【米津玄師】の「LADY」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。
✓ ドラマみたいな出来事と日常の対比
✓ 《子供みたいに恋がしたい》の真意
米津さんのインタビューでの発言などにも注目しながら、楽曲の歌詞をじっくり考察していきます!
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「ジョージア」新CMソング
今回紹介していく「LADY」は、日本コカ・コーラ「ジョージア」CMソングとして書き下ろされた楽曲です。
2023年3月21日には、楽曲の配信リリースがスタートしています。
「ジョージア」ブランドの新たなキャンペーンメッセージ「毎日って、けっこうドラマだ。」に基づいて制作された新CM。楽曲「LADY」はそんなテーマにちなみ、ドラマの裏側にある日常に焦点を当てて制作された楽曲となっています。
米津玄師さんは楽曲について、
この曲は、日々の気だるさから⼀歩外に出てみようじゃないかというコンセプトで作りました。
「毎日って、けっこうドラマだ。」というテーマに対して、ドラマがあるんだったらその裏には、しょうもない日常があるはずで、その日常を表現するために、単調なリズムとか、ちょっと躓きそうなピアノのニュアンスを取り⼊れて、そこからバーッと解放していくというダイナミズムをこの曲で表現できたらいいなということを考えながら作りましたね。
とコメントされています。また、「平坦な生活からほんの少しだけフケられたらいいなという気持ちを音楽にしました。」とも発言されていました。
ドラマと、その裏側のしょうもない日常。
この対比に注目しながら、楽曲の歌詞を読み解いていきましょう。
前髪を分け、これまで隠れがちだった目と眉をあらわにした米津さんの新アーティスト写真も話題を呼んでいます。要チェックです。
歌詞
例えば僕ら二人 煌めく映画のように
出会いなおせたらどうしたい
何も謎めいてない 今日は昨日の続き
日々は続くただぼんやり微かな足音 シーツの置く場所
それだけで全てわかってしまうよ
見え透いた嘘も隠した本当も
その全て愛おしかったレディー 笑わないで聞いて
ハニー 見つめ合っていたくて
君と二人 行ったり来たりしたいだけ
ベイビー 子供みたいに恋がしたい
書き散らしていく僕らのストーリーライン例えばどっちか一人 ひどい不幸が襲い
二度と会えなくなったら
考えた矢先に 泣けてしまうくらい
日々は続く一層確かにいつもの暗い顔 チープな戯言
見過ごすようにまた優しいんだろう
見え透いた嘘も隠した本当も
その目から伝わってきた引っ張ったり噛み付いたり 傷ついたふりしてみたり
明日の朝に持ち越したり 浮ついたりして
思いきり傷つきたい いつまでもそばにいたい
今すぐ行方をくらまそうレディー 何も言わないで
ハニー 僕の手を取ってくれ
君以外に 考えられないだけ
ベイビー あの頃みたいに恋がしたい
書き散らしていく 踊り続けるレディー 笑わないで聞いて
ハニー 見つめ合っていたくて
君と二人 行ったり来たりしたいだけ
ベイビー 子供みたいに恋がしたい
書き散らしていく僕らのストーリーライン
作詞:米津玄師
歌詞の意味・解釈
1番
例えば僕ら二人 煌めく映画のように
出会いなおせたらどうしたい
何も謎めいてない 今日は昨日の続き
日々は続くただぼんやり
僕ら二人、煌めく映画のように出会いなおせたらどうしたい?
そんなドラマチックな歌い出しで始まる今回の楽曲ですが、残念ながらこれは主人公の願望に過ぎず、現実はそんなに素敵なものではありません。
《日々は続くただぼんやり》
楽曲の根底にあるのは、2人の人物が過ごすなんてことない平坦な日常。
もう2人で過ごすことが当たり前になってしまって、ロマンスなんて感じられない、ありきたりな生活です。
「ドラマがあるんだったらその裏には、しょうもない日常があるはず」
そんな米津さんのコメントがあったように、今回の楽曲ではドラマのような劇的な出来事と、そうではない平坦な日常とが対比的に描かれていきます。
微かな足音 シーツの置く場所
それだけで全てわかってしまうよ
見え透いた嘘も隠した本当も
その全て愛おしかった
特定の誰かと一緒に暮らしていると、ほんの少しの生活音で相手が今何をしているのか、どこの床が軋んだ音なのかなんてこともわかってしまうものでしょう。
そんな風に当たり前に二人で過ごしすぎていて、少しのきっかけで大抵のことは予想できてしまうつまらない生活。衝撃的な出来事なんてそう起こるものではありません。
昔は見え透いた嘘も隠した本当も、その全てが愛おしかったのに。
それらが単なる日常に溶け込んでしまったことを主人公は嘆きます。
サビ1
レディー 笑わないで聞いて
ハニー 見つめ合っていたくて
君と二人 行ったり来たりしたいだけ
ベイビー 子供みたいに恋がしたい
書き散らしていく僕らのストーリーライン
ここまでの歌詞では、ただぼんやりと続いていく日常のけだるさのようなものが根底に描かれていました。
サビでは、そんな平坦な日常から一歩外に抜け出したい、ほんの少しだけフケりたい、というちょっとした逃避願望が描き出されていきます。メロディーラインも、ここまでの比較的単調なリズムから吹き抜けの開放的なものへと昇華されています。
《ベイビー 子供みたいに恋がしたい》
甘酸っぱさなんて感じない、当たり前になってしまった二人の生活。
しかし子供の頃に体験した恋というものはもっと劇的で、酸っぱくて青臭くて、日常にドラマが溢れていたはずです。
米津さんも過去のインタビューで「恋をしてるときって、まともじゃないというか、半分ラリっているような陶酔状態だと思うんです。」と語られていました。
ありきたりの日々から、もう一度子供みたいな恋をして、ほんの少しでいいから逃げ出していたい。
楽曲「LADY」ではそんな想いが歌われていきます。
2番
例えばどっちか一人 ひどい不幸が襲い
二度と会えなくなったら
考えた矢先に 泣けてしまうくらい
日々は続く一層確かに
2番でも1番と同様に、ドラマティックな出来事とありきたりな日常が対照的に描かれていきます。
「ドラマがあるんだったらその裏には、しょうもない日常があるはず」
2番冒頭の歌詞は、米津さんのこのような考え方が顕著に表現された歌詞になっていると感じます。
《考えた矢先に 泣けてしまうくらい 日々は続く一層確かに》
どっちか一人に不幸があって、急に二度と会えなくなってしまうという劇的な展開。
しかし私たちがそれを想像しただけで泣けてしまうくらい心を揺り動かされるのは、それが今のしょうもない日常とはかけ離れたドラマだからに他なりません。
もしも毎日が衝撃的なドラマの連続であれば、別れも大変な日常の一コマに過ぎないのですから。
ドラマがあるからには、その裏側にはそれを際立たせる日常があるはず。
ドラマティックな別れがあまりに非日常だと思えるくらいに、今の二人の暮らしは平坦で当たり前のものなのです。
この後の歌詞では、この曲が追い求めている「子供みたいな恋」が詳しく描き出されていきます。
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