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【RADWIMPS feat.菅田将暉/うたかた歌】歌詞の意味を徹底解釈!映画『キネマの神様』主題歌を考察。

【RADWIMPS feat.菅田将暉】「うたかた歌」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✔ 『キネマの神様』との関係

✔ 特殊な楽曲の制作背景

✔ 描かれる登場人物の心情

 

骨助
骨助

コロナの影響で一時は撮影を中断した映画『キネマの神様』主題歌。ネタバレを避けながら、歌詞の内容をじっくり解説していきます。

 

 

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元々主題歌ではなかった…?

今回紹介していく「うたかた歌」は菅田将暉さん、RADWIMPS 野田洋次郎さんらが出演されている映画『キネマの神様』主題歌です。

 

『キネマの神様』は松竹映画の100周年記念作で、“映画の神様”を信じ続けた主人公・ゴウとその家族に起きる奇跡の物語が描かれた作品。ゴウの過去を菅田将暉さんが、その盟友のテラシン役を野田洋次郎さんが演じられています。

2020年9月の公開が予定されていましたが、当初未来のゴウを演じる予定だった志村けんさんが急逝され、その後の緊急事態宣言の発令により映画の撮影は完全にストップ。急遽代役として志村さんと親交のあった沢田研二さんの出演が決定し、2度の公開延期を経て2021年8月についに公開を迎えました。

 

野田洋次郎さんは楽曲について、

最初は主題歌になるとかならないとかそういう話は全く無く、撮影中に歌の言葉の断片みたいなものをちょっとずつためていました。全部の撮影が終わった時に、感謝の気持ちを込めて「監督にこのデモをお渡しください」という感じで贈ったのが一番最初です。

とコメントされています。

主題歌としてではなく、元々は音楽が生活の一部となっている野田さんが映画に参加できたお礼として製作した楽曲だったとのこと。

それを聞いた映画のプロデューサーが楽曲を主題歌として抜擢し、菅田さんとコラボする運びになったようです。

 

骨助
骨助

一体何を歌った楽曲なのか、この記事では詳しく考察していきます!

映画『キネマの神様』について

野田さんはコメントの中で「志村さんが亡くなったこともあり、それは一つ香りとして残したいと思いましたし、僕たちが通ってきた感情みたいなものを歌詞で残しておきたい、僕らが生きたあの撮影所の雰囲気を音にできないかと思ってました。」と発言されています。

また「この歌はゴウとテラシン以外の何者でもない」とも。

 

ということで今回の楽曲は、映画撮影の雰囲気や登場人物の感情を色濃く映し出した楽曲であるようです。

楽曲の歌詞を見ていく上で映画のストーリーを知っておくことは不可欠なので、ここでネタバレにならない範囲で簡単にあらすじをご紹介しておきます。

ギャンブル漬けで借金まみれのゴウは妻の淑子や娘の歩からも見放されたダメ親父だが、映画への情熱は持ち続けていた。若き日のゴウ(菅田)は助監督として、映写技師のテラシン(野田)、スター女優の園子、撮影所近くの食堂の娘淑子に囲まれながら映画製作の夢を追いかけていた。しかし初監督作品「キネマの神様」の撮影初日に転落事故で大怪我を負ってしまい、作品は幻になってしまう。しかしそれから半世紀の時を経て「キネマの神様」の脚本が出てきたことで、ゴウの止まっていた夢が再び動き始める。

 

骨助
骨助

この物語のストーリーを踏まえて、さっそく歌詞を見ていきましょう。

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歌詞

夢中になってのめり込んだ ものがそういやあったよな
眠るのも飯を食うのも忘れ 明けても暮れても

ただ追いかけた 先なんか見えずとも
むしろ見えなくて 余計に追いかけていった

そんな道のど真ん中で 君は僕にぶつかった
それが君の運の尽き そして僕の運のすべてで

一度も眼を見て 言えたことないけど
僕の何分の一でも 君は幸せでいたのかい

走るにはどうやら命は長すぎて
悔やむにはどうやら命は短すぎて
諦めるにはどうやら命は長すぎて
分かるにはどうやら命は短すぎる

ねぇやりきれない夜だけ 君を思い出してもいいかい
君の手垢だらけのこの記憶だけど ねぇ僕のものでしょう?

うまく笑えているかな 鏡の前たしかめるけど
お前さんなんて情けない 顔してんだよ
笑うどころか 危うく涙しそうで うつむくんだ

夢も歌も賽の目も いつも僕には冷たくて
まるで暖をとるかの ようにから笑いを繰り返す

そんな日々だけど 君のその笑顔は
僕を温めた 身体の芯から優しく

何回か先の世でまた逢うかな
その時ぶきっちょな顔はよしてよ

僕はまた一から君に恋を
どう逆らってもしてしまうだろう

そしたら人生またぎで特大の
いつもの憎まれ口を聞かせて

走るにはどうやら命は長すぎて
悔やむにはどうやら命は短すぎて
諦めるにはどうやら命は長すぎて
悟るにはどうやら命は短すぎる

ねぇやりきれない夜だけ 君を思い出してもいいかい
君の手垢だらけのこの記憶だけど ねぇ僕のものでしょう?

うまく笑えているかな 鏡の前たしかめるけど
「お前さん 顔をあげなよ 無理してでもさ
似合わないだろう お前に涙なんかは」
どこからともなくあの 人懐っこい声が

聞こえるだろう

 

作詞:野田洋次郎

歌詞の意味・解釈

解釈の前に前置きですが、「この歌はゴウとテラシン以外の何者でもない」という野田さんの発言からもわかるように、この曲で描かれているのは映画『キネマの神様』作中の主人公・ゴウとその親友・テレシンの心情に他なりません。

そのためこの曲の歌詞を細かく解説していくと完全に映画のネタバレになってしまうのですが、この記事ではなんとか無理やり先ほど紹介したあらすじの範囲での説明に留めています。

ぎりぎり大丈夫なラインで考察していきますが、映画のネタバレを全て避けたい方は読まない方が無難かもしれません。

 

1番

夢中になってのめり込んだ ものがそういやあったよな
眠るのも飯を食うのも忘れ 明けても暮れても

ただ追いかけた 先なんか見えずとも
むしろ見えなくて 余計に追いかけていった

基本的に作中の登場人物の想いを歌った楽曲「うたかた歌」

冒頭の歌詞では、彼らが若い頃に夢中になって映画製作に没頭していた日々が描かれています。

《夢中になってのめり込んだ ものがそういやあったよな》と回想していることから、この歌詞の視点は現在の、既に年老いた登場人物(恐らくテラシン)です。

 

また、作中の登場人物たちが『キネマの神様』という作品を追いかけていくのと同じように、この映画に参加した菅田将暉さんや野田洋次郎さんもまた必死になって『キネマの神様』という映画作品に没頭していたことがインタビューなどで語られています。

そう考えると《夢中になってのめり込んだ ものがそういやあったよな》から始まるこの歌詞には、二人の演者としての想いも乗せられているのかもしれません。

 

そんな道のど真ん中で 君は僕にぶつかった
それが君の運の尽き そして僕の運のすべてで

一度も眼を見て 言えたことないけど
僕の何分の一でも 君は幸せでいたのかい

情報によると野田さんと菅田さんの歌唱パートはゴウとテラシンの役柄を意識して歌割りされているとのことなので、ここは菅田さん演じるゴウ視点の歌詞だと考えられます。

 

映画製作の夢を追いかける真っただ中で淑子と出会い、ついには結婚した二人。

しかし現在のゴウはギャンブル漬けで借金まみれのダメ親父です。そこに行き着くまでにも、ゴウは何度も妻の淑子を傷つけ悲しませてきました。

 

《僕の何分の一でも 君は幸せでいたのかい》

自分と出会って夢を応援してくれた妻は、果たして自分と出会って幸せだったのか。

はたまた不幸だったのか。

これはこの映画の大きなテーマとなっています。

 

走るにはどうやら命は長すぎて
悔やむにはどうやら命は短すぎて
諦めるにはどうやら命は長すぎて
分かるにはどうやら命は短すぎる

映画はゴウたちが年老いた現在と、映画製作の夢を追いかけていた過去とを行き来しながら進行していきます。

 

夢を必死になって追いかけるにはあまりに命は長すぎるし、誰かを悲しませた時間を悔やむには命は短すぎる。

借金まみれでぐちゃぐちゃの人生を諦めるには命は長すぎるし、かといって上手な生き方を理解するには命は短すぎる。

 

そう歌った歌詞は登場人物たちの想いを痛切に表現しています。

 

またこの歌詞やこの後の死を思わせるような歌詞からは、野田さんが志村けんさんの急逝から受けた影響を感じずにはいられません。

年老いた現在のゴウを演じる予定だった志村さんは、映画がクランクインした2020年3月に新型コロナウイルスに感染しこの世を去りました。あまりに早すぎる突然の死。

 

悔やむにはどうやら命は短すぎる。

分かるにはどうやら命は短すぎる。

 

きっと誰もがそう痛感させられたはずです。

 

サビ1

ねぇやりきれない夜だけ 君を思い出してもいいかい
君の手垢だらけのこの記憶だけど ねぇ僕のものでしょう?

うまく笑えているかな 鏡の前たしかめるけど
お前さんなんて情けない 顔してんだよ
笑うどころか 危うく涙しそうで うつむくんだ

サビの歌詞は歌唱パートの割り当てから判断するに、前半がテラシン視点で後半がゴウ視点でしょう。

 

鏡に映っている、借金まみれの情けない自分。

結局何も成し得ず、家族を悲しませるダメ親父になってしまった自分を見つめ、思わず彼は涙を流しそうになるのでした。

 

それから「キネマの神様」の脚本が出てきたことで、ゴウの止まっていた夢は再び動き始めます。一体どんな結末を迎えるのかは、是非映画を見てご確認ください…!

 

骨助
骨助

2番でもゴウとテラシンの心情が深堀りされていきます。

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