【King Gnu】の「雨燦々」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。
✓ タイトル「雨燦々」の意味
✓ 垣間見えるKing Gnu らしさ
「雨」をテーマとした楽曲としては珍しく、爽やかでポジティブな一曲。歌詞に注目して、その魅力をじっくり紐解いていきます。
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『オールドルーキー』主題歌
今回紹介していく「雨燦々」はTBS系日曜劇場『オールドルーキー』の主題歌として書き下ろされた楽曲です。
2022年6月26日のドラマの初回放送にて楽曲が初解禁され、7月15日に配信リリースが開始されました。
ドラマ『オールドルーキー』は現役を引退した元プロサッカー選手の新町亮太郎が、スポーツマネジメントとしてのセカンドキャリアを歩んでいく姿を描いた作品。
主人公の新町役は綾野剛さんが務めています。
King Gnuの常田さんは楽曲について
日曜劇場『オールドルーキー』の主題歌のために“雨燦々”という楽曲を書き下ろしました。お話を頂き脚本を読み込んで行く内に、登場人物達の魅力に引き込まれて時間を忘れて読み耽ってしまったのが良い思い出です。こんなポジティブなエネルギーに満ちた作品に力を添えられた事をとても嬉しく思っております。
意外にもKing Gnu としては剛ちゃんとの初作品になりますね! 我々としましては今までの自分達には無い、新しいラインの楽曲に仕上がりました。聴いていただくのが楽しみです。どうぞ宜しく!
とコメントされていました。
常田さんの親友として知られ、ラジオでの共演や対談企画、主演映画へのmillennium paradeの楽曲提供など、King Gnuのメンバーと公私ともに親交の深い綾野剛さんですが、King Gnuとのタッグは意外にも今作が初めて。
King Gnuとしては前例がないほどに爽やかな楽曲「雨燦々」にはどんな思いが込められているのか、この記事では歌詞に注目して解説していきます。
まずはタイトル「雨燦々」について言及しておきます。
楽曲名「雨燦々」
楽曲のタイトルは「雨燦々」ですが、実はこの「燦々」という言葉は本来「太陽の光が燦々と降り注ぐ」のように明るく輝いているものに対して使う表現です。
一般に「雨さんさん」という時の「さんさん」は「潸々」の方で、こちらは涙が流れる様子や雨が降る様子に対して用いられます。
美空ひばりの名曲「愛燦燦」の歌詞も、《雨 潸々と この身に落ちて わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして》であって《雨 燦々と》ではありません。
つまるところこの楽曲のタイトルでは、あえて雨に対して、本来は太陽に使うはずの「燦々」という表現を使っているというわけです。
雨をネガティブなものではなく、太陽の光のように降り注ぐ煌びやかなものとして描こうとしていることが「雨燦々」というタイトルには表れているように感じます。
この曲が「雨」をどう描いているのか、歌詞を見ながら考察していきましょう。
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歌詞
選べよ 変わりゆく時代を 割り切れなくとも
この瞬間この舞台を 生き抜くから
手答えの無い 今日でさえも紡ぐよ でこぼこな此の道に 降り注ぐ雨燦々と
悩ましく 生き惑う僕らの
悲しみさえも 水に流してゆく錆びついた自転車を走らせて 君へと向かうのさ 雨に濡れながら帰ろう
臨時ニュースの報せでは
どうやらこれから土砂降りの雨が降るらしい
傘を忘れた溜め息は
夕立ちが連れてきた夏の匂いに解けてゆく過去を謳う悲しみ達が 雲となり雨を打ちつける
叫べよ 気の晴れるまで 声は雨に掻き消され
今じゃ何処の 誰にも届かなくても
手遅れになってしまった 未来へさえも繋ぐよ そのバトンを
静かに待ってる人がいる 雨燦々と悩ましく
生き惑う僕らの 悲しみさえも水に流してゆく線路沿い風を切り 一直線に君へと向かうのさ 雨に濡れながら帰ろう
雨燦々と降り注ぎ 夏を弾いて反射した 僕らを映し出す
雨燦々と降り注ぎ 夏を泳いでずぶ濡れの 僕らを映し出す烈しく照りつける太陽よ 僕らを導いておくれよ
未来を謳う言葉だけが 風となり森を吹き抜ける選べよ 変わりゆく時代を 割り切れなくとも
この瞬間この舞台を 生き抜くから
青き春の瞬きから 何度醒めようとも紡ぐよ でこぼこな此の道に 降り注ぐ雨燦々と
悩ましく 生き惑う僕らの
悲しみさえも 水に流してゆく錆びついた自転車を走らせて 君へと向かうのさ 雨に濡れながら帰ろう
作詞:Daiki Tsuneta
歌詞の意味・解釈
選べよ 変わりゆく時代を 割り切れなくとも
この瞬間この舞台を 生き抜くから
手答えの無い 今日でさえも紡ぐよ でこぼこな此の道に 降り注ぐ雨燦々と
悩ましく 生き惑う僕らの
悲しみさえも 水に流してゆく錆びついた自転車を走らせて 君へと向かうのさ 雨に濡れながら帰ろう
タイトルや冒頭の歌詞からも分かるように、「雨燦々」は「雨」を題材にした楽曲です。
一般に日本の文学作品において、雨はネガティブな情景の象徴として描かれることがほとんど。
King Gnuの楽曲でも「傘」という曲なんかはまさにそうですが、男女の別れの場面や主人公が困難に直面する場面では大抵雨が降っており、人物の鬱屈とした心が間接的に表現されています。
《でこぼこな此の道に 降り注ぐ雨燦々と》
ドラマで綾野剛さん演じる新町は半ば強制的にサッカー選手を引退させられ、路頭に迷い、まさに人生における雨の中にいると言えるでしょう。
《悩ましく 生き惑う僕らの 悲しみさえも 水に流してゆく》
しかしこの楽曲では、そんな「雨」が悲しみを水に流していく爽やかなものとして描かれています。
タイトルは「雨潸潸」ではなく「雨燦々」。
太陽のように、輝かしく私たちの元へ降り注ぐもの。
このように、今回の楽曲の特殊な雨の扱いに注目しながら、この先の歌詞をじっくり解説していきます。
1番
臨時ニュースの報せでは
どうやらこれから土砂降りの雨が降るらしい
傘を忘れた溜め息は
夕立ちが連れてきた夏の匂いに解けてゆく
1番のAメロはよくある夏の夕の情景から。
近頃はスコールのような局所的な雨も珍しくなくなってきました。
同じように、世の中の状況はころころと移り変わり突然窮地に立たされることも決して珍しいことではありません。
《臨時ニュースの報せでは どうやらこれから土砂降りの雨が降るらしい》
夕立を知らせる臨時ニュースを歌ったこの歌詞は、この先の雨が降り注ぐ楽曲の展開をわかりやすく導入しています。
俗っぽく言い換えれば、この先の歌詞で土砂降りの雨が降って、主人公が傘が無くて濡れるというフラグを立てているのです。
過去を謳う悲しみ達が 雲となり雨を打ちつける
臨時ニュースの予報通り、さっそく曲中で激しい雨が降り始めます。
King Gnuの曲でこういったメロディの展開になると常田さんがボーカルを担当することがほとんどですが、今回の曲は井口さんのままです。
この曲での「雨」はある意味で、現在自分が置かれている厳しい精神状況の比喩であるといえるでしょう。
過去を謳う悲しみ達が立ち込めて、心に雨を降らしています。
しかしこの曲における「雨」は、先ほども述べたように単にネガティブなものではありません。
サビ1
叫べよ 気の晴れるまで 声は雨に掻き消され
今じゃ何処の 誰にも届かなくても
手遅れになってしまった 未来へさえも繋ぐよ そのバトンを
静かに待ってる人がいる 雨燦々と悩ましく
生き惑う僕らの 悲しみさえも水に流してゆく
この曲において雨は、”生き惑う僕らの哀しみを水に流してくれるもの”。
暖かくて、爽やかで、濡れてしまったのに気持ち良さすら覚えるような、そんなポジティブなものとして描かれています。
《声は雨に掻き消され 今じゃ何処の 誰にも届かなくても》
作中で元日本代表だった新町が今では見方によっては落ちぶれて、引退を余儀なくされ、裏方に回ったように、私たちを取り巻く世の中の状況は絶えず変化して、どうしようもないような立場に追いやられてしまうこともいくらでもあるでしょう。
かつての自分はもっとキラキラした人生を送っていて、声に耳を貸してくれる人がたくさんいて、表舞台で輝いていたのに。
美しい青春を過ごしていたのに。
過去を謳う悲しみ達が、状況が変わってしまった今では雲となり雨を打ちつけます。
《雨燦々と悩ましく生き惑う僕らの 悲しみさえも水に流してゆく》
それでも、生き惑いながらも雨に打たれて進んでいく美しさをこの楽曲は説いていきます。
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