ラストサビ
どんな最後が待っていようと
もう離せない手を繋いだよ
隣で (隣で) 君の側で 魂がここがいいと叫ぶ
リアルな人間の繋がりでも、きっと運命で結ばれたような素敵な友情や愛情の形があるでしょう。
ポケモンの話に置き換えても、一緒に旅をしたパートナーやあの日戦ったライバルは覚えているものだし、そのゲームの世界は最高に居心地のいいものです。
《どんな最後が待っていようと》
たとえ一時的に離れ離れになろうと、悪の組織と闘うことになろうと、天変地異に巻き込まれようと、破れた世界に飛び込むことになろうと。
魂は「君」の傍にいることを望んでいます。
PVは『ポケットモンスター ソード シールド』最初のパートナー・エースバーンと、チャンピオン・ダンデのリザードンの最終決戦。
《どんな最後が待っていようと もう離せない手を繋いだよ 隣で 君の側で 魂がここがいいと叫ぶ》
熱すぎる展開です……
そして理由が光る時 僕らを理由が抱きしめる時
誰より (近くで) 特等席で
僕の見た君を 君に伝えたい
君がいる事を 君に伝えたい
そうやって始まったんだよ
最後の最後で、一番初めの旅に出た理由の歌詞に帰着します。
そうやって始まったんだよ
たまに忘れるほど強い理由
透明よりも綺麗な輝きを確かめるために始まった冒険の旅。
そこにはきっと、あの日思い描いた美しい光景が待っています。
自分の命が、友情や愛情が、何もかもが冒険の中で煌めいていることにきっと気が付くでしょう。
そしてそこで、「君」が確かにそこにいることを君に伝えるのです。
ポケモンの話をしてしまえば、ポケモンは実体をもって目の前に現れることは残念ながらありません。
ライバルもヒロインも、実際には存在していません。
それでもゲームの中には、思い出の中には、確かに「君」がいたのです。
「君」がいたから、この冒険は始まったのですから。
終始ポケモンベースの話になってしまってBUMPファンの方には申し訳ない記事になってしまいましたが、ポケモンの素晴らしさを改めて感じさせてくれる最高の楽曲・PVでした…!
感想
ポケモンの始まりは1996年、ゲームボーイの赤緑。
シリーズ4作目のダイヤモンドパールでさえ発売は14年も前になります。
あの日感じた輝きを確かめにいこう。
そうやって冒険は始まりました。
ポケモントレーナー達は美しい旅の思い出をレポートに残しながら、やがて成長して大人になっていきます。
ポケモンとは、ポケモン達やライバルと共に冒険していく中で、あの日胸に抱いた輝きを確かめていく物語なのかもしれません。
字面で見ればなんだか痛くて小っ恥ずかしい話ですが、冒険を切り取ったMVを見ると高鳴る心臓が、その何よりの証拠ではないでしょうか。
【BUMP OF CHICKEN/アカシア】
歌詞の意味の解釈でした!
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コメント
楽しく読ませていただきました!スタンドバイミーのような演出は、初代のTVからだったんですね。初代現役世代なのに忘れてしまってました。
藤原さんは「言葉は心に近づけるけれど、心にはなれない」というような表現をよく使うので「言葉の外側で」は、本当に強いパートナーとの結びつきを表しているように思います。
「ここがいいと叫ぶ」の歌声が、ものすごくピカチュウを彷彿させるのも、涙腺にきます。
コメントありがとうございます…!
自分も自力では気付なかった部分も多く、MVのコメントやTwitterなどから借用させていただいておりますm(__)m
なるほど…どれもこれも本当に素敵な表現ですね。
2番の冒頭なんかも大好きです
考察楽しく読ませていただきました!
所々ポケモン目線で読んでも涙腺やばい歌詞が散りばめれてるのがファンに嬉しい歌詞になってますね。
“転んだら手を貸してもらうよりも〜”の部分は特に、ポケモン目線でトレーナーに信じて欲しい感じがして好きです。
あまり意識していませんでしたが、確かに2番の歌詞はポケモン目線な感じがしますね…
素敵な解釈ありがとうございます。
もうひたすら感動しかないです…
BW世代なのでアイリスとアデクのシーンは特にグッと来ました…
素敵な考察、ありがとうございます…!
自分はポケモン側の目線で歌ってます!どちら側の目線でも解釈とれると思いますよ。相棒のポケモンが自分より大きくて(足跡の部分)トレーナーとしての自分を信じてほしい、ならトレーナー側。自分は相棒にイーブイを想定したのでポケモン側で解釈しました。
「アカシア」というタイトルには「赤(初代)→シアン(剣盾)」という意味も含まれてるような気がします。。