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【米津玄師/ゆめうつつ】歌詞の意味を徹底解釈!存在する残酷な現実と存在して欲しい夢の歌。

【米津玄師】「ゆめうつつ」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

読みどころ

✔ 日本テレビ『news zero』のテーマ曲
✔ 冷たさと温かさが反復する前衛的な歌詞
✔ 米津玄師のセンス光る言葉選び

 

サルー
サルー

あなたの心に刺さるであろう現実味のある歌詞が展開されていきます。ただ曲調が象徴するように、本楽曲の真髄は「温かさ」だったのかなと個人的には思っています。一緒に楽曲を考察していきましょう!

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夢と現実の間を反復する曲

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今回紹介していく「ゆめうつつ」はシングル「Pale Blue」の2曲目に収録されている楽曲であり、日本テレビ『news zero』のテーマ曲として書き下ろされたもの。

 

米津玄師は本楽曲について

今回の曲に関していうと「夢と現実の間を反復する」っていう曲にしたいなと思っていて。
現実の、ある意味虚しい出来事だったり、怒りを感じるような事だったり、見渡してみるとそういうものがいくらでもころがっている。残酷なまでの「現実」と、そこから対極にある「安らかな夢の中」、その夢と現実の間を反復しながら生きていくというのが、自分にとってはものすごく大事なんじゃないかという風に思っていて。

夜のニュースを見てそのあと眠りにつくじゃないですか。どういう風に眠りにつくかは人によって違うと思いますけど、少なくとも自分は「安らかな空間」というものが生きていく上で必要不可欠だった人間なので、自分と同じような人間もいくらかいるだろうと。共感してもらえたらありがたいかなと思います。

とコメントを残しています。

 

ニュースを見ていると誰かの死だったり、事件だったり、ウイルスだったりと、ある意味「残酷なまでの現実」が転がっていますよね。

だけど私たちはその現実となんとか折り合いを付けながら、やすらぎに包まれるように眠りにつく。そんな側面も持っている。

 

本楽曲ではそんな「安らぎ」「苦しみ」の対照的な2色のグラデーションが歌われているのです。

 

そして楽曲のタイトル名は『ゆめうつつ』。

これが意味するのは「夢と現実、または、夢と現実の境がはっきりしないさま」であり、やはり【「夢と現実の間を反復する」っていう曲にしたい】という想いが色濃く反映されていることがわかります。

 

サルー
サルー

「歌詞に共感する」という声が多く挙がる本楽曲。その背景には「自分と同じような人間もいくらかいるだろう…」という米津さんの思惑があったのです。

 

それではその「現実と夢の反復」が表現された歌詞を深堀していきましょう。ここからが本記事の本題になります。

 

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歌詞

夢の続きを いつまでも探してた
あまねく町の側で 揺蕩う路地裏
広告を携えて 飛び立つ紙飛行機
何処まで飛んで行くんだろう

虚しさばっかり 見つめ続けるのは
誰かの痛みに気づきたかった ひたすら
何かを得れば何かが 目の前を通り過ぎる
さよならまた会えるかな

背中合わせの旅は まだ続いてく
誰も知り得ない傷が 癒えずに増える
どうせいつかは 風に溶け消える
ならば今夜くらいは

羽が生えるような身軽さが 君に宿り続けますように
むくれ顔の蛇も気づきはしない 日々の隙間でおやすみ
君が安らかな夢の中 眠り続けられますように
あんな姿じゃいられない
子供みたいなまま遊び疲れてそれじゃ また明日

間抜けな惑星に 住み着いた羊の群れ
風と花と鳥に開かれた 瀟洒な宇宙船
何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン
わたしは何処にいるんだろう

眩い光に絶えず 誘われている
零れ落ちた羊は まだ夢をみる
どうせわたしも 風になり消える
ならば今夜くらいは

声が出せるような喜びが 君に宿り続けますように
革命家の野次も届きはしない 夜の淵で踊りましょう
君が望むならその歌は 誰かの夢に繋がるだろう
あんな人には解らない
物語の裏 隠れたままそれじゃ また明日

ゆめうつつで生きていく 一つずつ愛し合う
躊躇わず渡っていく 君の元へ
やるせなくて嫌んなる 面影は遠くなる
疲れたら言ってよ 話をしよう

作詞:米津玄師

歌詞の意味・解釈

1番

夢の続きを いつまでも探してた
あまねく町の側で 揺蕩う路地裏
広告を携えて 飛び立つ紙飛行機
何処まで飛んで行くんだろう

前の章で楽曲背景から【残酷なまでの「現実」と、そこから対極にある「安らかな夢の中」】を歌っていると述べましたが、実は歌詞で綴られている内容はもう一歩踏み込んだものとなっています。

 

楽曲をリピートしている方はお気付きかもですが、誰かが誰かの幸せを願うという情景がとても印象的に描かれているのです。

 

つまり制作背景で話されていた「夢と現実の間を反復する人々の歌」である側面に加えて、それら人類に対する愛が歌われており、結果的にすごく温かみのあるナンバーに仕上がっているわけです。

 

と大まかな楽曲の総論はここまでにして本題の歌詞を見ていきます。

 

まず歌い出しの歌詞で描かれているのは「どこか温もりのない現実」といったところ。

歌詞で起用されている「揺蕩う(たゆたう)」とは、気持ちが定まらずためらうことであり、まさに安寧な夢の続きを探して彷徨い続ける本楽曲主人公の心情を写しています。

 

自由に飛んでいくものを比喩しているはずの紙飛行機さえも「広告を携えて」といった1フレーズを付け加えることで、ちょっと不自由で冷たい現実を想起させる。細かい部分の情景表現力がすごい。

 

虚しさばっかり 見つめ続けるのは
誰かの痛みに気づきたかった ひたすら
何かを得れば何かが 目の前を通り過ぎる
さよならまた会えるかな

前文の歌詞に虚しい現実が描かれていましたが、それは<虚しさばっかり 見つめ続けるのは 誰かの痛みに気づきたかった>といった歌詞の伏線だったことがここで明らかになります。

 

サラッと綴られていますが、ここの感情解釈は個人的にすごいなと。僕たちは他人事の不幸に対して、心を痛めて反応してしまいますよね。無意識レベルで。

 

それは目の前で起こる不幸のみならず、ニュースで偶々見かけた事象に対しても同じで、キリがないくらい落ちている不幸に対して、偶然知っただけで心を痛める。

 

そんな意識しない感情の動きに対して「誰かの痛みに気付きたかった」という解釈が本楽曲では綴られているんですよ。

 

誰かの痛みが分かる人間は、きっと誰かの喜びにも気付くことができる。

残酷な現実を知っているからこそ、夢のような安らぎを求めるという楽曲全体の情景に重なるような考え方が何気なく表現されているのです。

 

また歌詞中の「さよならまた会えるかな」はそういった虚しい事象全体に対しての「さよなら」なのでしょう。目の前を通り過ぎていく数多くの事象と「さよなら」をしながら僕たちは今日を生きている。

 

背中合わせの旅は まだ続いてく
誰も知り得ない傷が 癒えずに増える
どうせいつかは 風に溶け消える
ならば今夜くらいは

上記歌詞で描かれているのも、目の前を通り過ぎていく無数の事象についてが描かれた前文と似たような内容です。

 

歌詞だけをパッと見ると、個人が絶え間なく傷ついていくさまのように見えますが、実際はそうではなくて「世界中で起こり続ける虚しい現実」について歌っているに近いのかなと。

 

フォーカスできていないだけで、それこそ誰も知り得ないだけで、残酷な事象なんてきっとそこら中に転がっていますよね。だけど同時に言えるのは、そんな傷だらけの世界の中でも私たちは健やかな眠りについていること。

 

まるで現実が風に溶け消えているように私たちは夢の中に入っていく…

そんなある種の歪んだ世界の中で「それならいっそのこと…!」とポジティブな発想をしたのがこれから述べられていくサビ歌詞。

残酷な現実の救いを夢に求める歌詞に繋がっていくのです。

 

サビ1

羽が生えるような身軽さが 君に宿り続けますように
むくれ顔の蛇も気づきはしない 日々の隙間でおやすみ
君が安らかな夢の中 眠り続けられますように
あんな姿じゃいられない
子供みたいなまま遊び疲れてそれじゃ また明日

残酷な現実だからこそ夢の中で幸せを…

そんな願いのもと描かれるサビ歌詞は、これまで冷たい情景が描かれていた分、より温かみのあるものに感じるのではないでしょうか。

 

君の安らぎを願うフレーズだからこそ、現実の厳しい部分すらも「むくれ顔の蛇」と、ちょっぴり和やかな表現が起用されているのでしょう。

 

悲しい現実に目を向けてばかりじゃ、きっとキリがなく病んでしまう。だからこそそれに気付きもしない「安らかな空間」を君に願う。

 

『自分は「安らかな空間」というものが生きていく上で必要不可欠だった』

とコメントをする米津さんだからこそ描けた、誰かに安寧を与えるサビ歌詞になっているのです。

 

サルー
サルー

続く2番は1番で述べられたメッセージ性を、これまた異なる言葉遣いで表現しています。米津さんのセンス光るワード選びに注目です。続く歌詞を追っていきましょう!

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