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【米津玄師/PLACEBO+野田洋次郎】歌詞の意味を徹底解釈!夢のコラボ曲で二人が描いたものとは。

【米津玄師】「PLACEBO(プラシーボ)+野田洋次郎」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✔ 親交のあった二人の夢のコラボ
✔ コラボ楽曲としての意外性

✔ 描かれる究極の高揚感

 

骨助
骨助

米津玄師さんとRADWIMPS・野田洋次郎さんの待望のコラボ楽曲。良い意味で期待を裏切られる、不思議な楽曲の魅力を考察していきます。

 

 

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【米津玄師】×【野田洋次郎】の夢のコラボ

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今回紹介していく「PLACEBO+野田洋次郎」は米津玄師さんのアルバム『STRAY SHEEP』収録曲。

タイトルからも明らな通り、米津玄師さんとRADWIMPS野田洋次郎さんが夢のコラボレーションを果たした楽曲です。

 

米津さんは楽曲について

高校生の頃にRADWIMPSと出会い、その音楽性に衝撃を受け、虜になった瞬間をついこの間みたいに思い出せます。
2015年に行われた対バンイベントに呼んでいただいたのを機に、今では洋次郎さんと当たり前のように飲みに行ったりくだらない話ができたりしていることが不思議でなりません。
彼の声がこの曲に乗った瞬間の高揚も、あの時の衝撃のようにいつまでも鮮明に思い出せる記憶として僕の中に深く残るでしょう。

とコメントされています。

 

米津さんが長年影響を受けてきた野田さんとの待望のコラボ曲。

 

…なのですが、楽曲はいわゆる【米津玄師】×【野田洋次郎】の世間のイメージから大きく外れ、軽快でポップなサウンドが印象的な意外性のある曲となっています。

 

米津さん曰く、「あえてそうしようと思った」「みんなが知っている洋次郎さんと、俺が知っている洋次郎さんの部分を踏まえて、結果としてこういう曲が出来上がった」とのこと。

 

骨助
骨助

イントロから予期せぬ展開で、衝撃を受けたリスナーも多いのではないでしょうか。

 

音楽界を代表する二人の天才は今回の楽曲で一体何を歌ったのか。

この記事では歌詞を中心にじっくりと考察していきます。

 

楽曲名「PLACEBO」とは

「PLACEBO」「偽薬、気休め、お世辞」と言った意味を持った英単語。

 

「プラセボ」と読むこともありますが、今回の楽曲の読みは「プラシーボ」です。

「プラシーボ効果」という形で耳にしたことがある方が多いのではないでしょうか。

 

「プラシーボ効果」は薬だと思いこむことにより、実際には一切薬理効果のない偽物の薬であっても何らかの効果がみられる現象のこと。

この効用を見込んで用いられる薬がまさにプラシーボ(偽薬)です。

 

今回紹介していく楽曲「PLACEBO」は、「君」と恋に落ちた時の高揚感が描かれたナンバー。

 

楽曲に直接「プラシーボ」と結びつくような歌詞は見受けられませんが、曲中の「気の迷いじゃない 嘘じゃない想い」という歌詞から考察するに

  • 「君」との出会いなんて「プラシーボ(偽薬)」に過ぎず、本来出会ったことで世界が何か変わるわけでもない
  • この胸の高揚感は思い込みによる「プラシーボ効果」なのかもしれない
  • でもこの君への想いは気の迷いなんかじゃない

といった意味合いを込めて「PLACEBO」というタイトルがつけられたのではないでしょうか。

 

 

骨助
骨助

タイトルについて考察したところで、本題の歌詞考察に移ります。

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歌詞

熱っぽい夢を見てしまって 君のその笑顔で 絆された夕暮れ
この想い気の迷いだって 笑えないよ全然
袖が触れてしまった

走り出したハートを攫って 繋いでいけビートの端くれ
薫る胸に火を灯せ 踊り明かそう朝まで
しなり揺れるランウェイの先へ 僕の心連れてってくれ
触れていたい 揺れていたい 君じゃないといけない この惑い

今だんだん恋になっていく ときめいていく
思いがけぬ とんだランデブー
どんどんハイになっていく 洒落込んでいく
甘い罠に やられていく 落ちていく

いつかの偶然 確かめたいね (いつかの偶然 確かめたいね)
解き明かしたい 未踏のミステリー (気づかないグラビティー)
元のように 戻れないね (元のように 戻れないね)
どっか行こうぜ 冗談みたいに (背反のアイロニー)

それは一つのコメディ または二つのトラジディ
どちらでも構わない君と二人ならば
それは一時のクレイジー 揺り返していくサニティ
何もかもが いつの間にか 変わり果てる魔法

気持ち前に突っ込むステップで 飛ばしていけスイートな宇宙へ
待ちに待った宵の果て 踊り明かそう朝まで
きらり照らすリップで酔わせて とこしなえに誘ってくれ
触れていたい 揺れていたい 君じゃないといけない この惑い

今だんだん愛になっていく 騒めいていく
鉢合わせの とんだピーカブー
燦々照り出していく 謎めいていく
甘い罠に やられていく 落ちていく

気の迷いじゃない 嘘じゃない想い
思い込みじゃない 嘘じゃない想い
気の迷いじゃない 嘘じゃない想い
思い込みじゃない 嘘じゃない想い

だんだん恋になっていく ときめいていく
思いがけぬ とんだランデブー
どんどんハイになっていく 洒落込んでいく
甘い罠に やられていく 落ちていく

 

作詞:米津玄師

歌詞の意味・解釈

1番

熱っぽい夢を見てしまって 君のその笑顔で 絆された夕暮れ
この想い気の迷いだって 笑えないよ全然
袖が触れてしまった

先述した通り、楽曲は主人公が恋に落ちて行く様を描いたナンバー。

夕暮れの中で「君」の笑顔を見た日から始まった独特の高揚感が、一曲を通して表現されているように感じます。

きっと恋心を抱いたことがある人ならば誰しもが感じたことのあるあの言語化できない感覚。

もちろんきっとそれは夢の中の出来事ではなく現実なのですが、「熱っぽい夢を見てしまって」という表現が言い得て妙で、まさにドンピシャです。

 

「袖が触れてしまった」は勿論物理的に触れてドキッとしたのかもしれませんが、ことわざ「袖振り合うも多生の縁」を少なからず意識したものだと考えられます。

「袖振り合うも多生の縁」道で袖が触れあうような些細な出来事でさえ前世からの因縁によるものだということ。

 

「袖が触れてしまった」だけ抜粋して考えれば、「ふたりの運命が交錯してしまった」「出会うべくして出会ってしまった」などとロマンチックに言い換えられるのではないでしょうか。

 

運命により「君」と出会った主人公は、絆される(自由を束縛される)ような動揺を覚えるのでした。

 

骨助
骨助

米津さんの過去の楽曲でいえば、内容的にも雰囲気的にも「春雷」に近いものがあるような気がします。

 

 

走り出したハートを攫って 繋いでいけビートの端くれ
薫る胸に火を灯せ 踊り明かそう朝まで
しなり揺れるランウェイの先へ 僕の心連れてってくれ
触れていたい 揺れていたい 君じゃないといけない この惑い

ここでは米津さんらしい独特の言い回しで主人公の恋い焦がれていく心情が表現されています。

「薫る(くゆる)」だとか「しなり揺れる」だとか、なかなか聴き馴染みのない言葉ばかりですね。

 

「君」を想って思い悩む胸を晴らすように、今夜は踊り明かそう。

このもやもやした恋心を途切らせずに最後まで連れてってくれ。昇華させてくれ。

君に触れてたい。君じゃないといけない。

 

一言一句易しい言葉に直すことがなかなか難しい部分ではありますが、ニュアンスとしてはそんな感じだと思います。

 

不思議なもので、「恋心を成就させてくれ」とかだと愚直で何かが違うような気がするのですがしなり揺れるランウェイの先へ僕の心連れてってくれだとなるほど心地よく伝わってくる感覚に。

 

こうした言葉選びのセンス圧倒的な表現力にはただただ感服するしかありません。

 

サビ1

今だんだん恋になっていく ときめいていく
思いがけぬ とんだランデブー
どんどんハイになっていく 洒落込んでいく
甘い罠に やられていく 落ちていく

 

サビでは比較的シンプルな表現で、恋に落ちて行く感覚が描写されています。

「ランデブー」はフランス語で「デート」、「洒落込む」は「普段あまりしないような気の利いたことをする」といった意味。

 

恋をすると見える世界が変わる、なんて言葉を耳にします。

恋に落ちて行き、人はときめき、ハイになり、今まで気にも留めていなかったことにまで気が回るようになったりするものです。

 

甘い罠なのかもしれない、なんてことを思いながらも、主人公は得も言えぬ高揚感を胸にして恋に落ちて行きます。

 

2番

いつかの偶然 確かめたいね (いつかの偶然 確かめたいね)
解き明かしたい 未踏のミステリー (気づかないグラビティー)
元のように 戻れないね (元のように 戻れないね)
どっか行こうぜ 冗談みたいに (背反のアイロニー)

ここでボーカルは野田洋次郎さんにスイッチ。

ここまでの米津さんの男性的なボーカルとの対比により、聴き慣れたはずの野田さんの歌声がどこか女性的で斬新なものに思えてくるのだから不思議なものです。

 

「アイロニー」は皮肉のこと。

恐らくは「恋に落ちた時の不思議な感覚(いつかの偶然)を確かめたい」という想いと「(恋に落ちる前の感情には戻れないから)確かめることなんかできないしいっそ突き進もう」という想いは相反するもので同時には実現できない、といった状況を背反のアイロニーと表しているのではないでしょうか。

 

「いつかの偶然 確かめたいね」「元のように 戻れないね」なんて語り合いながら、二人は恋の不思議な引力によりさらに恋の沼に引きずり込まれていきます。

 

それは一つのコメディ または二つのトラジディ
どちらでも構わない君と二人ならば
それは一時のクレイジー 揺り返していくサニティ
何もかもが いつの間にか 変わり果てる魔法

二人が心を通わせる恋模様は一つのコメディ(喜劇)であり、やがて別れることになってしまえば二つのトラジディ(悲劇)になってしまう可能性も秘めています。

しかし、どちらに転ぼうとどうでもいいと思えるほどに主人公は今の状況に胸を躍らせているのです。

 

恋は一時のクレイジー(狂気)であり、冷静な判断などできず揺り返すサニティ(正気)

 

溺れるように、酔っていくように、魔法にかけられたみたいに、恋心を抱いた主人公に見える世界は移り変わっていきます

 

骨助
骨助

この部分の言葉選びや独特のライミング、軽快なメロディが最高に心地良いですよね…

 

 

野田洋次郎さん自身もRADWIMPSの楽曲で恋に夢中になる様を歌うことは数多くありますが、どこか哲学的であって「PLACEBO」とは大きく世界観が異なるため、やはり今回野田さんがこうした歌詞を歌っていることにはかなり新鮮でピュアな印象を受けますね。

 

米津さん自身も「多大な影響を受けて育ってきた彼の新しい一面を見れて、それが自分の曲であることが相当にうれしいです」と喜びを口にしています。

 

 

気持ち前に突っ込むステップで 飛ばしていけスイートな宇宙へ
待ちに待った宵の果て 踊り明かそう朝まで
きらり照らすリップで酔わせて とこしなえに誘ってくれ
触れていたい 揺れていたい 君じゃないといけない この惑い

一番と同様「踊り明かそう朝まで」という歌詞が登場しますが、「薫る胸に火を灯せ」とどこか鬱屈とした感情を抱えていた1番と比較してここでは幾分か楽観的になっているように思います。

「飛ばしていけスイートな宇宙へ」なんて歌詞はどことなくメルヘンな雰囲気すら感じますよね。

 

「待ちに待った宵の果て」「きらり照らすリップで酔わせて」と、どことなく大人なムードも漂っています。

「とこしなえ」は「永久」という意味。

 

「触れていたい 揺れていたい 君じゃないといけない この惑い」

君と踊り明かす宵の果て。二人の恋は、さらなる深みへと向かいます。

 

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