サビ2
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない
ささくれだらけで心もとない糸。
しかしそんな中でも、この楽曲は希望を歌います。
「織りなす布はいつか誰かの傷をかばうかもしれない」
たとえそれが一つの可能性に過ぎないとしても、もしかしたら。
もしそうであるならば、一本では脆くて不確かなこの命にも意味があるのだと思えるかもしれません。
ただ単に前向きに明るいことを唄うわけではなく、いつの時代にも蔓延る暗い現実を見据えた普遍的な歌詞であるからこそ世代を超えて愛される楽曲となったのでしょう。
ラストサビ
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます
曲だけを聴いていると気付くことはありませんが、歌詞を見ると「幸せ」ではなく「仕合わせ」となっていることに気が付きます。
「しあわせ」は「幸運。幸福。」の意味と「めぐりあわせ。運命。」の意味の二つを持ちますが、「仕合わせ」と表記する際は主に後者のニュアンス。
つまり結局最後まで、この楽曲は何も明言してくれないのです。
逢うべき糸に出会えることは紛れもなく「仕合わせ」であって事のめぐり合わせであることは間違いないけれど、果たしてそれが「幸せ」であるかはわかりません。
しかも「人は・・仕合せと呼ぶ」だけであって、それは絶対的事実ではありません。
そして「逢うべき糸に 出逢えたことを」でもよかったはずなのに、歌詞は「逢うべき糸に 出逢えることを」となっています。
縦の糸のあなたと横の糸の私が「逢うべき糸」であったのかどうかさえ、明言はされず濁されたままなのです。
それでも、「糸」を一曲通して聞くとむしろポジティブな曲であるようにすら感じられます。
それはきっと明るい曲調のおかげであり、中島さんの歌声のおかげであり、希望への微かな可能性を残した歌詞のおかげでもあるでしょう。
明るいだけではないけれど、確かな優しさ・温もりを感じさせてくれる楽曲。
改めて偉大な名曲だと感じさせられました……
感想
確かなことなんかひとつもない。
それでも、この楽曲は「何かこの命には意味があるかもしれない」という希望の光を静かに灯してくれます。
不思議とそうなのだと信じさせてくれます。
きっとだからこそ、いつの時代も人々はこの名曲にすがりたくなるのでしょう。
【中島みゆき/糸】
歌詞の意味の解釈でした!
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コメント
今はもうほとんど彼女の歌を聞かない。
この糸もしらない。
帯広の中島みゆきの住んでいた場所を訪問したことがあった。
そこはすでにテニスコートになっていた。
鉄道のすぐそばで、、、。
そんな歌もあった。
たての糸とよこの糸が交じる瞬間はあったが、
やがて切れた。
糸は縁ある人と交わるだけでなく、縁なき人とも交わる。
遠い記憶をたどったとき、僕は帯広にいた。
彼女が見た風景と僕が見た風景は時代の中で交錯する。
糸とはそんな気がする。
何かこの曲を聴いて、歌って、シューベルトの歌曲(EX 冬の旅)を連想しました。