2番
そうか 結局は皆つながってるから
寂しいよね 苦しいよね
なんて 自分をなだめてるヒマなんて無かった
ここもまた藤井さんの独特の感性が光っています。
つながっている=寂しい、苦しい
なんて矛盾しているように感じちゃいますよね。
おそらくですが、この「つながっている」というのは「手を取り合っている」みたいな協力的意味合いではなく、「リンクしている」というような共有的意味合いが強いのかなと思っています。
簡単に言うと「青春病を抱えているのは自分だけはないよね、みんな寂しくて苦しいんだよね。」というような、集団心理で傷心を緩和させるやり口といったところ。
でもそんなことを考えて気持ちを整理しても現状が変わるわけではありません。だから「自分をなだめてるヒマなんて無かった」と我に返る一言が添えられる。
君の声が 君の声が
僕の中で叫び出す
耳すませば 耳すませば
何もかもがよみがえる止まることなく走り続けてゆけ
何かが僕にいつでも急かすけど
どこへ向かって走り続けんだっけ
気付けばまた明ける空
ここまでの歌詞では「青春にサヨナラを…」と、青春を捨てることを肯定する内容で固められていましたが、2番のBメロでは「また青春を求めてしまうさま」が描かれています。
青春を追いかけたいから追いかけるというよりは、無意識下のうちに追い求めてしまうのです。
「君の声が蘇り」「気付けばまた明ける空」といった歌詞が、それらを象徴しています。
結局は青春を諦めては求めてしまう無限ループから脱げ出せないのです…
3番
無常の水面が波立てば
ため息混じりの朝焼けが
いつかは消えゆく身であれば
こだわらせるな罰当たりが
3番では「青春を追い求めることを否定する情景」が描かれています。
無常とは、この世の中の一切のものは常に生滅流転 (しょうめつるてん) して、永遠不変のものはないことを意味します。簡単に言うと、人生は儚いんだよってことです。
その後に綴られる「いつかは消えゆく身」から察することができるように「儚い人生をこだわり(青春)のせいで棒にするな」と叫んでいるのです。
そう訴えないと、いつまでも青春を追いかけてもがき苦しんでしまう。だからこそ否定する言葉が必要だったのでしょう。
切れど切れど纏わりつく泥の渦に生きてる
この体は先も見えぬ熱を持て余してる
野ざらしにされた場所でただ漂う獣に
心奪われたことなど一度たりと無いのに
ここで綴られるのも「青春を追い求めてしまう自分に対する皮肉」です。
「野ざらしにされた場所でただ漂う獣」は、青春を求めてしまう自分を比喩しているのですが、この表現はすごい。そんな獣に心奪われることなんてないのの、自身は獣のように飢えてしまっている。
正しいとか正しくないとかは分からない。だけど本能レベルで青春を求めてしまう。野心多き人は、ぼんやりと共感できるのではないでしょうか。
ラストサビ
青春のきらめきの中に
永遠の光を見ないで
いつの日か粉になって知るだけ
青春の儚さを…
青春なんていつか粉になってそれを知ることになる。
本楽曲で描かれてきたのは、青春を否定する内容。というより自らを滅ぼす青春を遠ざけるといったところでしょうか。そう考えると「青春病」というタイトルもしっくりくる。
ただ同時に「夢を諦めきれない人間の泥臭さ・熱さ」というものも、本楽曲の歌詞には滲み出ていたことも確か。
青春は永遠じゃない。
これは青春を儚く感じた人のみに訪れる感情なのですが、だからこそ青春は儚く輝きを増すものなのでしょう。私たちは青春を少しずつ捨てながら大人になっているのかも知れない。
感想
歌い出しはサビから始まる割とキャッチめな楽曲なのに、歌詞で描かれているのは王道のソレとは全く逆転の発想。
青春を諦めるな!ではなく、青春を捨てる強さ。
決して大多数ではなく、少数派の方々に刺さる歌詞なのかも知れませんが、諦めきれない青春に苦しんでいる人にとって、痛いほど刺さる内容だったのではないでしょうか。
藤井風。ほんとに卓越しているなあと。
【藤井風/青春病】
歌詞の意味の解釈でした!
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