2番
本能も生を厭ったか
ブラックアウトしていく皮膚感覚
胸臆には体温は無い
幾億と宙を仰いだか 鉄窓みたいな水平線
どうやっても太陽の光には達しやしないさ
厭うとは、嫌って避けること。
ブラックアウトとは、
一時的な記憶・意識の喪失。
胸臆とは、心の中。胸のうち。
本来、生き物の本能にあるのは「生存本能」しかし、誰とも交わらない52Hzクジラは感覚の麻痺にともない、本能すら機能しなくなってしまう。どうあがいても陽を浴びることのない孤独に諦めを抱いている反面、淡い期待を寄せていることも微かに感じます。
水面から見えるのはどれも
折れ曲がる未来だけ
ぼやけた世界にたった一人きり
水面の境界線で光が屈折するように、クジラの未来も曲がっている。前向きには生きられないことを意味する。いつまでも一人きり。
サビ2
酸欠めいた命が歌った 泡沫の哀傷挽歌
ここにぼくはいるよ
間違った声で歌った
一瞬のメーデーだった
暗礁の孤独を背負って泳いだ
サビ1と同じです。
淡い期待と逃れられない孤独
が描かれています。
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3番
絶海も同然だった深層心理を
本当は誰かに掬って欲しくて
それがどれだけ滑稽だったとしても
何遍と間違おう
絶海とは、 陸地から遠く離れた海。遠海。
ここで描かれるクジラの情動が切ない。
他者と関われない52Hzクジラ。心理的には、絶海の中に独りで取り残されているも同じ。その中で生まれる感情は“誰かに救って欲しい”というSOS。何度も期待と失望を繰り返すが、やっぱり他者との関わりを諦めきれない。だから、どんなに惨めでも、誰にも届かなくても「52Hz」の周波数で鳴き声を続ける。
ラストサビ
存在を 命の証を 成そうとした鎮魂歌
ここにぼくはいるよ
消えゆく心臓が歌った 一瞬の弔鐘だった
暗礁の孤独を掲げて消えた
鎮魂歌とは、
死者の霊をなぐさめるために作られた詩歌。
弔鐘とは、死者をいたんで打ち鳴らす鐘。
ついに52Hzクジラは力尽きてしまいます。命ある限り叫び続けた鎮魂歌は誰にも届かなかった。しかし、最後には自らの心臓が応答してくれた。まるで“声は届いていたよ”と言ってくれているよう。孤独と戦ったことを誇らしく思い、堂々と掲げて命尽きる。
感想
いかかでしたか。
52Hzクジラ。その背景を聴いたうえで楽曲に入り込むと、その切なさに耐えられなくなっちゃいますね。はじめはクジラの逃れられない宿命に同情していましたが、命ある限り孤独と戦い続ける姿に、いつの間にか感動していました。
孤独に立ち向かう姿
勇気づけられた人は多いと思います。
【神様、僕は気づいてしまった/52Hz】
MVと歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)
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