【King Gnu】の「逆夢」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。
✔ タイトル「逆夢」に込めた想い
✔ 「愛ほど歪んだ呪いはない」?
この楽曲における「夢」とは一体何のことなのか? 映画との関係性は? じっくり考察していきますのでぜひ最後までお読みください…!
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『呪術廻戦 0』EDテーマ
今回紹介していく「逆夢」は『劇場版 呪術廻戦 0』ED曲として書き下ろされた楽曲です。
12月24日の映画公開当日に今回の楽曲がエンディングテーマとして起用されていることがサプライズで発表され、音源の先行リリースもスタート。
映画は公開から3日間で180万人を動員し、公開当日の『MUSIC STATION ウルトラSUPER LIVE2021』にていきなり楽曲が生披露されるなど、映画・音楽共に凄まじいスピードで爆発的な旋風を巻き起こしています。
『呪術廻戦』は「週刊少年ジャンプ」で連載中の、シリーズ累計発行部数5000万部を突破している大人気コミック。
今回映画化が決定した『劇場版 呪術廻戦 0』は『呪術廻戦』の前日譚にあたる「東京都立呪術高等専門学校」(通称「0巻」)を原作としたもので、呪いを背負った主人公・乙骨憂太と最悪の呪詛師・夏油 傑の闘いを描いた作品となっています。
King Gnuの常田さんは楽曲について、
呪術廻戦 0を表現する上で一曲だけではどうしても作品を表現しきれなかったので二曲作りました
ㅤ
劇場版 呪術廻戦 0 & 一途と逆夢
宜しく頼みました!
とTwitterにてコメントされています。
激情的な高速ロックチューンだった「一途」とは打って変わって、「白日」「The hole」を彷彿とさせるようなバラードナンバーとなった「逆夢」。
一体どんな思いが込められた楽曲なのか、ここでは歌詞に注目して解説していきます!
映画の物語のネタバレを含みますので、まだ映画や原作を見られていない方はご注意ください。
歌詞
あなたが望むなら
この胸を射通して
頼りの無い僕もいつか
何者かに成れたなら訳もなく
涙が溢れそうな
夜を埋め尽くす
輝く夢と成る白い息は頼りなく
冬の寒さに溶けて消えた
あの日の重ねた手と手の
余熱じゃあまりに頼りないの春はいつだって
当たり前の様に
迎えに来ると
そう思っていたあの頃瞼閉じれば
夢はいつだって
正夢だと信じてたあの頃あなたが望むなら
何処迄も飛べるから
意気地の無い僕もいつか
生きる意味を見つけたなら愛と憎を
聢と繋ぎ合わせて
一生涯醒めない程の
荒んだ夢と成る凍える夜空を
二人で抜け出すの
あたたかいコートを
そっと掛けたならあなたはいつだって
当たり前の様に隣にいると
そう思っていたあの頃失くせやしない
記憶の雨が古傷へと
沁み渡ろうともあなたが望むなら
この胸を射通して
頼りの無い僕もいつか
何者かに成れたなら訳もなく
涙が溢れそうな
夜を埋め尽くす
輝く夢と成る記憶の海を潜って
愛の欠片を拾って
あなたの中にずっと
眩しい世界をそっとこの愛が例え呪いのように
じんわりとじんわりと
この身体蝕んだとしても心の奥底から
あなたが溢れ出して
求め合って重なり合う
その先で僕ら夢と成れあなたが望むなら
この胸を射通して
頼りの無い僕もいつか
何者かに成れたなら訳もなく
涙が溢れそうな
夜を埋め尽くす
輝く夢と成る正夢でも、逆夢だとしても
作詞:常田大希
歌詞の意味・解釈
あなたが望むなら
この胸を射通して
頼りの無い僕もいつか
何者かに成れたなら訳もなく
涙が溢れそうな
夜を埋め尽くす
輝く夢と成る
「一途」とは対照的に、ストリングスとピアノのアレンジが美しい、ゆったりとしたバラード曲となった「逆夢」。
「逆夢」は「正夢」の対義語で、現実にはならなかった夢の事を指す言葉です。
あなたが望むなら、この胸など射通してしまったっていい。
『呪術廻戦 0』劇中での乙骨の心情を思わせるような歌詞に続いて、楽曲ではこう歌われています。
頼りのない僕がいつの日か何者かに成れたなら、僕らはきっと「夢」になるのだ、と。
この曲最大のテーマとなっている「夢」という言葉は、一体どういった意味合いで用いられているのでしょうか。
この部分だけではよくわからないので、続く歌詞を見ていきましょう。
1番
白い息は頼りなく
冬の寒さに溶けて消えた
あの日の重ねた手と手の
余熱じゃあまりに頼りないの
1番冒頭では冬の白い吐息に自らを重ね合わせ、その頼りなさを悲観的に描写しています。
自分一人の命の温もりなんて、この凍えるように冷たい世の中ではほんの微かなもの。
だから人は寄り添い合って生きていくのでしょうが、劇中で主人公・乙骨の最愛の人は既に亡くなっているわけで、今から新しく暖を取ることは叶いません。
だから《あの日の重ねた手と手の 余熱じゃあまりに頼りないの》。
愛する人のいない現実を生きていく儚さや寂しさのようなものが感じられる歌詞になっています。
春はいつだって
当たり前の様に
迎えに来ると
そう思っていたあの頃瞼閉じれば
夢はいつだって
正夢だと信じてたあの頃
あの頃は春は当たり前のように迎えに来ると思っていた。
夢はいつだって正夢だと信じてた。
だけど現実はそうではなかった ――
Bメロでそんな後悔を歌うこの展開は、King Gnuの代表曲『白日』を彷彿とさせます。
《いつものように笑ってたんだ 分かり合えると思ってたんだ》
《季節を越えてまた出逢えたら君の名前を呼んでもいいかな その頃にはきっと春風が吹くだろう》
だけど春は待てど暮らせどやってこないし、もう君と笑い合うこともできません。
現実は残酷だ。もうきっと夢は正夢にはならない。
「だから今日だけは全てを忘れさせて」
白日のサビではそう歌われていましたが、そうならないのが今回の楽曲と「白日」の大きな違いです。
サビ1
あなたが望むなら
何処迄も飛べるから
意気地の無い僕もいつか
生きる意味を見つけたなら愛と憎を
聢と繋ぎ合わせて
一生涯醒めない程の
荒んだ夢と成る
あなたが望むなら、命だって投げ出すし何処迄だって飛んでゆける。
「あなた」は楽曲主人公にとっての希望であり、全てでした。
この楽曲では、そんな二人の愛の先にあるもの、自分が生きる意味を見つけた先にあるものが「夢」なのだと歌っています。
望んだこと全てが叶う訳はないし、他の誰かになんかなれやしない。
「白日」はもちろん他の楽曲も全てそうですが、常田さんの描く現実はいつだって残酷です。
しかし「夢」というものは、現実とは遥か対極にある存在。
現実を忘れさせてくれる、現実にはないものを思い描くことのできるオアシスです。
あなたと愛し合って、生きる意味を見つけたその先で、この人生は一生涯覚めない程の果てなき「夢」になる。
きっと夢を見たまま、現実を忘れたままで、何処迄だって飛んでゆける。
そんな彼らなりのハッピーエンドとしての意味合いで、この楽曲は「夢」という言葉を用いているのではないでしょうか。
2番
凍える夜空を
二人で抜け出すの
あたたかいコートを
そっと掛けたなら
一番では凍える寒空の下で頼りなく白い息を吐いていましたが、2番では ”二人で” そんな世界を抜け出そうとしています。
一人ではこの世界を生き抜いて行けるほどの温もりはないけれど、二人なら夢みたいな時間を過ごしていられるから。
愛を前にした、愛を享受した人間の無敵感のようなものが感じられる歌詞です。
あなたはいつだって
当たり前の様に隣にいると
そう思っていたあの頃失くせやしない
記憶の雨が古傷へと
沁み渡ろうとも
《そう思っていたあの頃》
とあるように、『呪術廻戦 0』の劇中では残念ながらそうはなりません。紆余曲折ありましたが主人公は目の前で愛する人を失ってしまったわけで、最愛の人は隣にいてくれやしませんでした。
別れの記憶はなくせやしないし、思い出は古傷に染み渡り今でも胸は痛みます。
だけど、それでも。
サビの歌詞では、決してこの出来事を悲観的には捉えていません。
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コメント
正直、俺の思っていた歌詞の意味とは少し違っていたので驚きました。
俺が思ったのは、「乙骨&里香」を表すだけでなく「五条&夏油」も表しているってことです。例えば、この一文を読めば如実に表されていると思います「失くせやしない記憶の雨が古傷へと沁み渡ろうとも」など。記憶の雨は、過去の五条と夏油を表している気がしました。それに、「当たり前のように隣りにいると」も、五条は夏油をずっと隣にいると思っていたと思っていたんだと思います。
「あの日重ねた手と手」は、里香が乙骨に指輪をわたした時のぬくもりかな、と個人的には思いました。里香が死ぬ少し前の温もりが今も少しだけ残っているのかな、と。
最後には、「愛と憎をしかと繋ぎ合わせ」も、夏油の非術師へ対する慈しみ「愛」と、猿だと見下す心「憎」を表していて、一生かける荒んだ夢となったのではないかな、と。
お門違いでしたらすみません。
最近この楽曲をフルで何度も耳にする機会があり、曲と歌詞の美しさの虜になりました。映画をまだ見ていないのですが、愛する人を亡くした人がそれでも生涯をかけて純愛を貫こうとしていることは痛いほど伝わってきます。歌詞のもつ深い意味をもっと知りたいと思い、こちらを拝読いたしました。
現実で取り返しがつかないとしても、現実はいつか終わる。夢になることができれば、闇を照らすことも、失ったはずのものを現実が終わったその先で、輝く永遠のものにできるかもしれない。いつかその時を迎えるために今を無駄にせず生きていこう…。
何気なく聴いただけで心の奥深いところまで沁み込んでくるような曲ですが、解説していただくことにより何倍もの力で心を揺さぶられました。
ありがとうございます。