TwitterはこちらApple Musicのレビュー

【RADWIMPS/人間ごっこ】歌詞の意味を徹底解釈!10年以上変わらないRADの信念。

【RADWIMPS】「人間ごっこ」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✓ タイトル「人間ごっこ」の意味

✓ 過去の楽曲との繋がり

 

骨助
骨助

10年以上変わらないRADWIMPSの信念を感じる一曲でした。ぜひ最後までお読みください!

 

 

スポンサーリンク

ドラマ『石子と羽男』主題歌

今回紹介していく「人間ごっこ」はTBS金曜ドラマ『石子と羽男-そんなコトで訴えます?-』主題歌として書き下ろされた楽曲です。

2022年7月15日のドラマ第一話にて初オンエアされ、翌週の7月22日には楽曲のデジタル配信もスタートしています。

[新金曜ドラマ]『石子と羽男―そんなコトで訴えます?―』“石羽コンビ”が珍トラブルに挑む!! 異色のリーガル・エンターテインメント! 7月スタート【過去回はパラビで配信中】

『石子と羽男-そんなコトで訴えます?-』は有村架純さんと中村倫也さん主演のリーガルエンタテインメント。

東大卒のパラリーガル・石田硝子と高卒の弁護士・羽根岡佳男が凸凹コンビを組み、身近な生活トラブルに挑みながら、自らのコンプレックスに向き合い成長する姿をコミカルに描いた作品になっています。

 

野田洋次郎さんは楽曲について、

このドラマは爽快で明るくテンポ感のある作品でありながら、今の時代の現実もしっかりと映す役割を果たしたいというお話を塚原監督との打ち合わせでお聞きしました。
現実に今日本で起きている裁判などの話を聞き、それを頭で反芻する中で歌詞の断片を紡いでいきました。
この曲がドラマ『石子と羽男』と一緒に育っていってもらえたら幸せです。
音楽的にもふんだんに挑戦をさせてもらいました。是非週末の入り口に、頭をブンブン振りながら気持ちよく聞いてもらえたらと思います。

とコメントされています。

 

「人間ごっこ」というタイトルにはどんな意味があって、楽曲にはどんな思いが込められているのか。

この記事ではRADWIMPSの過去の楽曲などにも言及しながら、じっくり考察していきます。

 

骨助
骨助

まずはタイトル「人間ごっこ」について解説していきます。

楽曲名「人間ごっこ」とは

自分は本当は人間ではないのだろう、なんて思ってしまうくらいに生きるのが下手で、それでも本物の人間になりたくて、普通の人間の真似事をして生きている。

RADWIMPSは過去に「棒人間」という楽曲の中で、そんなことを歌っていました。

 

今回の楽曲のタイトル「人間ごっこ」にも非常に近いものを感じます。

楽曲「棒人間」と同じように、生きるのが下手な私たちが普通の人間のふりをして生活していくことをここでは「人間ごっこ」だと表現しているのではないでしょうか。

 

骨助
骨助

これを踏まえた上で、実際に歌詞の内容を見ていきましょう。

歌詞

誰も知らない 誰も知ることのない
気持ちでこの身体は日々満たされてく

例えばこの孤独がこのすべての宇宙
の体積を超えたら 僕は消えるのかな

運命めいて 戦争めいた この人生めいた冒険を
不確かなもんで蓋したくないだけ もったいないから

人間ごっこ 人生ごっこ でも君は笑っていられんの?
純粋培養 感情装置をフルスペックで 使うだけ

この手すり抜ける 数えきれない 未来を
眺め続けることを 「生きる」と呼ぶの?

届かぬ声をいくつおし殺せば 僕の
身体突き破り 全世界中にはじけ飛ぶのだろう

涙で濡れた君のその声が この世界の
罵詈雑言、不条理、妄言に 溺れたりなんかしないように

空の青さに 余りある広さに負けぬよう
気高くずるく ここで抗ってる

一瞬めいて 永遠めいた この真実めいた現実を
「致しかたない」で終わらしたくないだけ もったいないでしょ

人間ごっこ 人生ごっこ でも君は笑っていられんの?
一切合切 安全装置をフルスイングで 捨てる今

この手すり抜ける 数えきれない 期待を
眺め続けることを 「生きる」と呼ぶの?

届かぬ声をいくつおし殺せば 僕の
身体突き破り 君の中まで弾け飛ぶのだろう

La La La Ta Ta La u Lu La La
La La La Ta Ta Ow Oww Ow

La La La Ta Ta La u Lu La La
La La La Ta Ta Ow Oww Ow

 

作詞:野田洋次郎

歌詞の意味・解釈

1番

誰も知らない 誰も知ることのない
気持ちでこの身体は日々満たされてく

例えばこの孤独がこのすべての宇宙
の体積を超えたら 僕は消えるのかな

《誰も知ることのない気持ちでこの身体は日々満たされてく》

他の人間みたいに上手く生きられなくて、それでも人間みたいに生きようとする私たちは、生きていく中で様々な感情に出会います。

きっと普通の健全な人間のそれとは違う、《誰も知ることのない》気持ちでいっぱいになって、例えばこの「孤独」がこれ以上積もり続けたら僕は消えてしまうんじゃないか、なんて考えたりもして。

 

1番冒頭では得体のしれない感情に出会い、それを抱え込んで不安になっている普通の ”人間” ではない誰かの姿が描かれています。

 

運命めいて 戦争めいた この人生めいた冒険を
不確かなもんで蓋したくないだけ もったいないから

人間ごっこ 人生ごっこ でも君は笑っていられんの?
純粋培養 感情装置をフルスペックで 使うだけ

孤独になったり、不安や悲しみに押しつぶされそうになったり。

恥じらい。後悔。

人間ごっこをする私たちはそんな不確かな感情で自分に蓋をして、自分を押し殺して、なるべく普通の人間のふりをしようとします。

 

《人間ごっこ 人生ごっこ でも君は笑っていられんの?》

この楽曲は、そんな人々に「本当にそれでいいのか」と問いかけるものになっています。

不確かなもので自分の人生に蓋をしていてはもったいないから。

《純粋培養 感情装置をフルスペックで 使うだけ》

もっと感情を前面に押し出して、自分らしく声をあげよう、というのがこの楽曲の言わんとすることです。

 

《この人生めいた冒険》《感情装置をフルスペックで》のように、この楽曲の歌詞では本来「人生」「感情」と表現すべきところをあえて回りくどい言い方で表しています。

なぜならこの楽曲は人間ではなく、「人間ごっこ」をしている人間ではない何かに向けた歌だから。

人間の言う「人生」や「感情」とは違うけれど、それに準ずる何かである、というわけです。

この楽曲の大きな特徴と言える独特な表現だと思います。

 

サビ1

この手すり抜ける 数えきれない 未来を
眺め続けることを 「生きる」と呼ぶの?

届かぬ声をいくつおし殺せば 僕の
身体突き破り 全世界中にはじけ飛ぶのだろう

普通の人間のふりをして自分を押し殺しているうちに、失われていく幾つもの可能性。

そうやって、この手をすり抜けていく未来をただ眺めているだけの暮らしを「生きる」と呼ぶのだろうか。

「いや、呼ばない。」というのが恐らく野田さんの考えでしょう。反語的な表現です。

 

声を押し殺したって仕方がない。

声を上げて、自分で未来を掴み取ろう。

直接的には歌われていませんが、この楽曲は暗にそんなことを歌っているような気がします。

 

骨助
骨助

2番では過去のRADWIMPSの楽曲とも強く結びついた歌詞が登場します。

 

スポンサーリンク

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました