3番
どこまで いつまで 生きられるか
君が不安になるたびに強がるんだ
大丈夫 僕が横にいるよ
見えない線を繋ごう
前にも触れましたが、本来は星と星どうしは天文学的な距離で離れており、両者の繋がりはこれといってありません。
しかし人はそれを見えない線でつなぎ合わせ、夜空に星座を描きます。
《大丈夫 僕が横にいるよ 見えない線を繋ごう》
不安な時も運命で繋がっているから、僕らは絶対に離れない。
もちろんそんな言葉は “強がり” で、誰がいつまで生きられるかなんてことは私たちは知り得ないし、実際には二人を繋ぐ線なんかありません。
明日絶対に ”君” が死なない保証なんかどこにもありません。
夜空の星と同じように、二人を繋ぐ何かなんて本当はないのです。
だけど、きっと繋がっているから僕らは絶対に大丈夫。
きっと僕が横にいるから大丈夫。
私たちはいつの日もそう願って、日々を生きていくほかありません。
ラストサビ
僕ら見つけあって 手繰りあって 同じ空
輝くのだって 二人だって 約束した
遥か遠く終わらないべテルギウス
誰かに繋ぐ魔法僕ら 肩並べ 手取り合って 進んでく
辛い時だって 二人だって 誓っただろう
遥か遠く終わらないべテルギウス
君にも見えるだろう 祈りが
《僕ら 肩並べ 手取り合って 進んでく》
星座とは、星と星がどうか運命的な何かで繋がっていて欲しいという人間の幻想であり、願いです。
しかしオリオン座を知っている人ならば、冬の夜空を見上げたときに確かにオリオン座の星と星が線でつながっているように感じるものです。
《遥か遠く終わらないべテルギウス 君にも見えるだろう 祈りが》
ベテルギウスがオリオン座で輝いているように、自分も誰かとずっと繋がりあって生きていたい。
「ベテルギウス」はそんな祈りの楽曲なのです。
思えばBUMP OF CHICKINは楽曲「天体観測」で《イマ》をほうき星に例えたし、「プラネタリウム」では恋の憧れを一番星に例えています。
米津玄師は「orion」で《もう二度と離れないように あなたと二人 あの星座のように結んでほしくて》と願っています。
人間関係と天体のメタファーは、文学の恒久的なテーマなのかもしれません。
【優里/ベテルギウス】
歌詞の意味の解釈でした!
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コメント
僕が、知らなかったことを教えてくれた相手は、1番光っているベテルギウスのように心は光っていたんデスネ。いい歌ですね。この歌大好きです。