【くじら】の「夜桜」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。
✔ 好きになったのに冷めてしまう恋心
✔ 桜ではなく夜桜の理由
✔ 短い歌詞に散りばめられた難解な言葉たち
3分ちょいという短い時間、そして短い歌詞の中に難解なワードと、考察しがいのある言葉たちが散りばめられていました。ぜひ最後までご覧ください!
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テンポの良さと歌詞の内容は反比例?
今回解説していく「夜桜」は、ボーカロイドプロデューサー「くじら」の9作目のナンバー。
今作もFlowerに歌わせるボカロバージョンに加え、めいちゃんとのフィーチャリングバージョンが公開・リリースされています。これがまたすごく良い。
はじまりのギターが関心を呼び、テンポの良さや機械音が相まって、さらに中毒性がグッと上がっている印象です。
リズムよく進んでいく楽曲ですが、実は歌詞の物語は反比例したものになっています。まずは楽曲タイトル名に注目してみましょう。
楽曲名「夜桜」とは
「夜桜」と聞くと、乙のある春の風物詩を想像しますよね。
ただ本楽曲においての「桜」は
「恋心」
を対比させているものなのではないかと解釈しています。
根拠は2つ。
- シンプルに春が恋を予感させる点
- (夜)桜=恋心だと考えると歌詞の解像度がグッと上がる点
個人的にですが、そう仮定をおくと難解な歌詞の情景がストンと腑に落ちたのです。
つまり「夜桜が散った」というのは、、、
と、ここはじっくり歌詞を見ながら解説していきますね。一緒に歌詞を追っていきましょう!
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歌詞
窓の外 手に入れたら
影の影 もう時間だよこのまま溶け合って いつかくる別れを
今はまだ
手に入れてしまったら 満足してしまう
目の前には君の髪夜桜が散って ベイビー それで
春を終わりにしようか なんて
水面に揺れて止まった蝶はもういない小悪魔が泣いたせいで 僕ら
右往左往しかないね そうだ
夏の匂いがもう この街に来てる滲む目と夕陽の奥
ここはまだ 僕らの時間だ夜桜が散って ベイビー それで
春を終わりにしようか なんて
水面に揺れて止まった蝶はもういない小悪魔が泣いたせいで 僕ら
右往左往しかないね そうだ
夏の匂いがもう この街に来てる作詞:くじら
歌詞の意味・解釈
1番
窓の外 手に入れたら
影の影 もう時間だよ
最初に結論から申し上げますと本楽曲では「恋心が散って今にも離れ離れになりそうな二人」が描かれています。
そして歌い出しのAメロでは、恋心を抱いていた君を手に入れた情景と、後に関係性に陰りが出てきたという2つの情景が描かれています。
本楽曲の時節は「春」であるため、窓の外に広がっているのは、景色いっぱいの春。
これは「恋心のメタファー」だと考えることができるため、窓の外(春)で手に入れたのは、恋心。すなわち歌詞中の「君」です。
ただ手に入れた恋心も、時間とともに(春の終わりとともに)、陰りが出てきてしまっているのでしょう。こちらの心情については続くBメロがさらに強調させていきます。
順に歌詞を追っていきます。
このまま溶け合って いつかくる別れを
今はまだ
手に入れてしまったら 満足してしまう
目の前には君の髪
こちらのBメロで、両者を取り巻く情景だったり、恋心が沈静しそうになっている主人公の心情だったりが分かりやすく伝わってきますね。
手に入れてしまったら 満足してしまう。
かなり生意気でわがままに聞こえるかも知れませんが、特に男は共感してしまいがちな部分ではないでしょうか。よく聞く言葉で言うと、釣った魚に餌をやらないってやつですね。
身体を重ねながらも、冷めていく自分を感じる主人公。
しかし完全に冷めたわけではなく、今は冷めかけの状態であるため「今はまだ、、、」と残った恋心を温めようとするような情景が描かれています。
冷めていく自分に抗っているとも取れますね。せっかく実った恋が沈静してきているのですから、そりゃそうなりますよね…
サビ1
夜桜が散って ベイビー それで
春を終わりにしようか なんて
水面に揺れて止まった蝶はもういない
サビでは冷めてしまった主人公を比喩する言葉がつらつらと綴られていきます。
タイトル名解釈の欄でもお話ししましたが「桜=恋心」だと仮説を置くと「夜桜が散って ベイビー」というのは「恋心が散ってしまった、、、」という前文歌詞と非常に辻褄の合う解釈を行うことができます。
また面白いのが
水面に揺れて止まった蝶はもういない
という意味深な歌詞です。
一目見ただけでも
- 春に多く目にする「蝶」がいなくなった=春の象徴である恋がなくなった
と解釈することができますが、蝶にまつわる話まで深読みするとさらに面白いことが分かりました。
蝶は「予兆」という言葉と深い因果関係があるそうです。
といのも、スピリチュアルな観点から言うと、蝶々は何か物事が起きるときにメッセージを伝えに現れることから、予兆のことを〝予蝶〟として蝶という漢字を当て字として使うことが多いそう。
まさに冷めの予兆を感じている主人公にとって「蝶がいない」とは春が遠のく心情と、冷めを予感しているさまのダブルミーニングが含まれていると考えることができるのです。
ここまでピッタリ合うのが偶然とは思えません、、、
小悪魔が泣いたせいで 僕ら
右往左往しかないね そうだ
夏の匂いがもう この街に来てる
ここの「小悪魔」は主人公の冷めそうになっている悪い心を示すのではなく、恋相手の君のことを指しているのだと思います。
そもそも言葉自体が、男をもてあそぶ蠱惑的な女性を形容する表現としても用いられることが多いです。
「小悪魔が鳴いた」とかなら、主人公の胸の内に潜む小悪魔かなとも考えれましたが、あくまでも「小悪魔が泣いた」ですからね、、、
つまり
- 「小悪魔が泣いた」は、君が泣いてしまった情景
- 「右往左往しかないね」は、それを見て慌てふためいている主人公
をそれぞれ表しているのではないかなと。
そう考えると「夏の匂いがもうこの街に来てる」という本来ポジティブ寄りにあるはずの言葉も、前向きに見せた切ない言葉であることが読み取れます。
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2番
滲む目と夕陽の奥
ここはまだ 僕らの時間だ
2番の歌詞は上記の二文のみ。
そしてサビの終わりと同じように、ネガティブを抱えながらもポジティブでいようとする姿が映されています。
ネガティブなワードである「沈む目」と「夕陽」は「気持ちが落ちている様子」をそれぞれ指しているのでしょう。どちらも下がっていく状態を連想させる言葉になります。
だけどまだ完全には落ちて(冷めて)いない。
だから「ここはまだ僕らの時間」なのです。
「まだ…」っていうのが、いずれくる終わりを認知している隠れメッセージになるため、結果的には切ないものなのですが…
ラストサビ
夜桜が散って ベイビー それで
春を終わりにしようか なんて
水面に揺れて止まった蝶はもういない小悪魔が泣いたせいで 僕ら
右往左往しかないね そうだ
夏の匂いがもう この街に来てる
ラストサビで綴られる内容は、サビ1と同じ。
季節が常に変化していくように、主人公の恋心も変わってしまったのです。
変化してしまった感情に対して必死に抗っても、うつむいて見ないフリをしても、何の意味がないため、主人公はポジティブに春の終わりを受け入れようとしているのでしょう。
「桜」ではなく「夜桜」という言葉がタイトルに起用されているのは、少しでも前向きに終わりを飾ろうとしている主人公の心情を表しているのかも知れませんね。
物語性と反比例するテンポ感の良さも、無理やりのポジティブを表しているように思えます。
感想
ブワッと熱して、スッと冷めてしまう。
そんな恋を経験したことがある人にとって、なかなか共感性の高い楽曲だったのではないでしょうか。
あくまで自己解釈ですが、個人的には主人公の心情も共感してしまいました。生意気ですよね、、、(笑)
【くじら/夜桜】
歌詞の意味の解釈でした!
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