【マカロニえんぴつ(通称:マカえん)】の
「恋人ごっこ」について
歌詞の意味を徹底的に
考察および解説していきたいと思います。
・寂しさを紛らわせたい君
両者からなる切ない「恋人ごっこ」の物語を、ぜひ最後までご覧ください。
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楽曲の基本情報
今回紹介していく「恋人ごっこ」は、マカロニえんぴつのフルアルバム「hope」の収録楽曲であり、Honda「バイクに乗っちゃう?」のタイアップソングとなっています。
— はっとり (@Hattori_0512) February 6, 2020
MVの監督は「ブルーベリーナイツ」でもお馴染みの「井樫彩」が努めており、はっとり、秋田汐梨、赤瀬一紀をキャストとして採用。MVの映像ではバイクに乗っている彼女の回想シーンが物語の主軸として映されている。
回想シーンの二人(はっとり、秋田汐梨)こそが、「恋人ごっこ」をしていた二人なのでしょう。ここに関しては歌詞考察の欄で深堀りしていきます。
今作もナイスキスシーンに注目です。
また作詞作曲を担当したはっとりは
「ただいま」またここに帰って来て、少し違ってやっぱり変わらないさよならを何度も。
「あたしね、もし猫を飼ったら、もう会わないかも」
離れられないのに離れないといけない恋人たちがいる。思い出にしないために忘れないといけない恋がある。
と楽曲についてコメント。
解釈の難しいコメントですが、楽曲タイトル名、歌詞の考察を終えたうえで言うと
といったメッセージ性を持っているのかなと筆者は解釈しています。
なぜそうなるのか。
楽曲を細かく見ていくことで情景が鮮明になっていきます。まずはタイトルに着目していきましょう。
楽曲名「恋人ごっこ」とは
まず「ごっこ」とは
- 何かになったつもりで遊ぶもの
- 一緒にある動作をすること
を表す意味を持つ言葉です。
一般的には1人が鬼を演じる「鬼ごっこ」など、子供の遊び場面で使われることが多いのですが、本楽曲に限っては「恋人ごっこ」と、大人ならではの葛藤が混じり合った「ごっこ」の使われ方をしています。
まさに本楽曲の歌詞で描かれているのも、大人であるために、もとい大人のズルさを持っているために生まれた主人公と彼女の関係、それに対する主人公側の葛藤となっています。
本題の歌詞を細かく見ていきましょう。
歌詞
「ねえ、もう一度だけ」
を何回もやろう、そういう運命をしよう
愛を伝えそびれた
でもたしかに恋をしていた
恋をしていた
缶コーヒーで乾杯シーツは湿ってどうにもならない二人だ
言う通りにするから、恋人ごっこでいいから
今だけ笑っていてほしい余計な荷物に気付くのは
歩き疲れた坂道だ
忘れていいのはいつからで
忘れたいのはいつまでだ?「ねえ、もう一度だけ」
を何回もやろう、そういう運命でいよう
愛を伝えそびれた
でもたしかな恋をしていた
恋をしていた無駄な話に頼るのだ
隠し疲れた罪を運ぶため
忘れていいのは君なのに
忘れたいのは僕だけか「ねえ、もう一度だけ」
もう無しにしよう?そういう運命を取ろう
愛を伝え損ねた
またこんな恋をしてみたい
恋をしてみたい裸や、撫で肩や、キスや乾かない髪
もう一度あなたと居られるのなら
きっともっともっとちゃんと
ちゃんと愛を伝える
もう二度とあなたを失くせないから
言葉を棄てる少しずつ諦める
あまりに脆い今日を抱き締めて手放すただいまさよなら
たった今さよなら
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歌詞の意味・解釈
前提として
まず前提として押さえて頂きたいのが2つ。
2つ目に述べたものはあくまでも仮説ですが、タイトルやMV、歌詞の全容を包括的に解釈した結果、最も腑に落ちました。この前提を押さえておくと、歌詞で描かれる情景の解像度がグッと上がります。
では本題の歌詞考察に移っていきます。
頭サビ
「ねえ、もう一度だけ」
を何回もやろう、そういう運命をしよう
愛を伝えそびれた
でもたしかに恋をしていた
恋をしていた
缶コーヒーで乾杯
そういう運命をしよう
とお互いに納得して始まった主人公と君の恋人ごっこ。
主人公は君に恋をしているのに、愛を伝えることで「ごっこじゃなくなる」こと、つまり「君との関係が終わること」がこわくて、愛を伝えることができない。(愛を伝えそびれた)
「缶コーヒー」の苦味が、終わりを迎えるべくしてはじまった、恋人ごっこの苦さをしているようにも感じる。この時点で明るい未来がないことは主人公も安易に予想できているのだ。
「それでもとにかく今一緒にいたい」という主人公の心情が垣間見えますね。
1番
シーツは湿ってどうにもならない二人だ
言う通りにするから、恋人ごっこでいいから
今だけ笑っていてほしい
- 君に恋をしている主人公
- 寂しさを紛らわしたい君
は身体を重ね合わせてお互いの欲を満たす。
でも重なっているのは身体だけで、心までは通い合っていない。しかしそれでも「今」に幸せを感じている主人公は「恋人ごっこでいいから」と言って、一部でしかない今を大切に切り取ろうとする。
余計な荷物に気付くのは
歩き疲れた坂道だ
忘れていいのはいつからで
忘れたいのはいつまでだ?
恋人ごっこを受け入れていた主人公も、関係を保ち続けるうちに疲弊していく。歌詞中の余計な荷物というのは「心まで繋がりたかった」という、恋人ごっこを続けたからこそ芽生えてしまった、願望にあたる。
また続く歌詞は
- 忘れていいのは恋人ごっこを楽しめていた自分
- 忘れたいのは恋人ごっこで心が擦り減った自分
であることを端的に表している。時間とともに変化していった主人公側の心情が巧みな表現で描かれているのです。
偽りの関係に主人公の純粋な好意が耐えられなくなってきているのです。
サビ1
「ねえ、もう一度だけ」
を何回もやろう、そういう運命でいよう
愛を伝えそびれた
でもたしかな恋をしていた
恋をしていた
心を擦り減らしつつも、恋をしている主人公は
「ねえ、もう一度だけ」
と言って、君との恋人ごっこを継続してしまう。
- 「もう一度だけ」
- 「何回もやろう」
と矛盾した台詞を吐く主人公の姿は
- 『君との関係を終わらせないといけない』
- 『君とずっと一緒にいたい』
という心の中の葛藤が投影されているよう。
歌詞は全体的に「過去形」の語法で綴られていくのですが、主人公の葛藤だらけの想い出のなかで確かに残っているのは「恋をしていた」ことなのでしょうね。別れが顔を出しているために、ここの部分は切なく感じる。
以降、ふたりの「恋人ごっこ」は終焉に近づいていきます。
さらに歌詞を追っていきましょう。
2番に続きます。
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