2番
スーパーの買い物袋の
音とただいまの声に
いつもと違うありがとうが
胸にそっと溢れてくるどんな時も 育ててくれた貴方と
心無き声にくじけた夜
2番のABメロで歌われるのは、1番と同様「母」についてです。
歌詞の情景は【卒業式の日の夕暮れに母がスーパーで買い物をして帰ってくる】といったものですね。
母にとってはいつもと変わらない行動だとしても、卒業を終えて感慨深い気持ちになっている身からしたら「いつもと違うありがとう」を送りたくなる。
すごく温かい感謝の気持ち。
これは『どんな時も育ててくれた貴方』にだからこそ思わされた気持ちで、きっと今まで受け取った温かい気持ちを無意識に返還しているんですよね。
僕は独立して親とは離れて暮らしているのですが、無性にありがとうを伝えたくなりました、、、
サビ2
今日は
うまく笑えない 悲しくないのに
突き刺すような言葉さえも
僕の背中を押した桜晴
足を踏み出せるんだ そう思うよ
サビ1と共通する歌詞の多いサビ2ですが
- 父と母の面影浮かぶ
→突き刺すような言葉さえも - 涙が溢れそうになるのは何故
→足を踏み出せるんだ そう思うよ
にそれぞれ変化しています。
両親の感謝の意が強いサビ1に比べると、過去との決別の意が強い。
決別とは言っても過去を永劫に忘れるというよりは、上を向いて前に進むような、、、まさに「足を踏み出せるんだ」といった歌詞に集約する情景ですね。
誰しもが胸を突き刺すような言葉を受けたことくらいあるはずです。
しかしだからこそ、その度に強くなって、乗り越えて、今の自分が形成されているわけです。
どんな言葉も僕の背中を押した桜晴だと、そう前に向きに捉えるだけできっと未来はより晴れ晴れしたものになりますよね。
3番
同じ歌を 口ずさめば
きっと何かわかる
憎しみとか苦しいこと
今はただ忘れて
3番で歌われているのも、少しサビ2と関連するような、負の感情との決別です。
歌詞だけ見ると学生生活で起きた辛いことや苦しいことだけが対象であるように感じてしまうかも知れません。しかしきっとこれはコロナ禍を乗り越えたうえでの卒業といった現代の苦悩に寄り添っているのでしょう。
いま学生じゃない僕は、あくまでリアルに想像することしかできませんが、急変した学生生活のせいで特別な想いを果たせなかった人も少なくはないでしょう。
きっと各々が各々の形で涙を飲んでいる。
だから責めて皆でできることを。『同じ歌を口ずさもう』と言っている。
ラストサビ
今日は
うまく笑えない そのままでいいよ
言葉を胸に行く 桜晴
今はさよなら またねでいいかな
どんなに遠くなっても
忘れたくない
ラストサビではともに学生生活を送った仲間たちとの別れが描かれています。
やはり歌詞のはじめから描かれてきた卒業式特有の釈然としない気持ちを最後まで感じさせられるのです。
成長できていくことに、未来がずっと続いていくことに喜びを感じながらも、もう会えないかも知れない仲間たちを見て儚さを感じてしまう。
だから『さよならではなくまたね』を選びたくなるのですよね。
優里が描いた卒業ソング『桜晴』は、卒業式の日のリアルな感情に寄り添いつつも、両親や仲間たちのことを一層愛おしく思わせてくれる優しい歌だったのです。
感想
卒業の日に多くの人が感じるであろう割り切れない感情。その中で生まれる温かい気持ちこそが『桜晴』なのかも知れません。
桜晴を感じさせてくれた両親に、友達に、クラスメイトに、そして優里さんに感謝です。
あの卒業式の日に感じた『どんなに遠くなっても忘れたくない』という温かい感情。
その感情をどんなに遠くなっても忘れたくないと今思っています。
【優里/桜晴】
歌詞の意味の解釈でした!
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