【ヨルシカ】の
「五月は花緑青の窓辺から」について
歌詞の意味を徹底的に
考察および解説していきたいと思います。
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楽曲の基本情報
上は本楽曲が収録される第一弾アルバム「だから僕は音楽を辞めた」のティザー映像。
3:27から流れるのが今回紹介する
「五月は花緑青の窓辺から」になります。
静的なイメージが強いヨルシカの中でも本楽曲は、ゴリゴリのロックサウンド。畳み掛けるような勢いで展開されるサビが特に印象的です。
どんな楽曲背景が存在するのでしょうか。
楽曲名「五月は花緑青の窓辺から」とは
「花緑青(はなろくしょう)」とは
明るく渋い青緑色。
エメラルドグリーン。
という意味になっています。
具体的にはこのような色のこと。
後述する歌詞で
例う涙は花緑青だ
とあるように、花緑青は涙と対比されています。
つまり「五月は花緑青の窓辺から」
というのは、
五月に涙ぐんて窓を眺める
そんな情景を映しているのです。
この楽曲名が歌詞の内容と
どう関与しているのでしょうか。
歌詞
夏が終わることもこの胸は
気のせいだって思っていた空いた教室 風揺れるカーテン
君と空を見上げたあの夏が
いつまでだって頭上にいたさようなら
青々と息を呑んだ 例う涙は花緑青だ
黙ったらもう消えんだよ
馬鹿みたいだよな思い出せ!
思い出せない、と頭が叫んだ
ならばこの痛みが魂だ
それでも それでも聞こえないというなら愛想笑いの他に何も出来ない
君と夏を二人過ごした想い出を
笑われたって黙っている笑うなよ 僕らの価値は自明だ
例うならばこれは魂だ
黙っただけ辛いのに馬鹿みたいだろ
なぁ、言い返せ言い返せないまま一人歩いた
指を指された僕が残った
それでも それでも思い出せないのかさようなら
青々と息を呑んだ 例う涙は花緑青だ
黙ってくれ わかったよ
君の声がする「思い出せ!」
思い出したんだ、と喉が叫んだ
この痛みが君の証明だ
それでも それでも聞こえないというなら
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歌詞の意味・解釈
1番
夏が終わることもこの胸は
気のせいだって思っていた
「五月は花緑青の窓辺から」
という楽曲タイトル名でありながら、歌詞に綴られるのは
夏が終わる
というタイトルと一致しない時節。
なぜなのでしょうか。
下記の歌詞で明らかになります。
空いた教室 風揺れるカーテン
君と空を見上げたあの夏が
いつまでだって頭上にいた
時節が一致しなかったのは
1番に綴られる歌詞は主人公の回想
だったからです。
ここで前提として、
踏まえて頂きたいことがあるのですが
「君」という登場人物=「エルマ」
という女性であることです。
これは本楽曲が収録されている、ヨルシカの1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」が一人の青年の物語によって構成されていることに起因しています。
ピンと来ない方は、
別楽曲の解釈を一度お読みください。
これらを踏まえて考察を続けていきます。
サビ1
さようなら
青々と息を呑んだ 例う涙は花緑青だ
黙ったらもう消えんだよ
馬鹿みたいだよな思い出せ!
さようなら
とあるように、現在エルマと主人公は離れ離れになっています。
そして別楽曲の解釈で述べていますが
エルマとは死別した
という可能性が高いのです。
歌詞中の
青々 花緑青
という色彩表現は
主人公の憂鬱(ブルー)
を対比しているのではないでしょうか。
また、花緑青は毒性のインクです。
思い出せない、と頭が叫んだ
ならばこの痛みが魂だ
それでも それでも聞こえないというなら
思い出せ!という自問に対して
「思い出せない」という
返答をするのはなぜでしょうか。
注目すべきは「頭が叫んだ」という部分。
本来、頭が叫んだとは適切な表現ではないですよね。しかし敢えて頭という部位を選定しているのには理由があります。
頭が叫んだ=思考の末の結果
ということ。
本来、主人公はエルマを
思い出せないわけがありません。
しかし“思い出せない”とあるのは、
脳で無理やり制御しているから
です。
エルマに対する想いが強かった分、思い出すと苦しいから抑制しているのです。
「思い出せない」
と自己暗示をしているのに、痛みを感じているあたり、生々しい葛藤が伺えるのではないでしょうか。
2番
愛想笑いの他に何も出来ない
君と夏を二人過ごした想い出を
笑われたって黙っている
主人公が回想する時節は「夏」
しかし、今の時節は「五月」
ここから推測されるのは、エルマと離れ離れになってから、少なくとも約一年は経過しているということです。
笑われた
とありますが、いつまでも昔の想い人を引きずっている主人公を、周囲の友達が馬鹿にしているのでしょうか?
これに対し主人公は何もできず、
だただだ愛想笑いを浮かべるだけ。
そんな自分に情けなさを感じたのでしょう。
次のサビで葛藤が描かれます。
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