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【米津玄師/迷える羊】歌詞の意味を徹底解釈!人生のフィルムは回り続ける。

【米津玄師】「迷える羊」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

読みどころ

✔ ハチ時代を彷彿させる歌詞のワード
✔ 遠い未来へ届けたい想いとは?
✔ 歌詞を読み込むほどにセリフ(サビ)の真意が見えてくる奥ゆかしさ

 

サルー
サルー

これまた深読みしがいのある名曲でした。丁寧に解釈しましたので是非最後までご覧ください!

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見据えるのは遠い未来の世界

→Apple Musicでフル視聴する 

 

今回紹介していく「迷える羊」は、アルバム『STRAY SHEEP』の収録曲であり、カロリーメイトのCMタイアップソング。

 

米津さんはカロリーメイトCMの「世界は驚くほど速く変わっていく、しかし、人間にとって必要なものはそれほど大きく変わらないだろう」というコピーに共感したとのこと。

 

また本楽曲の制作時期は、既に社会はコロナ禍の状態に陥っており、外出がままならなくなっている状態だったそう。

悲観的になりがちな境遇の中で米津さんは「最終的には生きていくことや生活していくことを肯定しなければならない。」と感じ、遠い未来に想いを馳せて楽曲を作っていったとのことです。

 

本楽曲についてのコメントが以下。

遠く離れた未来のことをよく想像する。
僕たちに対して「あの頃の人々は不便な暮らしをしていた」とか、もしくは「ナチュラルな感覚の元に美しく生きていた」とか、とにかく好き勝手言ってくれるような未来。
自分の存在なんて跡形も残っていない場所で生きる人と話がしてみたい。そこはどうだと問いかけてみたい。

 

サルー
サルー

見据えるは遠い未来の世界。どこか不穏を感じさせるメロディーの中にはどんなメッセージが込められていくのか。さらに楽曲を深堀していきましょう。

 

楽曲名「迷える羊」とは

続いてタイトル名に着目していきます。

「迷える羊」はアルバム名『STRAY SHEEP』の訳語で

  • どうすればよいのか迷っている人

を意味する言葉です。

 

歌詞では「今も新たに 羊は迷う」と、やはり人生に迷い込んでいる様子を示す表現として使われています。

 

人生で誰しもが数多の形で経験する迷い。

米津さんはそれをどのように表していくのでしょうか。

 

サルー
サルー

本題の歌詞考察に移っていきましょう! 面白いことに本楽曲の歌詞には昔の米津さん(ハチ時代)を彷彿させるワードがたくさん出現していきます。

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歌詞

ねえ 生まれてきた日を 思い出せるかい
シナリオの 最初の台詞を
舞台は巡り 演劇は続く
楽屋には サンタマリアがいない

最初で最後の歌を 上手く歌えないのに
監督たちは 沈黙を守る
脚本の終わりは 書きあがっていない
祈る様に 僕は口を開いた

「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」

誰かが待っている 僕らの物語を

背骨をなくした 大きな機械が
美しく 都市を跨いでいく
屋台は崩れ 照明が落ちる
観客は 白い眼

列なす様に 演劇は続く
今も新たに 羊は迷う
堪うる限りに 歌を歌おう
フィルムは回り続けている

「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」

「君の持つ寂しさが 遥かな時を超え
誰かを救うその日を 待っているよ ずっと」

作詞:米津玄師

歌詞の意味・解釈

1番

ねえ 生まれてきた日を 思い出せるかい
シナリオの 最初の台詞を
舞台は巡り 演劇は続く
楽屋には サンタマリアがいない

本楽曲の歌詞は全体を通して、人生そのものを「舞台の演劇」として比喩しています。

そして自らを「舞台の役者」として登場させ、さまざまな情景を綴っていきます。

 

まず歌い出しの歌詞で訴えられていることをまとめると

「光がない人生を送っているけど、希望に満ちていた誕生の日を思い出せるかい?」

といったところかなと。

 

「サンタマリア」というと米津さんが別楽曲のタイトルにも起用したことにあるワード。

これはイエスキリストの聖母マリアへ尊敬の意味を込めた呼び名で、歌詞中では優しさや希望を示す表現として置き換えると解像度がグッと上がるかなと思います。

 

そして楽屋とは、舞台中の控室を示す言葉で、物事の内情を表す言葉としても使われます。

 

人生を舞台と対比している本楽曲で言うのであれば、「楽屋にはサンタマリアがいない」とはつまり「人生の実態には希望がない」といったところでしょう。

 

またファンの方ならお気付きかもしれませんが冒頭歌詞のフレーズは、ハチ名義で活動していたときの楽曲「演劇テレプシコーラ」「最初の台詞思い出せるかい?」と関連するものがあります。

演劇という題材も同じですし、こういった場面でファンを痺れさせるワードを盛り込んでくるのはいい意味で狡猾だなと。

 

最初で最後の歌を 上手く歌えないのに
監督たちは 沈黙を守る
脚本の終わりは 書きあがっていない
祈る様に 僕は口を開いた

ここで登場する「歌」というのも、人生的なニュアンスを持つのかと思います。人生を謳歌するとか言いますしね。

 

歌を上手く歌えない。つまり人生をうまく歩めていないのに、舞台(人生)の監督たちは何も助けてくれない。

誰にも頼れず脚本も用意されていない舞台の上で、沈黙する監督たちに見守られつつも、主人公は口を開いていきます、、、

 

サルー
サルー

そして口を開いてでた言葉たちがサビの歌詞になります。続いて歌詞を追っていきましょう。

 

サビ1

「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」

誰かが待っている 僕らの物語を

歌詞の流れだけを読もうとすると、なかなか突拍子もないことを言ったなと思っちゃいますよね。

まるで現代に絶望を感じて未来に希望を託すような歌詞。

 

ただ米津さんがインタビューで話していた「最終的には生きていくことや生活していくことを肯定しなければならない」という言葉までを考慮すると、未来に愛を送るようなポジティブなセリフに解釈することができます。

 

また他にも米津さんはインタビューにて

もし1000年後にタイムスリップすることができて、そこに暮らしている人と話ができたとしたら、文化の違いは感じるだろうけれども、最終的には友達になれると思うんですよね。

と話されていました。

 

つまり歌詞で突然登場してきたかのように思える「友達」という人物は「未来の人類」のことを表していて、未来の人に送りたい言葉こそ「愛してるよ」という言葉なのです。

 

どんな悲観的なことが人生で待ち受けていようとも、僕らそれを肯定して生きていかないといけない。

だからこそ愛を歌う。サンタマリアが世界にいないのなら、自分の心の中で作りだして繋いでいくしかないのです。

 

サルー
サルー

このサビの真意は2番でさらに回収されていきます。歌詞を追っていきましょう。

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コメント

  1. 60 より:

    ありがとうございます。疑問が解決しました‼

    1000年先に想いを馳せる時、なぜ友達?自分の子孫じゃないんだ…
    米津さん独身だから?友達が一番大切な存在なのかなーと解釈してました。
    前世双子だったかもと思うような友人を心不全で亡くされていたんですネ。
    だから「感電」の中でも「お前がどこかに消えた朝」のフレーズが…
    『喪失と再生』がメインテーマのアルバムになった訳も納得です。

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