2番
散らかった部屋に押し潰されそうだ
人はいつだって臆病な生き物でしょう
締め切った窓は呼吸を
重くしてしまっているんだろうか
「散らかった部屋」という歌詞は見逃してはいけない主人公のSOSではないかと。
散らかった部屋は心理的に「寂しい」という感情が原因になりやすいと言われています。周りに物があることで、一人じゃない安心感を得ることができるのです。
実際の意図は分かりかねますが「散らかった部屋」というのが、ぶっきらぼうな主人公の性格を表しているだけではなく、こういった心理的な側面に関与していると考えると、面白いなと。
その後に続く「締め切った窓」も閉鎖的になってしまうことで、自ら愛を遠ざけてしまっている主人公を演出しています。
大都会の他愛もない大恋愛
高く飛びたきゃ膝を曲げるんだ
しゃがまなきゃ飛べやしないな
ひとりぼっち 孤独渦巻いた
ここから抜け出さなきゃ
自分を好きになりたいんだ
- 愛が欲しい
- 愛がこわい
複雑な感情が絡み合い、主人公は苦悩している。
大都会の他愛もない大恋愛
という漠然とした「憧れ」を頭に浮かべては「いやいや自分には無理だ」と葛藤しているのです。
だがネガティブな感情だけかと言うとそうではなく「しゃがまなきゃ飛べやしない」と、自分のいま感じている「孤独」や「疎外感」を飛ぶために助走だと言い聞かせている。
苦悩の中に垣間見える一筋の希望が眩しい。
サビ2
明日を信じてみませんか
なんて綺麗事を並べたって
無情に回り続ける社会
無駄なもんは切り捨てられるんだ大義名分のお通りだ
この通り不条理まかり通り
知らずのうち葬られようが
後には引けやしないんだ
前半は1番と同じように「社会の無情さ」が描かれているのですが、後半の歌詞からは「無情な社会で生き抜く意志」が伝わってくるのではないでしょうか。
そもそも主人公が感じている「社会の無情さ」は、愛を感じれないことが原因にあります。つまりその中で「生き抜く意志」を灯したということは、「愛を信じて進もうとしている」ことと同義です。
逆境の中で主人公は前を向こうとしている。
3番
駅前を流れる
人々を眺めてる
大都会
他愛のない
会話さえ
やけに煩わしくてここはどこ、私は誰
継ぎ接ぎだらけの記憶の影
煌めく宴とは無関係な
日常へ吸い込まれ、おやすみ
前を向いた主人公はとうとう大都会に出ます。
おお、ハッピーエンドで終演か。
と思いきやそうではありません。
大都会に出た主人公を待っていたのは「やけに煩わしい」人間たち。煩わしいとは、自分の心を悩ましてうるさいものやできれば避けたい気持ちを表す言葉。
賑やかな人たちに紛れ込むどころか「煌めく宴とは無関係な日常へ吸い込まれ、おやすみ」とあるように、自分がもともといた閉鎖的な部屋に戻ってしまうのです。
散らかった部屋に戻った主人公は、おそらく再び「孤独感」に襲われて愛を渇望することでしょう。
もしかしたら主人公はこれを永遠ループしてしまうのかも知れません。
そうすると化かし合いを意味する「どろん」というタイトルが歌詞の内容に絶妙にマッチする。
主人公は、愛が原因で起こる「まやかし」の中でうごめいているのだ。いやそれこそが人間の本質なのかも知れない。
感想
いかがでしょうか。
何百曲と歌詞考察を行ってきた私ですが、3番以降の歌詞の展開は2番までの歌詞の流れからは予想できなものでした。輝かしい未来(愛)を掴んで終わるはずだろ、、、ってなりました(笑)
もしかすると誰も読み切れない驚きの結末が描かれているという、映画「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」の狙いに寄り添っているのかも知れません。
そう考えると常田さん策士すぎる、、、
合わせて読みたい:【King Gnu】歌詞の意味解釈やアルバム情報、バンド情報など全てのまとめ!
【King Gnu/どろん】
歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)
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コメント
これもポップミュージシャンとして生きる常田の葛藤ですね。現にTeenagerForeverの「明日を信じてみたいの」の大衆ウケするワードをここでは否定しています。常田には二面性がある。正義か悪かそんなの考えてないで結果を出して黙らせるという面と大衆ウケとか結果とか関係なくほんとに自分がいいと思える作品を作りたいという面。常田は資本主義芸術論と社会主義芸術論とで葛藤してるんだと思います。