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【藤井風/青春病】歌詞の意味を徹底解釈!描かれるのは「青春」に対する否定!?

【藤井風】「青春病(Seishun Sick)」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

読みどころ

✔ 青春を捨てることを肯定した楽曲
✔ 藤井風の卓越した人生観
✔ 歌詞が捨てきれない夢にもがく人に刺さる

 

サルー
サルー

頭サビから始まる本楽曲は割とキャッチーな方なのに、歌詞で綴られている内容は王道のソレとは真反対。藤井風が描く卓越した歌詞を一緒に読み込んでいきましょう!

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誰しもが心に飼っている「青春」

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今回紹介していく「青春病」は、2020年10月30日に別楽曲「へでもねーよ」と同時配信リリースされた楽曲。

 

そして両曲はリリース前日の日本武道館単独公演にて初披露。スタイルの違う良曲たちにファンは惚れ惚れ。特に頭サビから始まる「青春病」のインパクトは凄まじい。

 

きっと誰しもが心の中に「青春」を飼っている。本楽曲の歌詞に共感して本記事に辿り着いた方はその辺りの共感性が強いのではないでしょうか。だからこそ現実との葛藤にもがき苦しんでしまう。

 

サルー
サルー

大衆の心理を理解しているというか、本当に楽曲1つ1つにセンスが溢れてる… ではいよいよ本題の楽曲考察に移っていきます。まずはタイトル名に着目していきましょう!

楽曲名「青春病」とは

言わずもがなですが「青春病」とは造語であり、実際に存在する病気ではありません。幻想的な疾患ですね。

 

ただ「青春病」という言葉を見たときに連想される徴候や歌詞全文から読み取るに「青い夢を追い求めてしまう病気」といったところでしょうか。

 

深読みも何もないそのまんまの解釈ですが、まさに「若き日の熱を帯び続けているが故のもがき」のようなものが歌詞の情景として描かれていきます。

若人目線で言うと「青春がいつまでも続くわけではない」という教訓にすら聴こえてくる。

 

幻想的疾患「青春病」

これに悩む人を藤井風はどう表現していくのでしょうか。

 

サルー
サルー

歌詞を細かく見ていきましょう!言葉1つにセンスが宿っています。

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歌詞

青春の病に侵され
儚いものばかり
いつの日か粉になって散るだけ
青春はどどめ色
青春にサヨナラを

ヤメた あんなことあの日でもうヤメた
と思ってた でも違った
僕は 自分が思うほど強くはなかった
ムリだ 絶ち切ってしまうなんてムリだ
と思ってた でも違った
僕は 自分が思うほど弱くはなかった

君の声が 君の声が
頭かすめては焦る
こんなままじゃ こんなままじゃ
僕はここで息絶える

止まることなく走り続けてきた
本当はそんな風に思いたいだけだった
ちょっと進んでまたちょっと下がっては
気付けばもう暗い空

青春の病に侵され
儚いものばかり求めて
いつの日か粉になって散るだけ
青春はどどめ色
青春にサヨナラを

そうか 結局は皆つながってるから
寂しいよね 苦しいよね
なんて 自分をなだめてるヒマなんて無かった

君の声が 君の声が
僕の中で叫び出す
耳すませば 耳すませば
何もかもがよみがえる

止まることなく走り続けてゆけ
何かが僕にいつでも急かすけど
どこへ向かって走り続けんだっけ
気付けばまた明ける空

無常の水面が波立てば
ため息混じりの朝焼けが
いつかは消えゆく身であれば
こだわらせるな罰当たりが

切れど切れど纏わりつく泥の渦に生きてる
この体は先も見えぬ熱を持て余してる
野ざらしにされた場所でただ漂う獣に
心奪われたことなど一度たりと無いのに

青春のきらめきの中に
永遠の光を見ないで
いつの日か粉になって知るだけ
青春の儚さを…

作詞:藤井風

歌詞の意味・解釈

頭サビ

青春の病に侵され
儚いものばかり
いつの日か粉になって散るだけ
青春はどどめ色
青春にサヨナラを

これから歌詞を読み込んで行く訳ですが、先にお願いしたいのは「あなたが心に秘めている青春」を頭に浮かばせてほしいです。

 

「スーパースターになりたい」「あの娘を手に入れたい」「(何かの分野で)トップになりたい」など、何でも良いです。とにかく「情熱を帯びて追いかけたい(たかった)もの」を連想してください。

 

すると楽曲の解像度・共感度がグッと上がると思います。そのうえで歌詞を見てきましょう。

 

まず歌い出しの頭サビでは、いきなり「青春の残酷さ」「青春を追いかける自分への皮肉」が描かれています。

 

人間って満ち足りているものより、少し足りない・届かないくらいのものを追い求めてしまいますよね。こういった事象を「青春の病」と言っており、儚くもいつか散ると投げ捨てられています。

 

また歌詞で表現されている「どどめ色」は、正確な定義のない色ではあるものの、「青ざめた唇の色」「打撲などによる青アザ」の表現に用いられることが多い言葉です。

 

「青い」「春」と書くのが青春であるため「青春は青い。」とかでも本来なら納得しそうなのですが、青に比べると泥臭さやネガティブイメージの強い「どどめ色」を起用している。

 

青春をやや悲観的に捉えている本楽曲において「どどめ色」という表現はまさに的確なのです。センス高い。深い。

 

1番

ヤメた あんなことあの日でもうヤメた
と思ってた でも違った
僕は 自分が思うほど強くはなかった
ムリだ 絶ち切ってしまうなんてムリだ
と思ってた でも違った
僕は 自分が思うほど弱くはなかった

1番のAメロも普通に歌詞を読んでいるだけで「ん?」と考えさせられる。

 

この歌詞で言っていることは

  • あの日でもう止めた → 強い
  • 断ち切ってしまう → 強い

といったところ。

 

止めたり断ち切ってしまったりすることを「強い」と称して、その逆の断ち切らないことを「弱い」と称しています。

 

すがりつかない強さ、、、と言いますか、すがりついていることで疲弊していく自分を分かっているから、(青春を)手放すことこそ正義だと言っているのでしょう。

 

君の声が 君の声が
頭かすめては焦る
こんなままじゃ こんなままじゃ
僕はここで息絶える

止まることなく走り続けてきた
本当はそんな風に思いたいだけだった
ちょっと進んでまたちょっと下がっては
気付けばもう暗い空

続く歌詞で綴られているのは「焦燥と現実」といったところ。

 

自分が止まっていると、青春から遠のいていくことは目に見えているから「こんなままじゃ息絶える」と命からがらの叫びを吐き出している。

 

しかし焦燥に駆られて前に走っていたつもりでも、実際は「ちょっと進んでまたちょっと下がっては」の繰り返し。完全に「もがき」の中で苦しんでいるだけなのです。

 

苦しんでいるだけのもがき(止まり)をしていても、青い空は暗くなってしまう。

だから前の歌詞では断ち切ることを「強い」と称していたのでしょう。

 

サビ1

青春の病に侵され
儚いものばかり求めて
いつの日か粉になって散るだけ
青春はどどめ色
青春にサヨナラを

サビ1の内容は、頭サビに綴られていたものと全く同じですが、1番ABメロの歌詞を読み取った後だと特に「青春にサヨナラを」の意味が伝わってくる。

 

自分自身さえも粉になって散ってしまう前に、青春にサヨナラを…

青春ゆえにもがく人々の苦悶を代読しているようです。

 

サルー
サルー

歌詞は2番に続いていきます。全てを読み解いていくことで「青春病」というタイトルも腑に落ちてきます。

 

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