉たちが並びますが、これらは人間である主人公に対して使われています。
敢えて、このような言葉を使うことでAI社会に圧倒されている自分を皮肉んでいるのでしょう。
3番
似せて造った 錆が薫った
その血の意味解いて
似せて造った ただ繕った
臓器が意思を持った
白か、黒か。ヒトか、使徒か。
揶揄するような問いかけ
糸の切れたピアノ弾いて
出遭いに 愛に 哀に
“I”に 哭いた作詞:RUCCA&Sou
MVでは、ここで事件が起きます。
主人公がロボットに改造されてしまうのです。(人間と言い争った結果、車に轢かれてしまうという、まさかの展開です)
- 似せて造った 錆が薫った
- 白か黒か
- ヒトか使徒か
という前半の文は、
あれだけ敵対視していたAIに、
今度は自分がなってしまった。
という衝撃展開に、戸惑いと葛藤を隠せない姿が描かれています。
また後半の
糸の切れたピアノ弾いて
出遭いに 愛に 哀に
“I”に 哭いた
という歌詞が深いですね。
糸(弦)の切れたピアノは、
美しい旋律を奏でることはできません。
これは人間でなくなった主人公と対比されています。
だから、全てに悲嘆しており、
I(私自身)に哭いた(泣いた)
と絶望が謳われているのです。
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ラストサビ
何回も 何回も
ジーザスとスーサイド
僕等 今日も縋って存在証明
0か1の塩基配列
丁か、半か。単純に
シーサイドスーサイド
死こそ全人類の美学と謂うけれど
「やっと 眠れる…」
躰へとサヨナラをして
あの日の君の元へ作詞:RUCCA&Sou
AIになってしまった自分に絶望した主人公は
「やっと 眠れる…」
と言って命を絶ちます。
儚い故に美しい人間の命
を訴えていた主人公でしたが、自分が人間でなくなってしまったから、それを尊重する必要もなくなったのでしょう。
ラストは、命を一緒に絶った人間と、涙ながらに顔を見合わせ、締められます。
まとめ&感想
言葉の選択が理系的で、非常に解釈が難しい言葉が多かったと思います。
MVのストーリーを簡潔にまとめると
といったところでしょう。
ラストの1文である
あの日の君の元へ
というのは、AIの世界の中で唯一の希望であった君とともに、世界に反抗しようとしていた日々を思い出して綴られたものではないでしょうか。
前回の「愚者のパレード」に続き、
今作も考察・解釈の幅が広そうですね。
【Sou/ノイド】
MVと歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)
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コメント
口論になったのってその一緒に生き抜くと決めた『君 』なんですか?MV見てる限り他のアンドロイドもしくは人間のように思えるのですが
こんばんはarutoさん。
私もMVを見て、突き飛ばした相手が君のように感じました。なぜなら右側が白で左側が黒である服、髪型などが紛れもなく君のそれだったからです。
とはいえ解釈幅の広い楽曲ですので、あくまでもひとつの考察として受け取っていただけたらと思います。
コメントありがとうございました^ ^
未来のことが多いことがわかりました
「0か1の塩基配列」ってコンピューターとかのプログラミングのことを言ってるんじゃないかと勝手に解釈してる