【King Gnu(キングヌー)】の
「Prayer X(プレイヤーエックス)」について
MVと歌詞の意味を徹底的に
考察および解説していきたいと思います。
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楽曲名「Prayer X」とは
「Prayer」とは
「祈り、祈りの言葉、僅かな望み」。
「X」とは
「未知数、未知の物事」。
つまり、「未知の祈り」
≒「何かの祈り」「何者かの祈り」
といったところでしょうか。
この楽曲名が歌詞の内容と
どう関与しているのでしょうか。
アニメ「BANANA FISH」のED曲!
2018年にフジテレビにて
アニメ「BANANA FISH」は、
元々1985年〜1994年にかけて
『別冊少女コミック』にて連載された
吉田秋生作の少女漫画だったようです。
また、本作は2005年、2009年、
2012年に舞台化もされており、
引っ張りだこの作品のようですね。
主人公は、アメリカのスラム街の少年
アッシュ・リンクスと
日本人学生の奥村英二の二人。
二人がニューヨークを舞台に
様々な問題にぶつかりながら
「バナナフィッシュ」の謎に迫る
というハードなストーリー。
今回考察していく「Prayer X」は、
King Gnuが
こちらのアニメのエンディングテーマ曲
に選ばれたということで
特別に書き下ろした新曲なのです。
そのためか、巷では
など、アニメのファンの方々からも
かなりの高評価みたいですね!
それでは、
曲の内容が気になってきたところで
早速、本題にうつっていきましょう!
MVの意味・解釈
主人公は、あるピアニストのようです。
彼の周りには、彼を崇拝する多くの信者と
彼を支配する黒服がいます。
彼は、黒服に指示されながら、言われるがままに、作曲・演奏をし続けているようです。
MVでもお金の山がでてくるように
黒服はお金のためだけに
彼の才能をこき使っている
ことが分かります。
その彼の様子を、信者たちは
狂ったように崇拝しています。
彼の心はこの状況に絶望し、うなだれています。
しかし、これは何度も
でてくるシーンではありますが、
彼はそれでも、信者の中を歩き続ける。
黒服の思うがままの自分を演じ続ける。
そして、最後の最後に
彼はある一人の信者にナイフで刺されてしまう。その後、その刺さったナイフを自分の胸から抜き取り、さらに自身の頭に銃を向け自殺する。
以上のようなストーリーになっています。
このMVは何を意味するのでしょうか。
MVのストーリーを前提として踏まえ、
歌詞を丁寧に読み解いていきましょう!
歌詞
溢れ出した涙のように
一時の煌めく命ならば
出会いと別れを
繰り返す日々の中で
一体全体何を信じればいい?生まれ落ちた
その時には
泣き喚いていた
奪われないように
くたばらないように
生きるのが精一杯だ胸に刺さったナイフを
抜けずにいるの。
抜いたその瞬間
飛沫を上げて
涙が噴き出すでしょう?溢れ出した涙のように
一時の煌めく命ならば
出会いと別れを
繰り返す日々の中で
一体全体何を信じればいい?屈託のない笑顔の裏、
隠していた
生きるための嘘が
最早本当か嘘か
わからなくて自分の居場所でさえも
見失っているの
怒りに飲まれて
光に憧れて
今日も空を眺めるのでしょうこの人生に
意味があるのなら
教えてよ
脆く、儚い日々の中で
痛みや悲しみさえも
飲み干した今、僕らは
一体全体何を信じればいい?溢れ出した涙のように
一時の煌めく命ならば
出会いと別れを
繰り返す日々の中で
一体全体何を信じればいい?
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歌詞の意味・解釈
頭サビ
溢れ出した涙のように
一時の煌めく命ならば
出会いと別れを
繰り返す日々の中で
一体全体何を信じればいい?
主人公の心のうちを示しているようです。
自分の命は、
涙のように儚いものであるとしたら、
何を信じて生き抜けばいいのか?
この感情は
誰しもが抱いたことのある感情
なのではないでしょうか。
自らの人生がテーマとなっている曲
のようですね。
1番
生まれ落ちた
その時には
泣き喚いていた
奪われないように
くたばらないように
生きるのが精一杯だ胸に刺さったナイフを
抜けずにいるの。
抜いたその瞬間
飛沫を上げて
涙が噴き出すでしょう?
他人に自分の居場所を
居場所を奪われないように
それでも
自分がくたばってしまわないように
そのジレンマと戦いながら
生きていくのが精一杯だった。
生まれてきたときは
もちろん誰もが泣いていたけれど
それが永遠に続くように。
主人公は胸になにか
わだかまりをかかえて生きている
ようです。
「胸にささったナイフを抜けずにいるの」
自分の心になにか不安や葛藤が
あるのは分かっているけれど
それを認めて解決することができない。
なぜなら、解決しようと
抱いている感情に向き合った瞬間
涙が吹き出して
自分がつぶれていってしまうのを
恐れているから。
MVでいうと、ピアニストの主人公は
黒服に不本意な曲をつくらされていること、
信者は本当の自分ではなく
彼らに「作り上げられた自分」を
崇拝していること、について
なにか違和感を感じながら生きている。
サビ1
溢れ出した涙のように
一時の煌めく命ならば
出会いと別れを
繰り返す日々の中で
一体全体何を信じればいい?
そんな状況で自分の生き方について
考え続けています。
この違和感、絶望感を感じながら
生き続けることが正解なのか。
他人である黒服に言われるがまま生きて、
偽りの自分ではなく
本当の自分が愛されないまま、
死んでいっていいのか
(=ピアニスト人生を終わらせていいのか)。
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2番
屈託のない笑顔の裏、
隠していた
生きるための嘘が
最早本当か嘘か
わからなくて自分の居場所でさえも
見失っているの
怒りに飲まれて
光に憧れて
今日も空を眺めるのでしょう
信者たちに見せる営業の笑顔、
その裏にやはり隠れている自分の本心。
社会で生きるために、
人気を博していくために、
貫いてきた嘘は、それが
もはや「自分」ではないのか。
生き抜くための嘘をつきすぎて
本当の自分がもうわからない。
自分の居場所や、本心は
もう失った。
毎日希望と絶望を繰り返しながら
また答えもでずに呆然としている。
サビ2
この人生に
意味があるのなら
教えてよ
脆く、儚い日々の中で痛みや悲しみさえも
飲み干した今、僕らは
一体全体何を信じればいい?
社会のなかで生きていかなければならない、
他人の期待に応え無くてはならない、
自分の人生はなんのためにあるのか。
「痛みや悲しみさえも飲み干した」
期待されているピアニストとして
自分の不本意であることも全てやった。
命なんて儚い、いつかは消えるもの
だから貴重なものだとは分かっている。
でも、その人生で負の感情に苛まれる。
では、なんのために生きているのか。
ラストサビ
溢れ出した涙のように
一時の煌めく命ならば
出会いと別れを
繰り返す日々の中で
一体全体何を信じればいい?
「大切にしなければいけない」人生が
こんなにも苦しいのならば、
何に希望を抱いて生きていけばいいのか。
MVで最後にピアニストは涙を流しました。
ある信者に刺されたナイフを自ら抜くことで、
自分の感情を認め本心にたどり着くことができた。
最後に自ら打った銃は
「偽りの自分(つくられたピアニスト)
を殺す(終わりを告げる)」ことを
意味しているのではないでしょうか。
感想
MVも歌詞にリンクしていて、
さすがKing Gnuといった作品でしたね。
「BANANA FISH」ファンをも
納得させる理由が分かった気がします。
余談ですが、MVの終盤の方に
ピアニストを刺した信者ですが、
中盤(1:37〜)に
他の信者たちと礼拝のタイミングが
違う信者が一人いましたね。
おそらくこの人物なのではないでしょうか。
他の信者たちとは、異質の信者。
主人公の本心を見抜き、
生き方を変えるきっかけになりました。
わたしたちも、その信者のような
人に出会えるといいですね。
合わせて読みたい:【King Gnu】歌詞の意味解釈やアルバム情報、バンド情報など全てのまとめ!
【King Gnu/Prayer X】
MVと歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)
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コメント
素晴らしい