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【中島みゆき/糸】歌詞の意味を徹底解釈!不朽の名作の魅力を今こそプレイバック。

【中島みゆき】「糸」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✔ 映画化・カバーで再注目の名作

✔ 実はかなり残酷な歌詞…?

✔ 微かに見える希望の光

 

骨助
骨助

今や誰もが知る不朽の名作。改めてその歌詞に注目して楽曲について考察いたしましたので、是非最後までお読みください…!

 

 

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映画化で再注目の名曲

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今回紹介していく「糸」は中島みゆきさんの不朽の名曲

 

その発売は1992年まで遡りますが、ドラマでの起用や2004年のBank Bandによるカバー、各種テレビ番組での起用、2014年の紅白歌合戦でのクリスハートさんによるカバーなどを経て、今日では誰もが耳にしたことのある中島みゆきさんの代表曲となりました。

 

2020年には菅田将暉 × 小松奈々のW主演で『糸』をモチーフとして映画化

菅田将暉さんと石崎ひゅーいさんによる楽曲のカバーが公開されるなど、以前にもまして楽曲への注目が高まっています。

 

骨助
骨助

そんな「糸」は一体何を歌った楽曲なのか。改めて歌詞を見ながら考察してみましょう。

楽曲名「糸」とは

楽曲中では「縦の糸はあなた 横の糸は私」というサビからも明らかなように、自分自身や他の人間の比喩として「糸」が用いられています。

 

そして人間同士の出会いによって生み出される物、糸と糸が織りなす物こそが「布」であって、それが誰かを温めるかもしれない。というのが楽曲の中心的なテーマです。

人間の出会いを肯定しつつ、どこか温かみを感じられる美しいメタファーですね。

 

骨助
骨助

タイトルについて確認したところで、さっそく歌詞全体を眺めていきます。

歌詞

なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない

どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

なぜ 生きてゆくのかを
迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡の ささくれ

こんな糸が なんになるの
心許なくて ふるえてた風の中

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます

 

作詞:中島みゆき

歌詞の意味・解釈

1番

なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない

今や誰もが知る名曲「糸」ですが、この曲を単なる明るいラブソングだと思って歌詞を眺めていると、何か大きな違和感があることにすぐに気が付きます。

 

なぜめぐり逢うのか、いつめぐり逢うのか、私たちは何も知らない。

 

楽曲冒頭で描かれているのは、「君に出会えてうれしい」とか「君と出会えるのは必然だった」のような温かくて優しいものでは決してありません。

そこにあるのは、運命を前にした時の私たち人間の無力さに他ならないのです。

 

この出会いに意味があるのかは定かではないし、果たして出会えるかどうかすらもわからない。

理想論を歌うわけではなく、何も断言されていない状態から楽曲はスタートします。

 

骨助
骨助

一見すると親しみやすい楽曲ですが、よくよく歌詞を見ていくと現実的で残酷な側面を抱えているのです。

 

どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語

出会いは偶然であって、奇跡的なものなのだ。

「どこにいたの 生きてきたの」

という歌詞からは中島みゆきさんのそんな考え方が垣間見えます。

 

今でこそインターネットが普及してどこの誰とであっても関係を持てる時代ではありますが、時代背景を考えれば遠く離れた二人がお互いを正確に把握する術などありません。

連絡する術を持たなければ、何処にいるかもわからないし生きているかすらも確かではないはずです。

 

そんな二人の人生が直接交わることは、本当に天の定めとしか言いようがないものであって私たちは無力なんだ

そんなことを言われているような気がします。

 

サビ1

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

ここまでの歌詞での悲観的ともいえるスタンスは、よく見るとサビでも変わっていません。

 

「いつか誰かを 暖めうるかもしれない」

 

「暖めうる」であっても確実ではないのに、暖めうるかもしれないなんてもっと可能性としては低いもの。

もはやこれは限りなく憶測や勘に近い話です。

 

言い換えてしまえば、二人の出会いには何の意味もないのかもしれない。

直接的にはそんなことは歌われていませんが、そのくらいの残酷さを秘めた歌詞なのです。

 

しかしそんな楽曲が今なお多くの人に愛されるのは、その歌詞が現実を見つめながらもどこか希望を感じさせるものだからでしょう

 

「いつか誰かを暖めうるかもしれない」

 

そんなのはただの可能性に過ぎないけれど、もしかしたらこの出会いが誰かを救うかもしれない

暗い現実の中に、柔らかく温かい歌声で微かな希望を与えてくれるからこそ、いつの時代の人々もこの曲の光に引き寄せられるのです。

 

2番

なぜ 生きてゆくのかを
迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡の ささくれ

2番でも楽曲の基本的な態度は変わりません。

 

何故生きるのかに思い悩んでは苦しむし、夢を追いかけては転んで傷つく。

保証されたことなんか何一つなくて、人間はどこまでも脆くて弱い存在です。

 

出会いはおろか、命そのものすらもずっと不確かなものであるという言い回しがいつの時代でも普遍性をもって胸に突き刺さってきます。

災害の最中や、何か惨憺たる事件が起こった後に。

ひょっとしたら楽曲が制作された時よりも、今の薄暗くて不安な時代の中でこそ輝く楽曲なのかもしれません。

 

 

こんな糸が なんになるの
心許なくて ふるえてた風の中

そんなささくれだらけの糸が一体何になるのだろう。

脆くて不確かなこの命が一体何になるのだろう。

 

そうした不安に、時に私たちは打ちひしがれます。

この曲で描かれているのは「恋」や「愛」というよりも、私たちの命の灯そのものなのです

 

骨助
骨助

サビの歌詞では、そんな不確かな命をそっと肯定してくれます。

 

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