サビ2
あといくつ心臓があれば 君にこの気持ちを
過不足なく僕は 伝えられるのだろう今や人類を超える知能が 生まれているのに
僕の言葉は足踏みを ただ繰り返す
2番のサビでも1番同様に、歌詞に矛盾をはらみながら和人の感情を描き出しています。
人工知能の進歩が目まぐるしい昨今。
既に人類を越えるほどの知能が生まれているというのに、それだけ時代は進んでいるというのに、この感情を過不足なく説明することができる、たったそれだけの言葉が彼には出てきません。
ひょっとしたらこの世にその言葉が存在しないのかもしれない。
《僕の言葉は足踏みを ただ繰り返す》
それだけ彼が茉莉に伝えたいと思っている感情は膨大で、混沌としたものなのでしょう。
3番
全人類から10分ずつだけ寿命をもらい
君の中どうにか 埋め込めやしないのかい
先にも述べましたが、RADWIMPSの楽曲は概して論理的で知的であるにもかかわらず、恋や愛に関しての歌詞では途方もなくロマンチックに論理を飛躍させてみせます。
「ふたりごと」然り「前前前世」然り今回の楽曲然り。
論理的に考えてしまえば、木星から火星にワープすることも、何光年も先で君を探すことも、全人類から寿命を貰って君に埋め込むことも到底できやしません。
だけれども、どうかそうであってほしいと思う。
絶対に叶わないのだろうけれど、もはや論理なんかどうでもいいとすら思えてしまう。
そんな感情こそが彼らの描く「恋」であり「愛」なのかもしれません。
もしも全人類から寿命を10分だけでも貰えたならば。
これは、10分くらい平気で無駄にできる私たちへの皮肉であるようにも聞こえます。
余命宣告された彼女は1分1秒すら惜しんで生きているのに、あなたの人生はそれでいいのか、と。
それか僕の残りの 命を二等分して
かたっぽをあなたに 渡せやしないのかいそしたら「せーの」で
来世に 乗れる
この歌詞も物凄くRADWIMPSらしく、美しい歌詞だと切に感じます。
もしも残りの命を二等分して、彼女に片方を渡せたなら。
野田さんは、もしそれが出来たなら《「せーの」で来世に 乗れる》のだと表現してみせました。
《同じ時にあの世に行ける》とか《一緒に死ねる》とかではなく、《「せーの」で来世に 乗れる》。
まるで子供みたいな、実に愛らしく素敵な表現です…
ラストサビ
この一つの心臓が声の限りに叫ぶよ
「あなたは私がこの世界に 生きた意味でした」
ここまでの歌詞は和人視点で綴られてきましたが、最後の歌詞だけは一人称が「僕」ではなく「私」になっています。
そして「生きる意味です」ではなく「生きた意味でした」になっている点にも注目。
間違いなく茉莉視点です。
余命残りわずかだった茉莉にとって、和人は「私がこの世界に生きた意味でした」。
私が生きた意味は、和人を生かすことだった。
そんな言葉の真意は、是非映画や小説でご確認いただきたいと思います。
難病に侵される茉莉への愛を綴った、映画「余命10年」主題歌。
RADWIMPSの美しい表現がこれでもかと詰め込まれた、作品の物語に深く寄り添った楽曲であると感じました。
【RADWIMPS/うるうびと】
歌詞の意味の解釈でした!
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