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【yama/クリーム】歌詞の意味を徹底解釈!くじら作詞の憂鬱ナンバーを深読み。

【yama(ヤマ)】「クリーム」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

読みどころ

✔ クリームというタイトル名の意味。
✔ 日常的で共感性の高い鬱歌詞。
✔ タイトルと歌詞の相関性。

 

サルー
サルー

yamaさんの歌声もそうですが、くじらさんの描写能力の高さも、独特の楽曲の色を作るのに欠かせない要素。ぜひ最後までご覧ください!

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楽曲の基本情報

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今回紹介していく「クリーム」は、作詞作曲をくじら、ボーカルをyamaが努めるアンニュイさ漂うナンバー。

 

『ねむるまち』『春を告げる』に続く、くじらさんとyamaさんの至高のコラボ楽曲ですね。(クリームが好きな方は是非これらの曲もお聴きください、好みと思います)

 

そして二人のコラボ楽曲には、主人公の憂鬱を覗かせるという共通点があります。本楽曲「クリーム」も強い哀愁に包まれるナンバーです。特に間奏の憂鬱感がすごい。

 

サルー
サルー

yamaさんとくじらさんにしか出せない独特でお馴染みの雰囲気ですよね。

 

では本題の楽曲考察に移っていきます。まずはシンプルながらも意味深な「クリーム」というタイトル名に着目していきましょう。

楽曲名「クリーム」とは

一見「クリーム」という単語だけを聞くと、牛乳からとれる黄白色のどろっとした甘いクリームを彷彿しますよね。

 

ただ本楽曲の歌詞で、そのような甘さはく、苦いタバコの煙が目にしみるような哀愁だけがこぼされていきます。

 

そしてその内容と重なるように、本楽曲のタイトル名「クリーム」も、タバコの煙をクリームに見立てるといったお茶目な比喩から成り立っています。

 

たばこの煙のように、苦く、儚く、消えていってしまう主人公の想い。。。

 

サルー
サルー

歌詞のフレーズ1つ1つに主人公の憂鬱が隠れこんでいます。本題の歌詞を見ていきましょう。

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歌詞

ベランダに出た
青い柵にもたれかかって煙を喫んだ
不確かな日々 歩きながら確かめていった

日が暮れるのが遅くなったね
だんだん暖かくなってきたね
風も気持ちよくなってきたね
窓をあけようか

茜色の空を眺めながら
肩にもたれかかって
夢みたいな日常がいつしかありました
寄り道は気づかないしあわせの形だね
変わらない階段と景色を刻んで
まどろみの中へ

白い壁が暖かい陽に染って
綺麗な街をこえていると
なんだか悲しくなったんだ
移りゆく景色これからの生活を想って暗がりへ
そっと目を閉じた

茜色の空を眺めながら
肩にもたれかかって
夢みたいな日常がいつしかありました
寄り道は気づかないしあわせの形だね
変わらない階段と景色を刻んで
まどろみの中へ

まどろみの中へ

茜色の空の下 子供が笑ってる
夜明けの海に涙沈めた

作詞:くじら

歌詞の意味・解釈

1番

ベランダに出た
青い柵にもたれかかって煙を喫んだ
不確かな日々 歩きながら確かめていった

歌い出しから伝わるのは、

  • 圧倒的な気だるさ
  • やるせない気持ち

に包まれている主人公の憂鬱。

 

確かに過ぎていく日々の中で、いなくなってしまった「不確かな君(日々)」だけを痛感しながら、たばこの煙をふかす。

 

サルー
サルー

鬱々たる主人公の日常が映されています。yamaさんの重くかすれた歌声が、主人公の憂鬱を象徴するようです…

 

日が暮れるのが遅くなったね
だんだん暖かくなってきたね
風も気持ちよくなってきたね
窓をあけようか

2つの皮肉な情景が綴られる歌詞。

 

皮肉ポイントその1は

寒色カラーな自分の心色を置いていくように、街は暖かく染まっていく

といったところです。

 

季節の過ぎ去りを過度に感じてしまうのは、君がいた季節から前に進めていないことを象徴しているように感じさせる。

 

何とか前に進もうとする姿勢が「窓をあけようか」という何気ないフレーズで表されています。

 

続いて皮肉ポイントその2は

誰もいないのに語り口調になっている

ということです。

 

実はこうして語り口調で歌詞が綴られるのは、ここだけではなく、サビ1も2番以降も同じ。

 

サルー
サルー
この語り口調が、君がいたころの癖が抜けていないことを示すのか、はたまた孤独感を拭うための防衛本能なのか、、、解釈幅は広いと思いますが、どちらにせよ主人公の憂鬱は伝わってきますね。

 

サビ1

茜色の空を眺めながら
肩にもたれかかって
夢みたいな日常がいつしかありました
寄り道は気づかないしあわせの形だね
変わらない階段と景色を刻んで
まどろみの中へ

回想する幸せだった日常。。。

 

サビ1では「失って気づく幸せ」といった、ありふれてはいる確信的な要素について説かれています。

 

主人公は環境の変化を経てようやく自分の幸せだった過去を再認識しているのです。

 

それが顕著に表れているのが

  1. 夢みたいな日常がいつしかありました
  2. 寄り道は気づかないしあわせの形だね

の2文になります。

 

1つ目の「いつしかありました」という言葉がありますが、そもそも「いつしか」というのは『時間の経過に伴う変化に気づかないうちに…』といった要素を含みます。

 

そして2つ目の文は、君がいなくなったことで「君と一緒に歩いた道は長かったんだ…」と認識している様子を示している。周りのことや時間の経過を感じないくらい、夢中で過ぎていく君との時間は幸せなものだった。

 

変わらない景色と変わってしまった日常を感じながら、まどろみの中へ進んでいく。

 

サルー
サルー

ちなみに「まどろみ」は、はっきりしていないことを示すのですが、これは「はっきりしたくない」という主人公の心情を写しているのでしょう。現実をまともに受け止めたくないのです…

 

2番以降も注目したいフレーズがいくつも綴られていきます。タイトルと結びつく歌詞の締めにも注目です。

 

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