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【米津玄師/ゆめうつつ】歌詞の意味を徹底解釈!存在する残酷な現実と存在して欲しい夢の歌。

2番

間抜けな惑星に 住み着いた羊の群れ
風と花と鳥に開かれた 瀟洒な宇宙船
何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン
わたしは何処にいるんだろう

眩い光に絶えず 誘われている
零れ落ちた羊は まだ夢をみる
どうせわたしも 風になり消える
ならば今夜くらいは

メッセージ性的には1番と同じようなもので、暗い世界の中で光を求めて彷徨う私たちが描かれています。

 

まず米津楽曲において、「羊」『STRAY SHEEP(迷える羊)』としての意味として使われることが多いです。アルバム名にも楽曲名にもなっていましたよね。

 

つまり<間抜けな惑星に 住み着いた羊の群れ>とは言い換えれば「地球で宛もなく彷徨う私たち」であり、その後の歌詞で出てくる<零れ落ちた羊は まだ夢をみる>「私たちが現実の中で夢を描く姿」ということになる。

 

後は細かい言葉の解釈ですが、アドバルーンとは主に広告宣伝目的に使われる大体直径2m-3m程度の球形の係留気球のことであり、1番の広告を携えた紙飛行機のポジションで起用されています。

 

自由に飛んでいるように見える優雅なアドバルーンも、実際は顧客を取捨選択しているだけ。その現実を踏まえると<見捨てるアドバルーン>は少し寂しさを感じさせる。

 

サルー
サルー

「ちょっと不自由で冷たい現実」「わずかな希望」を描くのはやはり1番と同じ。遡って歌詞を見比べてみると、対をなす同じ意味の言葉たちに面白さを感じることができますよ◎

サビ2

声が出せるような喜びが 君に宿り続けますように
革命家の野次も届きはしない 夜の淵で踊りましょう
君が望むならその歌は 誰かの夢に繋がるだろう
あんな人には解らない
物語の裏 隠れたままそれじゃ また明日

サビ2もこれまたサビ1と同じようなメッセージ性で「残酷な現実の中でささやかな幸せを…」といったもの。

 

見方によっては少し皮肉を感じてしまうかもですが、私たちはどこかの革命家の野次も、闇深い誰かの物語の裏も知らずに安らぎを感じています。

 

こうして改めて突きつけられると不思議な感覚に陥りますよね。

見渡せば限りなく存在する残酷な現実の中で、その対極にある安らぎの夢の中に毎晩潜っている。

 

サルー
サルー

すごく心を痛めるニュースを見ても、その晩は基本的に普通に眠りにつく。そんな当たり前の事象を描いた幸せを願う歌…ちょっと発想が凄すぎますね。

3番

ゆめうつつで生きていく 一つずつ愛し合う
躊躇わず渡っていく 君の元へ
やるせなくて嫌んなる 面影は遠くなる
疲れたら言ってよ 話をしよう

こうして僕たちは夢うつつ(夢と現実の境がはっきりしない)のような世界の中で生きていく。

 

世界の残酷さとそれに気付かない人間の愚を描いた楽曲のようにも取れますが、やはり本楽曲の真髄は「愛や幸せを歌っていること」だと個人的には思います。

 

だからこそ残酷なニュースが躊躇わず君の元へ渡っていく現代を描写した後で、最後は<疲れたら言ってよ 話をしよう>と、君を包み込むように歌詞は締められていく。

 

「ゆめうつつ」は、確かに存在する残酷な現実と、存在して欲しい夢を反復する私たちの安らぎを願う、少し冷たくてすごく温かいナンバーだったのだ。

 

【米津玄師/ゆめうつつ】

歌詞の意味の解釈でした!

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