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【平手友梨奈/ダンスの理由】歌詞の意味を徹底解釈!語られる欅坂時代の後日談…?

サビ2

誰かが貧乏くじ引いて
一人きり泣いているのなら
夜が明けたって I don’t give up
眠らないで踊るよ 気が済むまで付き合おう
犠牲はしょうがないなんて
部外者に言わせるものか 私が許さない

誰かが不幸な目に遭って一人で泣くくらいなら。

わかってるよ。

踊ればいいんでしょ。

そう言わんばかりに彼女は夜が明けたって踊り狂います。

 

「センターになるなら重圧がかかるのは当然だから、犠牲は仕方ない」

部外者はきっとそんなことを語ります。だから別に誰がセンターをやってもいいじゃないか、と。

 

でも平手さんの視点からすればそうではありません。

他の誰かがそこで踊ることで生じるしょうがない犠牲は、唯一彼女にとっては無くせる犠牲なのです。

自分がそこで踊り続けさえすれば、自分がそこで傷つき続けさえすれば、誰も悲しまないで済むのですから。

 

3番

もしも同じような 境遇ならば
同じ目に遭わせない
いつかの自分 死なせない この腕で守る

結局 あの娘を見てると
一番辛かった頃の私を思い出すの
誰かがいてくれたら普通でいられた
誰もいなかったから 仕方なく
踊るしかなかったんだ

3番では2番同様に、いつかの自分と目の前の “あの娘” を重ね合わせています。

 

《結局 あの娘を見てると 一番辛かった頃の私を思い出すの》

《一番辛かった頃》がいつを指しているのかはわかりませんが、間違いなくそれは彼女がセンターでいることを切に辞めたくなった時でしょう。

きっとその時他の誰かが代わってくれれば、彼女は ”普通” でいられたはず。

立て続けに体を故障することも、重圧に押しつぶされることもなかったはずです。

 

《誰もいなかったから 仕方なく 踊るしかなかったんだ》

どこか逆恨みにも聞こえてしまいまうような、あまりに衝撃的で痛切な言葉。

無論誰が悪いというわけでもないし、彼女に人々を圧倒するような才能があったのだから仕方ない部分ではありますが、華々しいアイドルの舞台裏を見せつけられたような感じがしてぞっとします。

 

他の誰かを自分と同じ目に遭わせないために、当時の自分が他の誰かにしてもらいたかったことを彼女は全うしています。

「ダンスの理由」

それは同じような境遇の誰かを同じ目に遭わせないためだったのです。

 

欅坂脱退後の2020年9月8日に出演したラジオ番組にて、平手さんは

(歌や踊りやお芝居で)あんまり楽しいって思える瞬間がない。
そもそも楽しいって何だろうって根本的に思ってしまうタイプなので….

といった発言をされています。好きではあるのでやりたくないわけではないけれど、苦手意識や自信がないことのほうが勝ってしまうとのこと。

間違いなく、センターで踊っていたかったからセンターにいたわけではなかったのです。

そんな彼女を突き動かしていたのは、自分がセンターで踊るしかないのだという想いだったのかもしれません。

 

ラストサビ

私が踊り続ければ 世界が許すと言うのなら
いつまでだって Keep going yeah
何度だって踊るよ 倒れても構わない
誰かの悲しみを癒す
その一瞬のために
夢のようなターン決めよう

私が躍れば世界が許すのならば、他の誰かを犠牲にせずに済むのならば。

彼女は何度だって踊り続けます。

たとえ幕張メッセのステージから転げ落ちて搬送されようと、紅白の舞台でぶっ倒れようと。

 

《誰かの悲しみを癒す その一瞬のために》

彼女は夢のように儚くも美しいターンを続けるしかなかったのです。

 

感想

平手友梨奈さんが欅坂46というグループの真ん中で踊り続けた理由。そして辞めた理由。

その背景には、私たち部外者が到底知り得ないような複雑でどうしようもない事情があったのかもしれません。

 

知っての通り現在の平手さんはグループ脱退済みで、ソロ活動に邁進されています。

もう誰かを救うために踊る必要も、世間に許されるために中心に立ち続ける必要もありません。

自由になった彼女の姿を、今後も見守っていければと思います…!

 

【平手友梨奈/ダンスの理由】

歌詞の意味の解釈でした!

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