サビ2
今は らんらんらん 混じりっけのないやつが欲しい
風が らんらんらん デコルテに溶けていく
厄介な人物の相手を日々させられているわけですから、主人公も混じりっ気のない、もっと純粋で美しい何かが欲しくもなるでしょう。
それが愛なのか、もっと漠然とした感情なのか、はたまた音楽なのかなんてのはきっと人によって違うでしょうが、とにかく日常の喧騒を忘れられるような混じりっ気のない何かです。
「あなた」が元恋人だったと解釈するなれば、卑劣な隣人である「あなた」が浮気をしでかして、今は「混じりっ気のない愛」を求めている…と考えるとここまでの歌詞が腑に落ちます。
「あなた」と関わらないでいられる静かな夜。
風はらんらんとデコルテに溶けていきます。
3番
はたと冷めたアールグレイ マイファニーバレンタイン
健やかなる人生の ひび割れをしゃなりと歩く
ばら撒かれた愛情を 噛む裸のトルソー
芳しいほどに煙る春を探している
アールグレイは紅茶の一種。
きっと「あなた」に対する主人公の態度の比喩で、もともとはある程度愛をもって接していたことでしょうが彼の醜さに呆れ果て、愛情ははたと冷めてしまいました。
「マイファニーバレンタイン(My Funny Valentine)」は1937年発表のジャズの名曲です。
悲しげなCmの曲調が特徴的な楽曲ですが、歌われているのは男女のやり取り。
手っ取り早く言えば「あなたはダメダメな人だけど、私はあなたが好きだからずっとそのままでいて欲しい」という内容となっています。
わざわざ曲名を持ち出すのだから、この「ダメなあなたのままでいて」というテーマが今回の楽曲にも関係しているはず。
しかしその言葉の意味合いは大きく異なっているように思います。
「Décolleté」では「あなたが好きだからそのままでいて欲しい」のではなくて、きっと「嫌いだけど、もうとっくに諦めてるからそのままでいていいよ、あー面倒くさい」なのです。
もはや主人公は「あなた」に無関心です。
トルソーは頭や手足のない胴体だけの銅像。恐らく「あなた」に興味を無くした自分のことでしょう。
主人公は「あなた」から距離を置き、上手く行かない人生を気取って歩きながらもありきたりな愛情を噛みしめ、呆れることなく愛し合える人と出会える春の日を待ち望んでいます。
「今は らんらんらん 深く眠りにつきたい」
でも今はただ、独り静かに眠れる場所を求めているのです。
感想
元恋人に呆れる失恋ソングとも思えるし、恋人でなくてもとにかく嫌いな人を嘆いた曲とも感じるし、もっと広義的に捉えれば社会に呆れる人間の姿を描いた楽曲とも受け取れるミステリアスな楽曲。
何にせよ「関わりたくない人へのスタンス」という自身の皮肉な面を歌っているとするなれば、大っぴらに関わりたくない人間への想いを語るのもなんですから米津さんがこの楽曲について大々的に語っていないのも納得がいく気がします。
退廃的で常に気だるげ。
ミステリアスになるべくしてミステリアスになった楽曲でした。
【米津玄師/Décolleté 】
歌詞の意味の解釈でした!
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コメント
デコルテについてはロキノンのインタビューで本人が語ってますよ。
自分の中の皮肉っぽい面を普通に出したそうです。
情報ありがとうございます!
追記させていただきます。