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【優里/桜晴】歌詞の意味を徹底解釈!今日はうまく笑えない悲しくないのに。

【優里】「桜晴(読み方:さくらばれ)」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

読みどころ

✔ 優里が曲に込めた想いとは
✔ 造語『桜晴』が意味するものとは
✔ 心温まる優しい卒業詩

 

サルー
サルー

優里さんが心を込めて作った『桜晴』の歌詞をじっくり見ていきます。ぜひ最後まで一緒に見ていきましょう!

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親への感謝を綴る卒業ソング

→Apple Musicでフル視聴する 

 

今回紹介していく「桜晴」は両親の感謝を綴った卒業ソング。

 

今年卒業をする方はもちろん、来年卒業を控えている方や既に卒業を終えて社会人になっている方にも刺さる圧倒的バラードナンバーになっています。

 

サルー
サルー

実際に私は社会人になっている立場ですが、まさに卒業式の情景や学生生活が蘇ってきて仲間たちや両親のことがたまらなく愛しくなりました。

 

また本楽曲について優里は

歌詞を作っている途中、何か足りないんだよなぁ、最後まで何か足りないんだよなぁとずっと考えていました。

それは自分の両親の存在でした。

僕はこのメールをきっかけに自分の両親に感謝の気持ちを伝えようとそう思いました。僕は親にいっぱい心配かけたなと 迷惑かけたなと思っています。

これからも心配をかけちゃうことがあるかもしれませんが、いつか何かでお返しできたらなと思っています。

と以下のYouTube動画にてコメントを残しています。

 

楽曲についてのコメントや経緯、生歌まで収録されているので、未視聴の方はこの機会にぜひご覧ください。

 

サルー
サルー

では本題の楽曲考察に移っていきましょう。まずはタイトル名に着目していきます。

楽曲名「桜晴」とは

まず前提として本タイトル「桜晴」の読み方は「おうせい」ではなく「さくらばれ」になります。

そして「桜晴」という言葉は本楽曲のために作られた造語。

 

卒業ソングとして歌われる「桜晴」。

春を想起させる「桜」に留まらず「桜晴」というタイトルが付けられたのは、きっと晴れの日のような清々しさや晴れ晴れしさ、肯定感を強調したい意があるのでしょう。

 

ただ歌詞では「今日はうまく笑えない 悲しくないのに」など、なんだか晴れ晴れしないフレーズも多数存在します。

 

桜晴の歌詞全文を読み取った時に見えてくるのは何なのか。

 

サルー
サルー

本題の歌詞考察に移っていきましょう!

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歌詞

窓に洗濯物が揺れる
どこか懐かしい午後は
母の声が聞こえそうで
胸がいつもより狭くなる

桜のはなびら 散るあの高架下
父の背中を追いかけていた

今日は
うまく笑えない 悲しくないのに
父と母の面影浮かぶ
僕の背中を押した 桜晴
涙が溢れそうになるのは何故

スーパーの買い物袋の
音とただいまの声に
いつもと違うありがとうが
胸にそっと溢れてくる

どんな時も 育ててくれた貴方と
心無き声にくじけた夜

今日は
うまく笑えない 悲しくないのに
突き刺すような言葉さえも
僕の背中を押した桜晴
足を踏み出せるんだ そう思うよ

同じ歌を 口ずさめば
きっと何かわかる
憎しみとか苦しいこと
今はただ忘れて

今日は
うまく笑えない そのままでいいよ
言葉を胸に行く 桜晴
今はさよなら またねでいいかな
どんなに遠くなっても
忘れたくない

作詞:優里

歌詞の意味・解釈

1番

窓に洗濯物が揺れる
どこか懐かしい午後は
母の声が聞こえそうで
胸がいつもより狭くなる

歌い出しの歌詞は、何気ない日常の切り取りが少し遠い目線で描かれていきます。

 

それもそのはず。本楽曲は卒業の歌。

何気ない日常であることには変わりないのだけど、この先同じようには続いていかない日常。

だから感慨深く日常を噛みしめる。

 

そして日常を噛みしめたときに自ずと浮かんでくる「母」の面影。

胸がいつもより狭くなる。つまり胸がキュッと締め付けられるような気分になるのは、今まで自分を支えてくれた感謝と日常が切り替わる切なさが相まっているのでしょう。

 

卒業の日の嬉しいような寂しいような特別な感覚。

それが遠い目で描かれる日常の情景歌詞に滲み出ているのです。

 

桜のはなびら 散るあの高架下
父の背中を追いかけていた

自分にとっての支えであった「母」が描かれた後は、自分にとっての憧れであった「父」が描写されていきます。

 

サルー
サルー

個人的には共感してしまうことが多くあるのですが、卒業の日ってやけに両親の温もりやありがたみを感じますよね。普段よぎりもしない「父の背中」や「母の声」が脳裏に再生されてしまう…

サビ1

今日は
うまく笑えない 悲しくないのに
父と母の面影浮かぶ
僕の背中を押した 桜晴
涙が溢れそうになるのは何故

サビでは卒業式の日に多くの人が抱えるであろう心中がリアルに描かれています。

 

これは僕だけかも知れませんが、卒業式の日って特段大泣きするわけでも、馬鹿笑いするわけでもないんですよね。

前に進めて嬉しいような、でも今一緒にいる仲間達やクラスメイトと一生会えないような。そんな釈然としない感情が交差して特別な心色を彩るのですよね。

やっぱり「うまく笑えない」わけです。

 

言うならば「ずっとこの仲間たちとずっと同じ時間を共有できたらいいのに」なんて想いが優位に立つ人も多いかも知れません。

だけど季節が、春が、桜が、両親の笑顔が「僕の背中を押す」のですよね。

 

サルー
サルー

やばいこの時点で卒業したときのあの頃の情景が蘇ってきて胸が狭くなっています…

 

それと余談ですが、優里は制作の背景動画にて「(リモート卒業式も多いコロナ禍の中で)見せてあげることはできないけどさ(桜が)目に浮かぶようにはしてあげたいよね」とコメントを残しています。

名前の通りなんて優しいんだ。

 

桜とともに卒業式ができない多くの学生が連想できるように「桜」ではなく「桜晴」。

きっと万人が輝きの中の桜を彷彿したことでしょう。

 

サルー
サルー

実際僕が初めて曲名を見たときに連想したのがそれでした。歌詞のワード1つ1つが心に響きますね。では続く歌詞を追っていきます!

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コメント

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