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【ヨルシカ/老人と海】歌詞の意味を徹底解釈!名作小説をオマージュした爽やかなナンバーを考察。

【ヨルシカ】「老人と海」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✔ 小説『老人と海』との関係

✔ 楽曲に込められたメッセージ

 

骨助
骨助

海を感じさせるメロディが美しい一曲。小説『老人と海』の内容と合わせて、楽曲の歌詞を考察していきます…!

 

 

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題材は文学小説

今回紹介していく「老人と海」は2021年8月18日に配信がスタートしたヨルシカのデジタルシングル曲です。

株式会社バニッシュ・スタンダード “STAFF START” CMソングにも決定しており、全国でテレビオンエアされています。

 

「老人と海」は、前作「又三郎」に続いて文学作品を題材にした作品。

度々日本の教科書にも掲載されている、アーネスト・ヘミングウェイによる短編小説 『老人と海』 をモチーフにした楽曲となっています。

 

~穏やかな休日に二人は海への道を歩きながら、遠く海の向こう、アフリカの砂浜を夢想する~

ヨルシカ「老人と海」の特設サイトでは楽曲について、このように説明されていました。

楽曲の歌詞は一体何を歌ったものなのか、この記事では小説『老人と海』について説明しながら考察していきます。

 

骨助
骨助

まずは小説『老人と海』のあらすじを解説します。

小説『老人と海』について

アーネスト・ヘミングウェイによる短編小説 『老人と海』

1952年に出版された世界的なベストセラー作品で、ヘミングウェイの後のノーベル文学賞受賞を決定づけた作品であると言われています。

 

簡単なあらすじは以下の通り。

キューバに住む老人サンチャゴは漁師として、大型魚を獲って獲って暮らしを立てていた。あるとき数か月にわたる不漁に苦しみ、自分を慕ってくれていた助手の少年は両親の指示で別の船に乗らされてしまう。老人は毎晩、若き日に見たライオンの夢を見る。老人は独りで漁に出る。
老人の針に巨大なカジキが食いつく。3日間にもわたる死闘の末、老人はついにカジキを仕留める。
帰りの船で、老人の船はサメに襲われる。サメたちは船にくくり付けられたカジキの血を嗅ぎつけ、その肉を狙っているのだった。老人は必死にサメたちと闘うが、カジキの体は次第に食いちぎられていく。しかし老人は思うのだった。人間は殺されることはある、しかし、敗北するようにはできていないのだと。
深夜に船が港に着く頃にはカジキは食い尽くされ、巨大な骨が残るだけであった。少年は老人と再び漁に出る約束を交わす。老人は眠りにつき、ライオンの夢を見ていた。

ざっくりとした内容はこんな感じです。

 

カジキ・サメとの戦いを通して、夢を追い続ける老人の人生を描き出した物語。

外面的な描写にこだわった作品なので、作品にどんな意味があるのか、結局何が言いたかったのかは読み手の解釈に委ねられています。

青空文庫で無料で読むことも可能ですので、興味のある方はぜひ。

 

小説の内容を確認したところで、さっそく楽曲の歌詞を見ていきましょう…!

骨助
骨助

ここまで説明しておいてなんですが、歌詞は作品と関係しているけれど関係していません。

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歌詞

靴紐が解けてる 木漏れ日は足を舐む
息を吸う音だけ聞こえてる
貴方は今立ち上がる 古びた椅子の上から
柔らかい麻の匂いがする

遥か遠くへ まだ遠くへ
僕らは身体も脱ぎ去って
まだ遠くへ 雲も越えてまだ向こうへ
風に乗って
僕の想像力という重力の向こうへ
まだ遠くへ まだ遠くへ
海の方へ

靴紐が解けてる 蛇みたいに跳ね遊ぶ
貴方の靴が気になる
僕らは今歩き出す 潮風は肌を舐む
手を引かれるままの道

さぁまだ遠くへ まだ遠くへ
僕らはただの風になって
まだ遠くへ 雲も越えてまだ向こうへ
風に乗って 僕ら想像力という縛りを抜け出して
まだ遠くへ まだ遠くへ 海の方へ

靴紐が解けてる 僕はついにしゃがみ込む
鳥の鳴く声だけ聞こえてる
肩をそっと叩かれてようやく僕は気が付く
海がもう目の先にある

あぁまだ遠くへ まだ遠くへ
僕らは心だけになって
まだ遠くへ 海も越えてまだ向こうへ
風に乗って 僕の想像力という重力の向こうへ
まだ遠くへ まだ遠くへ
海の方へ

僕らは今靴を脱ぐ さざなみは足を舐む
貴方の眼は遠くを見る
ライオンが戯れるアフリカの砂浜は
海のずっと向こうにある

 

作詞:n-buna

歌詞の意味・解釈

1番

靴紐が解けてる 木漏れ日は足を舐む
息を吸う音だけ聞こえてる
貴方は今立ち上がる 古びた椅子の上から
柔らかい麻の匂いがする

冒頭の歌詞は、老人の住んでいる小屋の描写でしょうか。

粗末な小屋で、静かな時間を過ごす二人。老人が立ち上がり、歩き出すところから楽曲は始まります。

 

【 ~穏やかな休日に二人は海への道を歩きながら、遠く海の向こう、アフリカの砂浜を夢想する~ 】

先に述べた通り、楽曲の特設サイトでは曲の内容がこのように説明されていました。

しかし実のところ、原作小説『老人と海』にはなんとこのシーンは存在しません。

小説のメインは老人とカジキ・サメの死闘であって、老人と少年が休日を過ごすシーンはきっとあるんだろうけれど小説では描かれていないのです。

 

二人の関係性や作品は小説そのものですが、あくまで『老人と海』をオマージュした外伝的な作品。

【小説を原作にした楽曲】と聞くとYOASOBIが思い浮かびますが、原作の内容に忠実な彼らとはまた制作プロセスが異なっています。

 

サビ1

遥か遠くへ まだ遠くへ
僕らは身体も脱ぎ去って
まだ遠くへ 雲も越えてまだ向こうへ
風に乗って
僕の想像力という重力の向こうへ
まだ遠くへ まだ遠くへ
海の方へ

僕の想像力も叶わない、はるか遠くの世界へ

サビの歌詞では、二人は遥か彼方の景色に思いを馳せています。

 

ここで登場する《海》は、二人にとってどんな場所なのでしょうか。

原作小説では老人がカジキを獲った後、サメに襲われるという現実的で残酷な側面も描かれているわけですが、ここでの《海》はもっと神秘的な存在であるような気がします。

原作において老人は、海を親愛なる女性のように考えていました。

巨大な獲物が潜んでいるかもしれないし、見たこともない景色が待ち受けているかもしれない。

老人が人生の大半を費やした、大いなる夢の眠る場所。

残酷だけど、美しくて優しい存在。

 

そんな《海の方へ》二人は歩んでいきます。

 

2番

靴紐が解けてる 蛇みたいに跳ね遊ぶ
貴方の靴が気になる
僕らは今歩き出す 潮風は肌を舐む
手を引かれるままの道

この楽曲では、「靴」に関する描写が数多く登場します。

老人の履いている靴の紐がほどけていることを少年はずっと気にかけています。

じゃあ原作小説でも「靴」は重大なテーマなのだろう。そう思いきや、原作で「靴」が中心になって描かれることは全くありません。

それどころか、作中で老人を含む漁師たちは基本的に裸足なのです。

 

紐がほどけた靴は、気になるし実に面倒です。

ここではあえて「靴」を登場させることで、それを人々を縛り付ける不自由の象徴として描いているのではないでしょうか。例えば社会の慣習とか、ルールとか。

 

靴ひもを気にする少年と、特に気に留める様子もない老人。

大きなものを夢見る老人にとって、そんなことはどうでもいいのかもしれません。

 

サビの歌詞は一番とほとんど同じなので考察は割愛し、3番の考察に移ります。

 

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