TwitterはこちらApple Musicのレビュー

【藤井風/きらり】歌詞の意味を徹底解釈! “グルーヴ感”を体現したHonda VEZEL CMソング。

【藤井風】「きらり」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✔ 浮遊感のある不思議な歌詞

✔ 溢れ出す ”グルーヴ感”

 

骨助
骨助

軽快なメロディが一度聴いたら耳から離れない、聴き心地抜群のCM曲。歌詞をじっくり考察していきます!

 

 

スポンサーリンク

テーマは “Good Groove”

今回紹介していく「きらり」はHonda「All-New VEZEL e:HEV」CMソングとして書き下ろされた藤井風さんの楽曲。

2021年5月3日にデジタル配信がスタートしています。

 

藤井さんは楽曲について、

いただいたGood Grooveという言葉に導かれて、最高に気持ちのいい曲が誕生してしもうた! これがみんなの何もかもをキラリと照らして、どこまでも連れてってくれるわ! この素晴らしい出会いに大感謝! Good Groove!

とコメントされています。

また、この楽曲を起用したHondaのCM動画の概要欄には

“GOOD GROOVE“ 世界に、あたらしい気分を。
たどってきた道も、
めざす方向も違う誰かと、
それぞれの言葉で、
それぞれの表現で、
おなじものを楽しむその一体感は。
きっと、たまらないだろう。

と記載されています。

 

ここでの ”Groove”とはいわゆるカタカナの「グルーヴ」のことで、「集団で高揚し、盛り上がり、躍動すること」といった意味。日本語でいう「ノリ」です。

上手く言葉で表現することができない感覚ですが、集団で感じる感情のうねりみたいなものを指すと言われています。お祭りで集団が一体となって湧き上がっている感じなんかを思い浮かべるといいかもしれません。

現在は主に音楽の分野で言われている言葉で、思わず体を動かしたくなるような高揚感のことを  ”グルーヴ感”  なんて呼んだりします。

 

「Good Groove」という言葉に導かれたという今回の楽曲「きらり」は、一体何を歌った楽曲なのか。

今回の記事では歌詞に注目しながら、その魅力を紐解いていきます…!

 

骨助
骨助

さっそく本題の歌詞を見ていきましょう。

スポンサーリンク

歌詞

荒れ狂う季節の中を二人は一人きり さらり
明け行く夕日の中を今夜も昼下がり さらり

どれほど朽ち果てようと最後にゃ笑いたい
何のために戦おうとも動機は愛がいい

新しい日々は探さずとも常に ここに
色々見てきたけれどこの瞳は永遠に きらり

あれほど生きてきたけど全ては夢みたい
あれもこれも魅力的でも私は君がいい

どこにいたの 探してたよ
連れてって 連れてって
何もかも 捨ててくよ
どこまでも どこまでも

荒れ狂う 季節の中も 群衆の中も
君とならば さらり さらり
新しい日々も 拙い過去も 全てがきらり

無くしてしまったものを振り返って ほろり
時には途方に暮れてただ風に吹かれて ゆらり

息せき切ってきたの
行き先は決めたの
迷わずに行きたいけど保証はしないよ

何か分かったようで
何も分かってなくて
だけどそれが分かって本当に良かった

新しい日々は探さずとも常に ここに
常にここに ここに
色々見てきたけれどこの瞳は永遠に きらり
永遠に きらり

生きてきたけど全ては夢みたい
あれもこれも魅力的でも私は君がいい

どこにいたの 探してたよ
連れてって 連れてって
何もかも 捨ててくよ
どこまでも どこまでも

荒れ狂う 季節の中も 群衆の中も
君とならば さらり さらり
新しい日々も 拙い過去も 全てがきらり

 

作詞:藤井風

歌詞の意味・解釈

1番

荒れ狂う季節の中を二人は一人きり さらり
明け行く夕日の中を今夜も昼下がり さらり

どれほど朽ち果てようと最後にゃ笑いたい
何のために戦おうとも動機は愛がいい

「いただいたGood Grooveという言葉に導かれて、最高に気持ちのいい曲が誕生してしもうた!」という藤井さんのコメントからもわかるように、今回の楽曲で非常に大きなテーマとなっているのは ”Groove”という感覚です。

集団で感じる感情のうねりや、ここじゃないどこかに連れて行ってくれるような高揚感。

「きらり」という楽曲はまさにそれを体現しています。

 

楽曲冒頭の歌詞で注目すべきは、やはりこの 独特の浮遊感でしょう。

 

《二人は一人きり》だけでも直視すると違和感のある表現ですが、《明け行く夕日の中を今夜も昼下がり》なんて歌詞はさらに恐ろしいくらいに時空が歪んでいます。本来「夜が明ける」のであって夕日は明けないし、《今夜も昼下がり》に関してはもっとめちゃくちゃです。

そんな摩訶不思議な歌詞が軽快なメロディに乗せて歌われ、《さらり》という最高にドライなワードで流されていくという、明け方に見る夢みたいな藤井風の言語世界

 

これがまた、地に足のつかないような高揚感、つまり ”グルーヴ感” を演出しています。

 

新しい日々は探さずとも常に ここに
色々見てきたけれどこの瞳は永遠に きらり

あれほど生きてきたけど全ては夢みたい
あれもこれも魅力的でも私は君がいい

この楽曲で描かれる毎日は、いつも魅力的で輝かしいものです。

《あれほど生きてきたけど全ては夢みたい》

生きていてなかなかそう思える機会はないけれど、この楽曲の夢見心地な浮遊感のなかでは不思議とそうであるような気がしてきます。

 

また、”グルーヴ” という言葉の意味は集団で高揚し、盛り上がり、躍動すること

そこには他者の存在が欠かせません。

その意味で、《あれもこれも魅力的でも私は君がいい》と歌い上げるこの歌詞もまたグルーヴです。

 

「君となら全ての日々がきらりと輝いて見える」

そんな他者との交流を通じて感じる心の躍動感が、サビでは描かれていきます。

 

サビ1

どこにいたの 探してたよ
連れてって 連れてって
何もかも 捨ててくよ
どこまでも どこまでも

荒れ狂う 季節の中も 群衆の中も
君とならば さらり さらり
新しい日々も 拙い過去も 全てがきらり

思わず体を動かしたくなるようなリズムのなかで歌われていく、心地よい言葉の数々。

”君”がここではない何処か素晴らしいへと連れ出してくれるような、そんな得も言えない胸の高鳴りを感じます。

 

誰かと過ごすことで感情が高まっていって、新しい日々も拙い過去も、全てがきらりと輝いて見えるような高揚感。

それこそがこの楽曲が描き出す ”グルーヴ感”なのです。

 

骨助
骨助

2番ではここまでとは違った楽曲の一面が見えてきます。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました