【Creepy Nuts】の「かつて天才だった俺たちへ」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。
✔ 【かつて天才だった】 の意味
✔ 言葉遊びの数々
✔ 輝く “Creepy Nutsらしさ”
”かつて天才だった” Creepy Nutsがぶちかました最高にカッコいい楽曲。是非最後までお読みください…!
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帝京平成大学CMソング
今回紹介していく楽曲は2020年8月26日発売のアルバム『かつて天才だった俺たちへ』表題曲。
帝京平成大学のタイアップ曲として制作されており、MVも大学キャンパスにて撮影されています。
菅田将暉とのコラボや「THE FIRST TAKE」への出演などにより、日に日に世間の注目を集めていくCreepy Nuts。
「かつて天才だった俺たちへ」はヒップホップ特有の一般に敬遠されがちな言葉遣いも無く、キャッチーな歌サビも登場するのでいい意味で誰にでも親しみやすい楽曲になっています。
まさに彼らのメジャーデビュー曲「メジャーデビュー指南」でいうところの《朝から流せる爽やかな》《老若男女が聞ける》《Mステも紅白も射程圏内っちゃ圏内》な楽曲であり、彼らの音楽、ひいてはヒップホップへの入り口として大きな役割を果たす楽曲であるといえるのではないでしょうか。
「THE FIRST TAKE」は歌唱前のやり取りも含め、Creepy Nutsの魅力が詰まった動画となっていますので必見です。
楽曲名「かつて天才だった俺たちへ」とは
R指定さんは楽曲について、
これは帝京平成大学のタイアップの曲やったんですけど、大学というところで進路や自分の道っていうキーワードを思いついたんです。自分が歳を取るにつれて選択肢が狭まってるというか。苦手なもんができたり、身の丈をわきまえていくほど道は狭くなっていくけど、何も知らんかった赤ちゃんのときは無限の可能性があったわけで。いろんなことを閉ざして、挫折も味わって大人になったけど、もう1回、昔に閉ざした可能性や見てなかったところに目を向けてくというのはすごく豊かじゃないですか。またここから、ナンボでも変わっていけるやろうし。これは自分にも向けてるメッセージですね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7a4d7d6ac0bc46ac37a7c4bd30b939a975dfcd1 より
とコメントされています。
挫折を知らない幼かった頃の、まだ何にだってなれた自分。
他人の評価など何も知らないのですから、当時は誰しもが無限の可能性を秘めていたはずです。
そんな「かつて天才だった俺たちへ」向けてのメッセージが綴られた楽曲となっているようです。
この楽曲名が歌詞の内容とどう関与しているのでしょうか。
さっそく歌詞を見ながら楽曲の魅力を紐解いていきましょう。
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歌詞
苦手だとか 怖いとか 気付かなければ
俺だってボールと友達になれた
頭が悪いとか 思わなけりゃ
きっとフェルマーの定理すら解けた
すれ違ったマサヤに笑われなけりゃ
ずっとコマつきのチャリをこいでた
力が弱いとか 鈍臭いとか 知らなきゃ
俺が地球を守ってた
破り捨てたあの落書きや
似合わないと言われた髪型
うろ覚えの下手くそな歌が
世界を変えたかも…かつて天才だった俺たちへ
神童だった貴方へ
似たような形に整えられて
見る影も無いいまだかつて
ないほど入り組んだway
悩めるだけ悩め
時が来たらかませ
風まかせ
どっちみちいばらのway
俺らは大器晩成
時が来たらかませ
I wanna be a 勝者
I wanna be a 強者
まだ見ぬ高みへ駆け込み乗車
花火のような
運命だろうが
我が身果てるまでやりきれそう ya生まれてこの方
一体いくつ分岐点を見過ごして来たんだろうか?
墓場に入るまで
後一体いくつ可能性の芽を摘んでしまうんだろうか?
稀代のうつけ者 or 天下人
Or 今まだ醜いアヒルの子
ほらどう そうご指導ご鞭撻の程
渡る世間の洗礼を浴びるとこ
俺はキャンパスかなり薄汚れた
だけどワンチャンスまだ余白はあるさ
ちゃっかり目立ったり劣ったり
この隔たりよ永遠に
かつて天才だった俺たちへ
神童だった貴方へ
何だってなれたanother way
まだ諦めちゃいないいまだかつて
ないほど入り組んだway
悩めるだけ悩め
時が来たらかませ
風まかせ
どっちみちいばらのway
俺らは大器晩成
時が来たらかませ
I wanna be a 勝者
I wanna be a 強者
まだ見ぬ高みへ駆け込み乗車
花火のような
運命だろうが
我が身果てるまでやりきれそう yaお前は未だに広がり続ける銀河
孫の代までずっとフレッシュマン
粗探しが得意なお国柄
シカトでかまそうぜ金輪際
俺も未だに広がり続ける銀河
今際の際までずっとフレッシュマン
くたばり損ねた冥土からcome back
草葉の陰からゴンフィンガー無傷のまんまじゃ居られない
変わり続けていく多面体
その物差しじゃ測れない測らせる気も無い
かつて天才だった俺たちへ
神童だった貴方へ
まだ見ぬ明日へ羽ばたけ行くぞ12345いまだかつて
ないほど入り組んだway
悩めるだけ悩め
時が来たらかませ
風まかせ
どっちみちいばらのway
俺らは大器晩成
時が来たらかませ
作詞:R指定
歌詞の意味・解釈
1番
苦手だとか 怖いとか 気付かなければ
俺だってボールと友達になれた
頭が悪いとか 思わなけりゃ
きっとフェルマーの定理すら解けた
すれ違ったマサヤに笑われなけりゃ
ずっとコマつきのチャリをこいでた
力が弱いとか 鈍臭いとか 知らなきゃ
俺が地球を守ってた
楽曲冒頭では、ひたすらにかつての自分が秘めていたはずの無限の可能性が列挙されていきます。
今となれば鼻で笑ってしまうことであっても、Rさんのコメントにあったように、何も知らなかった赤ちゃんのときには無限の可能性があったはず。
ボールと友達になって「キャプテン翼」の翼の様なサッカープレイヤーになれたかもしれないし、「フェルマーの最終定理」を証明する数学者にだって、地球を救うヒーローにだってなれたかもしれません。
自分が他人より劣っているだとか、できないことがあるなんてまだ全く知らないのですから。
子供の頃は何にだって期待して、無邪気に夢を追いかけるものです。
しかしながら誰しもが挫折を経験し、他人に笑われ、周囲との能力の差を感じて可能性を切り捨ててしまうものです。
「フェルマーの最終定理」はフェルマーが示した数学定理で、数学界最大の難問とまで評される定理。
完全に解かれたのは最近のことで、フェルマーの死から300年以上経った1995年にワイルズにより証明されています。
「コマ付きのチャリ」は関西圏の言い方で補助輪付きの自転車のこと。
今考えれば周囲の目がなければ無理に外すものでもない気はしますが、誰もが他人を気にしてかなり早い段階で補助輪を外していきます。
すれ違ったマサヤに笑われて補助輪を外した。
まさに身近な「挫折を味わって大人になった」例です。
破り捨てたあの落書きや
似合わないと言われた髪型
うろ覚えの下手くそな歌が
世界を変えたかも…
ここも同じく、軽快なフロウの中で過去に捨てた可能性が並べられています。
もし今も当時の夢を追いかけていたら、それが世界を変えることになったかもしれない。
可能性を自ら潰してしまっただけで、だれしもが赤子の時は全てにおいて無限の可能性を秘めた「天才」だったことは疑いようもない事実です。
しかし諦めてしまった今、それが叶うことなどありません。
絵の才能や髪形、歌唱力。
サビだけを見るとポジティブな歌詞で、一見すると昔のCreepy Nutsとはかけ離れた楽曲のようにも見えますが、さらっと自分のできないことを並べて劣等感を歌うそのスタンスは当時から何も変わっていないのかもしれません。
サビ1
かつて天才だった俺たちへ
神童だった貴方へ
似たような形に整えられて
見る影も無い
何も恐れを知らなかった、無限の可能性を秘めていた天才たち。
しかし世間との摩擦の中で多様性なんてものは失われ、誰もが常識の範囲内で目標を持つようになります。
可能性は次第に捨てられていき、気づけば身の丈をわきまえた凡人に。
誰も大それた夢なんか語らないし、髪や服装も無難なものばかり。
かつての三者三様だったその姿はもはや見る影もありません。
恐らくこの部分の歌詞は「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人」ということわざを強く意識したものでしょう。
幼い頃に神童と呼ばれた人も、成長して見れば単に早熟だっただけだったり、上手い人の中では大したことなかったり。二十歳を過ぎてみればもうただの凡人。
神童や天才だと思える人は歳を重ねるにつれて減っていくのです。
いまだかつて
ないほど入り組んだway
悩めるだけ悩め
時が来たらかませ
風まかせ
どっちみちいばらのway
俺らは大器晩成
時が来たらかませ
もはや天才や神童ではない今の自分たち。
しかしそれでも、劣等感を抱えて悩みながら進んでいければいいじゃないか。
どうせどこに進んでもいばらの道なんだから好きにやればいいじゃないか。
サビではそんな非常にポジティブなメッセージが綴られています。
神童じゃなくて大器晩成なんだ、あとから開花するタイプなんだ、と。
R指定さんのコメントにあった通り、楽曲のテーマは大学とのタイアップに合わせて「進路」や「自分の道」。
サビの歌詞が道を進んでいくような展開になっているのも「進路」を意識しているのでしょう。
かつてのCreepy Nutsのアングラな世界観からすればかなり風通しの良い曲調とリリック。
R指定さんは「日々の小さな躓きみたいなのは山ほどあると思うんですけど、そうは言いながらもちゃんと前へ進めてるっていうのがあるからなのかもしれないですね。」とその理由を語っており、活動を続ける中で芽生えた自信が前向きな楽曲へとつながっているようです。
I wanna be a 勝者
I wanna be a 強者
まだ見ぬ高みへ駆け込み乗車
花火のような
運命だろうが
我が身果てるまでやりきれそう ya
「まだ見ぬ高みへ駆け込み乗車」
無難な生き方してるけど、今あの日捨てた可能性を拾い上げれば、まだ間に合うかもよ?
そんなことを投げかけて来るリリックには、否が応でも自分の人生を考えさせられるものがあります。
花火のように皆似たような形に整えられて、いつかはただ爆ぜていくだけの運命かもしれない。
それでも我が身果てるまで全部やりきって、威勢よく散ってやろうぜ。
そんな濃密で夢を見させてくれるリリックが、暴力的に韻を踏みながら軽快に展開されていくところがヒップホップの素晴らしさです…
2番では言葉遊びやサンプリングをさらに楽しめます…!
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