【クリープハイプ】の
「愛す(読み方:ブス)」について
歌詞の意味を徹底的に
考察および解説していきたいと思います。
捻くれた主人公のリアルな心情、
切なすぎるストーリーに共感間違いなしです。
個人的に泣けました。
是非、最後までご覧ください。
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楽曲の基本情報
今回紹介していく「愛す」は、2019年11月18日放送のFM802「ROCK KIDS 802-OCHIKEN Goes ON!!-」で初オンエアされたナンバー。
切ないメロディから歌い出されていく「愛す」。さすが尾崎世界観作詞と言わんばかりに、歌詞のストーリーや登場人物がひねくれており、クリープハイプ好きを「これだ」と唸らせる出来栄えに仕上がっています。また得意の秀逸的な比喩表現が、今作でも炸裂していく。
尾崎世界観が描く歌詞の世界観に注目ですね。また捻くれているのは歌詞だけではなく、楽曲タイトル名も然りです。
楽曲名「愛す(ブス)」とは
「愛す」は「愛する」と同じ意味で
かわいがる。
愛情をそそぐ。
が本来の意味になっています。
しかし、本楽曲の捻くれている部分は
「愛す」と書いて「ブス」と読むこと。
愛す=ブス
となってしまう方程式は、捻くれた主人公のキャラクターから成り立っており、歌詞の情景を丁寧に読み取っていくことで、なぜこのようなタイトルになったのか、明確になってきます。
タイトルだけ見ると「ふざけてるのかな?」なんて思ってしまいがちですが、歌詞を含めて解釈すると、ものすごく切ないものに変わるのです。
本題の歌詞考察に移っていきます。
歌詞
逆にもうブスとしか言えないくらい愛しい
それも言えなかった
急ぎなほら遅れるよやがて
ドアが閉まるバス君がいいなそばがいいな
やっぱりそばには
君じゃなくちゃダメだな
違うよ黄身って誤魔化して
蕎麦の中の月見てるベイビー ダーリン 会いたい
メイビー ダーリン 曖昧
ベイビー ダーリン 会いたい
ような気がしないでもないいつもほらブスとか言って素直になれなくて
ちゃんと言えなかった
ごめんね 好きだよ
さよなら 時間通りに来るバス
逆にもうブスとしか言えないほど愛しい
それも言えなかった
急ぎなほら送れるよ
やがてドアが閉まるバス肩にかけたカバンのねじれた部分がもどかしい
何度言っても直らなかった癖だ
もう元に戻してあげられなくなるんだな
自分でその手を離したくせにベイビー ダーリン 会いたい
メイビー ダーリン あ、今いい
ベイビー ダーリン 会いたい
って思ってるだけでいつもほらブスとか言って素直になれなくて
ちゃんと言えなかった
好きだよ いまさら
ごめんね 時間通りに出るバス
逆にもうブスとしか言えないほど愛しい
それも言えなかった
ねじれてもう戻らない
見上げれば空には月作詞作曲:尾崎世界観
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歌詞の意味・解釈
1番
逆にもうブスとしか言えないくらい愛しい
それも言えなかった
急ぎなほら遅れるよやがて
ドアが閉まるバス
歌詞の1行目から
主人公の捻くれた愛情
が伝わってくるのですが、これは実際の行動とは相反しているものだと「逆に」という言葉で気付かされる。
接続詞として使われる「逆に」は、
- 状態が反対であること
- 順序が反対であること
を表す意味がある。
そのため、逆に愛しい
と綴られる本歌詞は、愛情表現をすることができなかった主人公の実像を写していることが読み取れるのです。
バスに乗って旅立ってしまう君。
本歌詞では上記のような、もどかしいストーリーが展開されていくのです。
君と主人公は物理的な事情で離れ離れになる。
といった背景を先に把握しておくことで、つづく歌詞の情景理解がスムーズになるかと。
では、歌詞を追っていきましょう。
君がいいなそばがいいな
やっぱりそばには
君じゃなくちゃダメだな
違うよ黄身って誤魔化して
蕎麦の中の月見てる
ここの歌詞の比喩表現が面白く秀逸的。
メッセージ性としては
「そばにいるのは君がいい」。
伝えたいものはそれだけ。
それなのに、ストレートな愛情表現ができない主人公は、君を「黄身」と書いて想いを誤魔化してしまう。
しかし、
蕎麦(そば)の中の月(黄身)を見ては
側(そば)に合うのは君(きみ)だけだ。
と自己理解を進めているのです。
- 君=黄身=蕎麦の中の月
- そば=蕎麦=側
これらがリンクする歌詞が本当に面白い。ここまで「側にいるのは君が良い」を分かりにくい解釈で述べているのも、すべては捻くれた主人公のキャラクター像を表現しているからです。
ベイビー ダーリン 会いたい
メイビー ダーリン 曖昧
ベイビー ダーリン 会いたい
ような気がしないでもない
Bメロに綴られるのは、素直になれない葛藤。
「会いたい」という素直な気持ちは、「曖昧」に濁して誤魔化してしまい、「ベイビー(恋人を呼ぶ際の決まり文句)」と真っ直ぐ叫びたいのに、「メイビー(たぶん)」とはっきりしない呼びかけを送ってしまう。
この「素直になれない」を繰り返した結果が、続くサビの情景に繋がっていく。
サビ1
いつもほらブスとか言って素直になれなくて
ちゃんと言えなかった
ごめんね 好きだよ
さよなら 時間通りに来るバス
逆にもうブスとしか言えないほど愛しい
それも言えなかった
急ぎなほら送れるよ
やがてドアが閉まるバス
ここのサビで
「愛す」と書いて「ブス」と読む
歪なタイトルの意味が回収される。
照れくさくて、素直になれなくて、どう伝えればいいか分からなくて、、、たくさんの葛藤を抱えてきた主人公は、愛情表現の代わりに「ブス」という冗談を言い続けてきたのです。きっと、それが楽だったから。関係が保たれていく恋に甘えていたから。
だから君が遠くに行ってしまう日ですらも「ブス」としか言えない。どれだけ心の中で「ごめんね 好きだよ」と繰り返しても、口に出して伝えることができないのです。
結局“それも言えなかった”とあるように、素直な気持ちは何一つ伝えることができないまま、バスのドアは閉じていくのです。
個人的に、日常から愛を伝えていなかったことや、その壁を乗り越えることを怠っていたことが招いた「報い」のようにも感じました。
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2番
肩にかけたカバンのねじれた部分がもどかしい
何度言っても直らなかった癖だ
もう元に戻してあげられなくなるんだな
自分でその手を離したくせに
「肩にかけたカバンのねじれ」
愛情表現はできないのに、細かい指摘はうるさいくらいしてきた主人公。自分に飽き飽きしながらも「そんな細かい指摘ができていたのは、愛情を持って君の近くにいた自分の特権だった」と気付く。
君のことを近くで見ていた証。それを失ってしまうことを急に痛感して、一気に切なさや悲しさが主人公を襲っています。
バスに乗る直前
急ぎなほら送れるよ
なんて言ったのは自分。
強がりで意地っ張りな主人公は、自分でその手を離したくせに、窓の向こう側に見える君を見て、どうしようもないほどの切なさに襲われているのです。
ラストサビ
いつもほらブスとか言って素直になれなくて
ちゃんと言えなかった
好きだよ いまさら
ごめんね 時間通りに出るバス
逆にもうブスとしか言えないほど愛しい
それも言えなかった
ねじれてもう戻らない
見上げれば空には月
君とお別れした主人公は切なすぎる気持ちを抱えつつ、君を連れ去っていった「時間通りに出たバス」や「ちゃんと言えなかった自分」を回想しては、戻らない時間と後悔にのたうち回っている。
蕎麦の中の月=そばにいた君
は
見上げた空の月=遠くにいった君
に変わってしまった。
どんなに後悔しても、切なさが溢れても、時間は戻ってこないし、君が遠くに行ったことを受け入れることしかできない。
「愛」を「ブス」で表現していた日常は、主人公にとって何よりも幸せな日々だった。
感想
ここまで切ない歌だったとは「愛す」。
中盤以降は主人公に入り込み過ぎて、涙ぐみながら歌詞解釈を行っていました(笑) 素直になれない気持ちは共感できるから、深く入り込めたのだろうと思います。
また本楽曲を通して
日常から言葉で愛を伝えることの大切さ
という教訓を学んだようにも感じます。
付き合いが長くなればなるほど、お互いに慣れれば慣れるほど、愛を伝える言葉って減っていくような気がします。伝えなくても伝わっているという「甘え・慢心」が原因なのでしょうが、そうこそやはり脅威になるのだなと、勝手ながらに学ばせて頂きました。
【クリープハイプ/愛す】
歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)
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コメント
いい解説ですね(^^)
愛す、とてもいい曲で初めて聴いたときから大好きになりました。
私は
ブス(彼女)=bus(バス)を掛けて
素直になれない主人公から彼女の気持ちが離れていく様子を、バスを使って表現しているのかな、とも思いました。
こんばんは。
新しいクリープハイプの側面を生み出しつつ、歌詞にはしっかり世界観が残っている。まさに名曲ですよね。
私も先日楽曲を視聴していて、ようやくその掛け合いに気付けたところでした。尾崎さん得意の比喩表現炸裂ですね。
素敵なコメントありがとうございます。