3番
記憶の中であの日を思い出す
くだらないプライドばっか掲げて
知りもしないくせに適当に過ごしてばっか
呆れられて情けなくて嘘をついてた
数え切れないほどの言い訳を積み重ね
大事なもの失って
流れた涙は夜に落ちた
ここでついに先ほどの歌詞の「あの頃」の自分について詳しく描写されています。
プライドばかりを掲げて適当に生きて、情けなくて嘘や言い訳を積み重ねた自分。
その結果として彼は大事なものを失ってしまいました。
曲中で懐かしんでいる「君」という人物もきっと「あの時」失ってしまったものの一つでしょう。
「あの日」の後悔に、今も主人公は苦しめられ続けています。
「心に突き刺さる棘」と表現されているのもきっと「あの日」への後悔に起因する胸の痛み。
そして彼は呆れられて情けなくて嘘をついてたあの日から何も変わることができず、今も「もういっそこのままでいいや」なんて見栄を張ってしまっています。
今の自分があの頃に戻ったって何も変えられないというのはそういうことでしょう。
見栄やプライドのために誰かを傷つけてしまったあの日。
その罪の大小に関わらず、一度犯した過ちは生涯消えることはありません。
その過ちの後悔のループから、彼はずっと抜け出せずにいます。
ラストサビ
きっと誰も知らない言葉が今僕の中で
渦を巻いてずっとLoop Loop Loop Loopして
吐き出そうと声を出してみてもうまくいかない
My heart beats faster
Night Diver
吐き出すことも呑み込むことも出来ない感情が渦を巻いてループする夜。
「Night Diver」
彼は何度も夜の闇に飛び込み続けます。
作詞は三浦さん本人ではなく音楽家の方なので、この曲が一体どの程度彼の生涯と関係しているのかは正直全く分かりません。
しかし、生きる苦悩を歌った歌詞を見ていると否が応でも彼の人生と結びつけてしまいます。
この曲そのものが遺言であるといわれれば納得してしまうような、圧倒的な表現力を、絶対的な芸術をここに見たような気がします。
「Night Diver」
三浦春馬さんのご冥福をお祈りいたします。
感想
誰も知らない言葉が心で渦巻く中、あの日と変わらず情けないままの自分が生きる理由を彼は求めています。
「もういっそこのままでいいや」
「それでも嫌な感じじゃなくて」
楽曲中では苦しみながらも、今を必死に肯定しようとする言葉が何度も登場します。
しかしながら、ひょっとすると人間の命なんてものはもっと脆くて不確かなものなのかもしれません。
ほんの些細な拍子に、そんな肯定感は跡形もなく崩れ去ってしまうものなのかもしれません。
彼の生涯を見ていると、そんなことを考えさせられます。
皮肉にも彼の死を受けて、きっと作曲当時には無かったであろう遺作としての新たな意味がこの楽曲に生まれ、「Night Diver」は多くの人の心を揺さぶる作品となりました。
死人に口なし。
されど、死してなお彼の残した作品達は人々の心でループし続けます。
【三浦春馬/Night Diver】
歌詞の意味の解釈でした!
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コメント
本当にどんなに辛かったんでしょう。
Night Driver ⇒ 夜に駆ける と紐づけてしまうとゾっとします。
三浦春馬さんにもタナトスの誘惑があったのでしょうか。
歌詞から勝手に連想・妄想してしまいますが、それくらいの喪失感がいまだに拭えません。
ご冥福をお祈りいたします。
コメントありがとうございます。
確かに「夜に駆ける」と重なる部分は大いにありますね……
後ろ暗い感情をもって夜を過ごしていた人がある日突然すっかり飲み込まれると考えると恐ろしいものがあります
もしこの曲を違う人が歌っていたら、違う歌詞の捉え方ができたのかもしれないけど、亡くなってしまった三浦春馬くんがうたってる事を知りながら聞くと、毎回泣きそうになる。最後のことばみたいで。
春馬くん。
あなたは今何をしていますか?幸せですか?
今まで色んな輝きをありがとう。
この歌怖い。死を連想してしまうのは私だけ?
歌詞の内容もそれとなく死のきっかけに聞こえてしまいますし、実際に起こってしまったことなので否が応でも連想してしまいますね…
あの日以来何故なんだろうとずっと考えていました。が、ナイトダイバーの歌詞や仲の良かった高橋優さんの自由ヶ丘の歌詞と併せて考えると、きっと覚悟しての結末だった気がしています。辛くて苦しくて、でも笑っていてくれたのだと思うと胸が潰れます。
怖い くやしい
この歌は、ドラマのために、歌わされたもので、春馬さんとは、全く関係ないとおもいます。
事務所が、作り上げた印象そうさ
春馬さんの死後に遺作としての意味が発生したのは間違いありませんが、元々タイアップ無しの楽曲ですので何かのドラマのためではないと思われます。
楽曲制作時点でも春馬さんの楽曲として作詞されたものですので、少なからず歌詞の内容は彼の考え方などを反映したものなのではないでしょうか。
辻村有記さんは春馬くんの誕生日4/5にTwitterで表題曲のNightDiverと紹介しています。福士蒼汰くん主演ドラマのDiverの主題歌で間違いなかったと思います。Diverの主演はやはり春馬くんだったのでしょうね。春馬くんはハメられたのです。
ご意見ありがとうございます。
Diver云々の話はなんとも言えないところなのでコメントしかねますが、辻村さんの「表題曲のNightDiver」という紹介は「(三浦春馬2nd singleの)表題曲のNightDiver」だと思われるので特に違和感はない気がします。
春馬君にどうしてこの歌を提供したのかなぞです。本人の雰囲気に合ってるからとしたら失礼にもほどがあるし、ドラマDIVERの主題歌だとしたらわかります。歌詞が死に導くような内容ですからね。一部ではドラマDIVERの主題歌として歌わされたが急きょ変更されたと噂があります。つまりはめられたと。実際のところどうなんでしょう。謎は闇に葬られています。
言葉の発言をすることで、考えの感じ方で人それぞれ違い、だから、人間関係は難しい。
感情の糸がもつれてしまう。だけど、良く化学反応を起こすこともある。
楽しい嬉しい感情が湧く。
生活環境の貧富はあっても、その人の軸が真っ直ぐに向いていれば、良い出会いもあるし、良いこともある。
苦しいことがあっても、前向きな気持ちで、誰かに助けてって弱みを見せるのも生きることで大事なこと。
生きるって意味、結局は誰も知らないのでは。
いつのまにか生を受けて、死を迎える。それだけ。
だから、生きてるうちに、何かをする。
私に詩は書けないけど、作品を創作する人は読み解く感情があって素晴らしいです。
この曲では、loopという言葉が、繰り返される。loopy だと、知的に劣っている。というスラングになるらしい…。考え過ぎだろうか。多分。
三浦春馬さんの死の謎解き。彼に対する想い・哀しみ。は、永遠に消えない。
三浦春馬さんの死。なぜ、亡くなったのか。謎解きは続きます。いつか、解明されれば良いのに。闇から、明白へ。その方が良いと想ってます。彼のことをよく考えます。生前、全く意識していなかったのに。ほとんど知りもしなかった。惜しい人を喪いました。こういうことが、日本の芸能界では、最近、繰り返されています。大切なキーパーソンを喪うのは、悔しいし、もう、現れません。日本社会において。その価値を喪ってしまってから、知ることになる。そうやって、日本は、さらに、沈没を早めている様に見えます。
三浦春馬さんの死には、謎を感じます。謎解きは続く。闇から、明白に。明らかになることを望んでいます。日本の芸能界の、自殺。喪ってしまってから、その人の価値。に気づいたりします。亡くなった人は、戻らない。しかも、その穴埋めも、出来ない。日本社会は、生き辛い社会です。下らない嫉妬から、全てを喪いかねないような社会だと、想います。
歌詞の意味。確かに意味深に感じる。彼が亡くなってしまい、所々で、歌詞と彼の人生・思いが、符号しているように感じる。平井堅が”楽園”の歌詞について、意味が全くわからない。と、言っていたのを思い出す。
そんなこともあるのかもしれない。でも、三浦さんの場合は、このソングライターさんは、アミューズに所属している人だと、どこかで読んだ気がする。
まるで、どこか、遺書のような歌詞。所々に、三浦さんの本音が隠れているような歌詞。三浦春馬さんの、死の真相の謎解きは続く。明らかになる日まで。霧が晴れる時まで。
三浦春馬さんの死は、痛手です。私は、生前、彼の作品に触れることは、ほとんどなく、セカホシくらいでした。亡くなってから、色々と観て、もう、ガックリです。色々な記事から、三浦さんが、トラブルに巻き込まれていたのでは?と想い、戦々恐々です。居なくなってしまってから、その人の重みを知る。価値を知る。今まで、ほとんど、注目もしていなかったのに。最近、日本の芸能界で、喪ってしまった人たち。穴埋めは、不可能です。
私はこの曲はそんな怖いとか…闇深いイメージはありません。春馬が話してくれた歌詞の解釈を知っているからかもしれませんが…
NightDiverの世界観はもっと誰もが持っている過ちや傷を捨て去りたいけど捨てきれずに結局まだグズグズしていたい自分がいる。その理由も自分でわかっていながら今夜もそんなぬるま湯に浸かっていたい自分がいる。そんな未熟な精神が漂っているようなイメージです。
この曲は謎解きゲームではありません。
若い頃から春馬は自分の考えを言葉を選んで語っています。それを繋げていけば春馬が自分と向き合う姿が見えてきます。
彼の考えや大切にしているものがわかるはずです。
世間に悲しい衝撃を与えてしまったのは春馬です。でもいたずらに闇深いイメージを植え付けるのは頑張った人に対して酷い仕打ちだと思います。
生前は見向きもしなかったとか、知らなかったって人が彼の死によって、若くして自死した俳優ってイメージに惹かれてファンだと言い始め、いろんなコメント欄に謎解きや陰謀めいたことを書いています。
それを目にしてたくさんの方が心を痛めています。
たくさん頑張ってくれた春馬を もう…静かに休ませてあげてください。お願いします。
三浦春馬さんが、亡くなったのが、ちょうどコロナ禍だったと記憶している。
コロナ禍を過ぎ、日本の痛手は大きかった。
2つの戦争が終わらず。
インバウンド効果はあるかもだけれど、円安も苦しい。
闇バイトに、奇妙な痛ましい殺人事件も続く。
もしかしたら、誰もが被害者に加害者にとなってもおかしくないような、不穏と諦め。慣れ。
三浦春馬さんは、多分、あんまり口が悪いタイプではなかったのだと想う。
グチも言わない。
黙って逝ってしまった。
何だか切ない。
たまらなく。
自殺という死に方はキツイ。
大切な人、好きな人に自死を選ばれると、こんなにキツイものたのだと、思い知った。
死を悼むというのは、大切なことだ。
死んだ人は蘇えらないけれども。
三浦春馬さんの死。
もし、今、彼が生きていたら。
暗い世の中が、少しは、明るく感じられたかも。
日本は、非常に同調圧力が強い社会です。
この便利社会は、同調圧力で成り立っていた。ギリギリ我慢して、どうにか耐えていたものが、コロナで足元から、ボロボロに崩れ去った。
細かいストレスが無数に積み重なるストレス社会は、しわ寄せとなり、酷く疲弊する要因に溢れている。
あの時。多分、三浦さんに降りかかり、抱えていたストレスも度を越していた。きっと。
生と死は隣り合わせ。
死んでしまっても、忘れえない人というのはいるものです。
確かに、そっとしておいて欲しいのかも。
でも、想い返される人。
実際は、謎なんか無いのかも。
でも、追憶され、想いの行き場が漂う人。
日本は同調圧力が強い社会です。
その風潮を最近とても強く感じます。
これが空気読み社会の本質だったのだと、腑に落ちたりもします。
かつては、安定した便利社会だった。
でも、もうその皺寄せは、支えきれずに、足元から崩壊しつつあるのを感じています。
同調圧力が強い社会は、自由度が下がり、人を蝕みます。
そんな社会に生きる私たち。
三浦春馬さんの針を振り切ってしまった選択。
全く無関係ではないと想います。
三浦春馬さんは、きっと、そっとしておいて欲しいのかもしれない。
でも、なんとなく、黙っていたくないんです。
黙って逝ってしまった三浦さん。
その死。
その狭間。
もう居ない。
でも、想い返される人たち。
ほぼ同時期に、芸能人の死が続き、衝撃が走りました。
その人たちに共通項があるとしたら、ある種の繊細さと、孤独の影だったのかもしれない。
もう居ないけれど、想い返される。
忘れられず、語られる。
その死も含めて。
日本がもう少し、風通しの良い社会になることを望んでいます。
でも、それもなかなか難しいのかもしれない。
記憶に残る、忘れられない輝き。
もう居なくとも。