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【Uru/振り子】歌詞の意味を徹底解釈!「罪の声」主題歌は浅薄ではない希望の歌

【Uru】「振り子」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✔ 映画「罪の声」との関係
✔ 描かれる残酷な現実

✔ 祈りに近い希望

 

骨助
骨助

映画「罪の声」主題歌として製作された楽曲。そこに込められた想いをじっくり考察していきます。

 

 

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映画「罪の声」主題歌

今回紹介していく「振り子」は映画「罪の声」主題歌として書き下ろされた楽曲です。

 

「罪の声」は塩田武士さんの小説「罪の声」を原作としたミステリー映画で、公開は2020年10月30日。

時効を迎えた昭和最大の未解決事件の真相を追う新聞記者・阿久津英士を小栗旬さんが、幼少期の自分がこの事件に関わっていたことを知ってしまう男・曽根俊也を星野源さんが演じています。

原作はフィクション作品となっていますが、その背景にあるのは1985年に実際に起こった未解決事件の一つであるグリコ・森永事件です。脅迫電話で子供の声が使われていたという事実が作品の題材となっています。

 

Uruさんは今回の主題歌制作に関して、

お話を頂き映画を拝見した時に、この作品に沿う主題歌とはどんな楽曲なのかとても考えました。
深く体に染み込ませる為に何度も観て少しずつ形にしていきましたが、希望を描こうとすると浅薄な思考や言葉ばかりが浮かび、再び観る。その繰り返しで、映画の人物達の目線で何度も書き直しました。
生きていると本当に様々な事がありますが、もし今、悲しみや苦しみの中にいて希望を見出せずにいたり、素直に涙を流す事が出来ずにいる方がいるのならば、この曲が「今悪い方へ振っているその振り子は、次は必ず光の方角へ振る」という希望になってくれることを願います。

とコメントされています。

 

非常に重いテーマを抱えた作品ですが、映画の登場人物たちの視点に寄り添いながらもなんとか希望を描き出した楽曲であるようです。

 

骨助
骨助

楽曲の制作背景を確認したところで、タイトルについて考察していきます。

楽曲名「振り子」とは

「振り子」とは定点を中心にして重力の作用により揺れを繰り返す物体のこと

そうやって堅苦しい言葉で説明するととっつきづらい感じがしますが、理科の授業などで誰もが目にしたことのある上の画像なんかが振り子にあたります。というか、ひもで物を吊るせばそれが振り子です。

 

先ほど引用したUruさんのコメントの中に、「今悪い方へ振っているその振り子は、次は必ず光の方角へ振る」という楽曲のテーマに関わる発言がありました。

楽曲中で直接「振り子」という言葉が使われることはありませんが、どうやら地に足がつかないまま、風に吹かれた方に流されてしまうような頼りない人間という存在を振り子に例えている様子。

その上で、揺れを繰り返す振り子の性質と照らし合わせながら、不安定な人生の中に何とか希望を見出そうとする楽曲であるようです。

 

骨助
骨助

ここからは、歌詞に主な焦点を当てながら楽曲を考察していきます。

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歌詞

薄汚れた網戸が ずっと目の奥にはまってて
青い空が見てみたくて 誰かに開けて欲しかった
求めれば求めた分だけ汚れてった
でも、誰かの傍にいることで
私はここに在った

ただ朝が来て夜が来る
ただ生まれて死にゆく
そこには何の意味もない
独りごちては腐った

床を撫でるだけの雑巾がけのように
形だけは一丁前で
塵を舞い上げて吸い込んで
噎せ返っては一人泣いて
それでも私はどこかで
ずっと愛を求めてた

毎日夢を見て毎日目が覚めて
夢と現実の狭間で
ぶら下がって足を浮かせたまんま
風が吹けば吹かれた方へ流されて
我武者羅に走った汗を
ただの塩にしてきた人生も

擦り減った靴の底には
泥や石が挟まったまま
私は生涯この靴で歩いていく
それでもあなたという光が
明日を照らしてくれたから

毎日夢をみて毎日目が覚めて
夢と現実の狭間で
ぶら下がって足を浮かせたまんま
風が吹けば吹かれた方へ流されて
我武者羅に走った汗を
ただの塩にしてきた人生も

愛を知って 生きる意味を知った

 

作詞:Uru

歌詞の意味・解釈

1番

薄汚れた網戸が ずっと目の奥にはまってて
青い空が見てみたくて 誰かに開けて欲しかった
求めれば求めた分だけ汚れてった
でも、誰かの傍にいることで
私はここに在った

この楽曲で歌われている内容は、大きく分けて二つです。

一つは、映画「罪の声」の登場人物が直面しているような重くて息苦しい現実

そしてもう一つは、それでも人間が生きていく理由。人間が生きることの源にある何か大きなものです。

この重厚な二つのテーマが交錯しながら、楽曲は展開していきます。

 

1番冒頭のこの歌詞もまさにその通り。

 

Uruさんの「映画の人物達の目線で何度も書き直しました。」というコメントがありましたが、この楽曲の背景にはやはり物語の世界観が広がっています。

 

《求めれば求めた分だけ汚れてった》

 

映画の中で、星野源さん演じる登場人物・曽根俊也は子供の頃に自らが関わってしまっていた事件についてその真相を追いかけています。

しかし、その先に光などあるはずがありません。

真実を求めれば求めるほど、自分が過去に犯してしまっていた罪を自覚していくだけ。

罪を犯してしまった人生は、生涯青い空が見えぬまま。

そこにあるのは、本当にどうしようもないような暗い現実です。

 

しかし、罪を抱えていてもなお彼が生きていこうとするのは何故か。

それは「誰かの傍にいる」から。

 

この二つのテーマを深く掘り下げていくように、歌詞はゆっくりと進行していきます。

 

ただ朝が来て夜が来る
ただ生まれて死にゆく
そこには何の意味もない
独りごちては腐った

この部分は人生の負の側面を深く抉りとるように、残酷な現実が突きつけられています。

 

人間なんて、ただ産まれてきては死んでいくだけ。そこに元々意味なんかありません。

「独りごちては」は「独り言を言っては」という意味。

独りごとが誰からも聞かれないままに消えていくように、命は何も残さずに終わっていくのです。

ただでさえ意味なんて無いのに、まして過去に罪を犯していたのであれば、本当に何のために生きてきたんだろう。そんなことを考えさせられます。

 

ここまで完全に映画の登場人物の視点で歌詞を眺めてきましたが、私たち聴き手もこの普遍的なテーマを他人事にはできないでしょう。

それが殺人や放火事件ではないにしろ、人間は必ず誰かしらに迷惑をかけながら生きています。

じゃあそれに見合うだけの、それを帳消しにできるだけの意味を私たちの人生は残せているのか。

考えるだけで虚しさに襲われます。

 

床を撫でるだけの雑巾がけのように
形だけは一丁前で
塵を舞い上げて吸い込んで
噎せ返っては一人泣いて
それでも私はどこかで
ずっと愛を求めてた

この歌詞も、一つ目のテーマである残酷な現実と二つ目のテーマである生きる理由が対照的に描かれています。

 

私たちの日々は、床を撫でるだけの雑巾がけのようなもの。

 

例えば作品中の登場人物たちは、過去に起こった事件を必死に掘り起こしては真実を追いかけています。

彼らの行動は勿論しっかりとしたものなのでしょうが、しかしながら、彼らのやっていることの本質は既に存在している過去をなぞっているだけに過ぎません。別にそれで過去が美しくなるわけでも、磨かれるわけでもないのです。

そして掘り返した過去と向かい合っては、勝手に悲しんで涙を流している登場人物たち。

その姿を一切の情を排除して達観してみると、ただ床を撫でるだけの雑巾がけをしているにすぎないのです。

 

ここでは映画の内容に例えて解釈してみましたが、人間の生命活動の大部分は所詮そんな無意味なものなのかもしれません。

 

じゃあ何で生きてるの?

 

そんな当然の疑問に対するこの楽曲での答えが、私たちは愛を求めているから

 

希望の欠片も見えないような世界観ではありますが、この楽曲では唯一「愛」というポジティブな要素が存在しています。逆に言えば、それ以外の歌詞は語弊を恐れずに言えば冷淡なものです。

 

サビ1

毎日夢を見て毎日目が覚めて
夢と現実の狭間で
ぶら下がって足を浮かせたまんま
風が吹けば吹かれた方へ流されて
我武者羅に走った汗を
ただの塩にしてきた人生も

サビではタイトルにあるように、人生を「振り子」に例えて表現しています。

冷たい現実の中で、ちょっと夢を見て希望を抱いてみては、また現実に突き戻される。

私たちの人生は、そんなサイクルを周期的に繰り返しています。

 

Uruさんは楽曲について《この曲が「今悪い方へ振っているその振り子は、次は必ず光の方角へ振る」という希望になってくれることを願います》とコメントされていました。

人生が振り子のように周期的に動き続けるのならば、今は辛い現実を前に打ちひしがれそうでもかならず光が見えてくるはずだ。

それがこの楽曲のメッセージです。

 

しかしここで少しひねくれて、更に先のことを考えてみましょう。

「今悪い方へ振っているその振り子は、次は必ず光の方角へ振る」

つまり、「光の方角へ振れた振り子は、次は必ず悪い方に振る」とも言い換えることができてしまいますよね。

そこにこの楽曲の残酷さがあるように思います。

 

再びUruさんのコメントを引用しますが、「希望を描こうとすると浅薄な思考や言葉ばかりが浮かび、再び観る。その繰り返しで、映画の人物達の目線で何度も書き直しました」という発言がありました。

「いつか全てが報われる」みたいなありきたりな希望を歌うことはきっと簡単でしょうが、それはきっと映画「罪の声」の世界を前にすれば嘘になってしまうでしょう。

 

犯した罪はどこまでいっても消えてなくなることはないし、永遠に人生が幸せな状態に留まることなんかないけど、きっと人生が光の方角へ振るタイミングもあるはずだ。

 

それが「罪の声」という作品を前にしても浅薄にならない、最大限の希望だったのではないでしょうか。

 

骨助
骨助

2番でも、1番同様に冷酷な現実と《愛》という希望が描かれていきます。

 

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コメント

  1. ミキオ より:

    歌のご解説ありがとうございます。大変深堀りされていて感動しました。
    一文訂正をお願いします。
    グリコ・松永事件とありますが、グリコ・森永事件が正解です。
    何卒よろしくお願いいたします。

    • 骨助骨助 より:

      ご指摘ありがとうございます。大変失礼いたしました。
      速やかに修正させていただきます。

  2. ジュック より:

    ウルさんの歌が大好きでよく聴いています。この『振り子』も好きな曲の一つですが、何とも意味深な歌詞だなあと。そしてこのサイトに辿り着きました。
    『罪の声』の主題歌と知り、今度は当時の事件を詳しく調べました。
    そしてその日のうちにアマプラで映画を見たのですが、邦画を殆ど見ない私ですが、この映画はとても良かったですね。勿論フィクションが中心ですが、ストーリーが良くできていましたし、涙も出ました。

    映画を見終わったあと、再びこのサイトに帰ってきて、ウルさんのコメントや骨助さんのコメントを見返しています。素晴らしい考察、ありがとうございます。ウルさんの歌、時々ご自分の事を書いていらっしゃるような気がしています。

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