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【クリープハイプ/イト】歌詞の意味を徹底解釈して考察!運命と呼べるその日まで。

映画「帝一の國」の主題歌として、
脚光を浴びてからというもの、
人気曲として存在し続ける

【クリープハイプ】「イト」

今回はその人気曲の

MVと歌詞の意味を徹底的に

考察および解説していきたいと思います。

またも尾崎さんの比喩表現が光ります。

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楽曲名「イト」とは

本楽曲のタイトルは

敢えて「カタカナ表記」なのです!

「イト」は漢字に変換すると

「糸」とも「意図」とも取れます。

これこそが本楽曲の巧みな部分であり、

タイトルが意味するのは上の

「二つのイト」なのです。

これらを踏まえた上で楽曲に寄り添っていくことで、ようやく隠されたメッセージ性に近付くことができます。

MVの意味・解釈

斬新なアイデアからなる本楽曲のMVは

紙人形と実写を融合して撮影された

「ハイブリッド・ペープサート」

となっている。

ペープサートとは、紙人形劇を意味する。

 

そして、この紙人形劇は

「イト」の歌詞の世界観に
感化された
フィクションストーリー

となっています。

序盤は、本人に操られる「紙人形たち」がバンド活動していく様が展開されていき、3:10からは「本人たち」の演奏姿が映し出されていく。

また、面白いのがゲスト。

  • タレントの清水ミチコ
  • ピン芸人のほいけんた
  • グラビアアイドルの都丸紗也華

らが出演しており、
紙人形たちの芸能活動や
尾崎さんの情動をより
リアルに再現させている。

これらすべての要素により「ユニークさ」と「クールさ」を兼ねそろえたMVに仕上がっているのです。

では、本題の歌詞に迫っていきます。

歌詞

この度はどうも 末長くどうか
誰かの糸で ぎこちないお辞儀
この旅はどうも 雲行き怪しい
誰かの意図で やるせない動き

だからいくら寄り添っても
寄り添った分絡まって
だから待ってもそのまま
身動き取れない

いつかこの糸が千切れるまで
今は踊れ手のひらで
どうか重ねた手の温もりで
何度でも探せ
いつもまとわりつくこの糸を
運命と呼べるその日まで
どうか重ねた手を掴むまで
何度でも壊せ

切れたら切れたで 不安になるのは
積み上げた物を 信じているから

だからいくら踏み出しても
踏み出した分怖がって
わかってたって無駄
身動き取らなければこのまま人形だ
踏み外しても転がる意思

いつか君の糸が見えるまで
いつか君の意図が見えるまで

いつかこの糸が千切れるまで
今は踊れ手のひらで
どうか重ねた手の温もりで
何度でも探せ
いつもまとわりつくこの糸を
運命と呼べるその日まで
どうか重ねた手を掴むまで
何度でも壊せ

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歌詞の意味・解釈

二つのイト

この度はどうも 末長くどうか
誰かの糸で ぎこちないお辞儀
この旅はどうも 雲行き怪しい
誰かの意図で やるせない動き

二つの意味を兼ねそろえた「イト」

に注目です。

二つのイトの意味は

  1. 糸は、人形を操り
  2. 意図は、行動を示唆させる。

ということで、歌詞中では

  1. 社会に強調して、頭を下げる様子
  2. 周りの人間に気を遣い、
    本音とは違う行動をする様子

などという、現状社会で起こりうる具体例を「イト」の掛け合わせにより、器用に表現している。

センスがすごい。

だからいくら寄り添っても
寄り添った分絡まって
だから待ってもそのまま
身動き取れない

  1. 相手との距離を詰めすぎると、それまで冷静に見れていたものが見えなくなり、結果相手との関係も上手くいかなくなる。
  2. 相手との距離を保とうと、能動的な行動を起こさないでいると、それが当たり前になり、今更関係を築きにくくなる。

そんな相反する「人間関係のジレンマ」

糸で操られる人形と対比させ表している。

この絶妙なもどかしさの表現。

さすが尾崎さんと言うしかありませんね。

運命と呼べなくても…

いつかこの糸が千切れるまで
今は踊れ手のひらで
どうか重ねた手の温もりで
何度でも探せ
いつもまとわりつくこの糸を
運命と呼べるその日まで
どうか重ねた手を掴むまで
何度でも壊せ

生き様を糸人形に例えた表現が光る。

人生なんて糸人形と同様に、誰かの意図によって動かされているものだから、

今は「運命」とは言えない。

しかし、誰かの意図によって作られた舞台や人間関係だったとしても、必死に演じているうちに「温かく光るモノ」に変わっていくかも知れない。

だから、何度でも輝ける舞台を探す。

洒脱で秀逸な表現ですね。

 

私たちの人生も同様に、

『社会に流されつつも、
何とか自分らしさを保って』

光る未来に向かおうとしているのです。

解釈すると共感性の高さに驚きます。

言葉の掛け合わせが上手すぎる。

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踏み外しても転がる意思

切れたら切れたで 不安になるのは
積み上げた物を 信じているから

糸人形において、
糸が切れるということは、

舞台を失うこと

を意味する。

難しい対比かも知れませんが、

私たちの人生に置き換えると「切れる」

とは何を失うこと意味するのでしょうか?

 

後続する歌詞との辻褄を考えると

「操られつつも保っていた自分らしさ」

を失う事ではないかと解釈致しました。

そうすると、

他人の意図で動かされていたとしても、
それも自分らしさの一部分で、
納得して積み重ねてきたものだから

“切れたら切れたで不安になる”

“積み上げた物を 信じているから”

とあるように解釈できるのです。

だからいくら踏み出しても
踏み出した分怖がって
わかってたって無駄
身動き取らなければこのまま人形だ
踏み外しても転がる意思

いつか君の糸が見えるまで
いつか君の意図が見えるまで

『自分らしさを肯定したい』

そう思って踏み出したとしても、その分

社会から見たら異質な存在

となってしまい非難を受けるのも現実。

しかし、踏み出さない限りは、

誰かの意図で動く操り人形

から脱すことはできない。

そう。

どうしようもない板挟み状態

なのです。

そこで

踏み外しても転がる意思

という歌詞に注目!

つまり、

こんな板挟み状態を抜けきるには

社会に避難されても自分らしさを持つこと

だと言っているのです。

運命と呼べる日まで

いつかこの糸が千切れるまで
今は踊れ手のひらで
どうか重ねた手の温もりで
何度でも探せ
いつもまとわりつくこの糸を
運命と呼べるその日まで
どうか重ねた手を掴むまで
何度でも壊せ

一通り解釈を終えたいま、改めて歌詞を眺めると、非常に感慨深いものであることが分かる。

誰かのイトで動かされていたとしても、誰かに気を遣いながら生き続けたとしても、何度でも正解を探して、何度でも失敗を壊して、その先にようやく「運命と呼べる日」という素敵な日が待っているのです。

感想

  • 現実社会のもどかしさ
  • 密かに待ち望んでいる希望の日

が「二つのイト」によって
巧妙に描かれていました。

尾崎さん得意の比喩表現が光ってましたね。

改めて、歌詞の世界観が最高過ぎる。

時間がある方は、
こちらのまとめページをどうぞ。

【クリープハイプ/イト】

MVと歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)

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