映画「天気の子」の主題歌として
【RADWIMPS】が提供した
「グランドエスケープfeat. 三浦透子」
その歌詞の意味を徹底的に
考察および解説していきたいと思います。
背中を押されること間違いなし!
洋次郎さんの発想が面白いです。
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映画「天気の子」主題歌!
本楽曲は
新海誠監督×RADWIMPS
のタッグによりお送りされる
映画「天気の子」の主題歌となっています。
「君の名は。」以来の激熱タイアップ。
これだけで主題歌と映画の内容に対し、期待が高まります、、、
そして今回紹介していく「グランドエスケープ」は、RADWIMPSのボーカル「野田洋次郎」が
僕ではない誰か女性の声で歌が入ってほしい
という想いのもと
「三浦透子」に提供した楽曲。
1年にわたるオーディションの結果、多数の応募者の中から選ばれた彼女の歌声に注目必須です。
上の動画は「天気の子」の予告動画ですが、 ここで「グランドエスケープ」の一部を視聴することが出来ます。
声が耳に入ってきた瞬間、
彼女の声の魅力を感じるはずです。
惹き込まれる、、、
洋次郎さんも三浦さんの歌声について
どんな天気をも晴れにしてしまうような圧倒的で不思議な力を持つ
と称賛のコメントをしています。
では、本題の楽曲考察に移っていきます。
楽曲名「グランドエスケープ」とは
「グランド」は
他の外来語(ここではエスケープ)の上に付いて
大きな、りっぱな、壮大な、雄大な
などの意味として複合的に使われる言葉。
そして「エスケープ」
こちらは馴染み深い言葉で
脱出、逃亡すること
という意味を持ちます。
つまり「グランドエスケープ」で
立派な逃亡、壮大な脱出
という意を持つと解釈が出来ます。
この楽曲名が歌詞の内容と
どう関与しているのでしょうか。
歌詞
空飛ぶ羽根と引き換えに
繋ぎ合う手を選んだ僕ら
それでも空に魅せられて
夢を重ねるのは罪か夏は秋の背中を見て
その顔を思い浮かべる
憧れなのか、恋なのか
叶わぬと知っていながら重力が眠りにつく
1000年に一度の今日
太陽の死角に立ち
僕らこの星を出よう
彼が目を覚ました時
連れ戻されない場所へ
「せーの」で大地を蹴って
ここではない星へ 行こうもう少しで運命の向こう
もう少しで運命の向こう
もう少しで運命の向こう
もう少しで…夢に僕らで帆を張って
来たるべき日のために夜を超え
いざ期待だけ満タンで
後はどうにかなるさと肩を組んだ怖くない訳ない でも止らない
ピンチの先回りしたって
僕らじゃしょうがない
僕らの恋が言う 声が言う
「行け」と言う作詞作曲:野田洋次郎
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歌詞の意味・解釈
空飛ぶ羽根と引き換えに
繋ぎ合う手を選んだ僕ら
それでも空に魅せられて
夢を重ねるのは罪か作詞作曲:野田洋次郎
「空」
という言葉を見て、思いつく言葉や情景は、経験値で変化するとは思いますが、基本的には「自由」を象徴していると言われています。
そして、手を繋ぐという動作は、
「愛情」や「友情」を象徴します。
つまりここの歌詞では
“自由を捨てて、情愛を選択したけれども、どうしても自由に憧れてしまう”
といったことが言われています。
この後、どうなっていくのでしょうか。
夏は秋の背中を見て
その顔を思い浮かべる
憧れなのか、恋なのか
叶わぬと知っていながら作詞作曲:野田洋次郎
ここは、春夏秋冬を擬人化させたテクニカルな歌詞となっています。
夏の次は秋ですから、必然的に夏は秋の背中を追いかけているということになります。
しかし、夏は秋の顔を見拝むことはできません。なぜなら、夏と秋が同時にやって来ることはなく、夏が終わることで、ようやく秋がやってくるからです。
「秋の顔が見たい」
という夏の想いは叶うことはないのです。
この届かない想いと同じように、主人公が憧れた「自由」は遠いところに位置しています。しかし、遠くて叶わないと知りながらも自由を追いかけ続けているのです。
重力が眠りにつく
1000年に一度の今日
太陽の死角に立ち
僕らこの星を出よう
彼が目を覚ました時
連れ戻されない場所へ
「せーの」で大地を蹴って
ここではない星へ 行こう作詞作曲:野田洋次郎
私たちが生存する「地球」の中で
重力は、絶対的存在
です。
しかし、ここの歌詞では地面に押し付けてくる「重力」を「自由を妨げるもの」として
“もしもなくなったとしたら”
の話をしています。
発想が面白い。
有り得ない事象に対して、千年に一度という表現を使うことで、好機感、チャンス感を強調しつつ、だからこそ
「羽ばたこう!」
と、自由を掲げているのです。
もう少しで運命の向こう
もう少しで運命の向こう
もう少しで運命の向こう
もう少しで…作詞作曲:野田洋次郎
運命の向こう
というのはすなわち
通常の生活の延長線上(運命)には、存在しない体験
のことを意味します。
本歌詞に当てはめると、運命の向こうは
絶対的重力に逆らい、羽ばたいた未来
ということになります。
- 挑戦するから運命の先に行ける。
- 逆境の中でこそ運命を切り開ける。
と、挑戦心や勇敢な行動を助長されますね。
本楽曲のタイトル
「グランドエスケープ」のうち
「グランド」=立派な、雄大な
とも内容がリンクしますね。
夢に僕らで帆を張って
来たるべき日のために夜を超え
いざ期待だけ満タンで
後はどうにかなるさと肩を組んだ作詞作曲:野田洋次郎
帆を張ることで前に進む船のように
しっかり準備して夢に羽ばたこう
と言っています。
よく用いられる言葉で
行動力とリスク管理は表裏一体
というものがあります。
- 夢を追いかけたいけど安定を壊すのが怖い
- 大好きなあの子に告白したいけど振られるのが怖い
など、共感性は高い言葉だと思います。
ここで言うリスクとは、夢が叶わないこと。つまり、リスク管理とは夢の準備です。
だから
準備すること=夢に近づける
ということになるのです。
怖くない訳ない でも止らない
ピンチの先回りしたって
僕らじゃしょうがない
僕らの恋が言う 声が言う
「行け」と言う作詞作曲:野田洋次郎
夢に向かうことの怖れ。
それを理解した上でそれでも
「止まるな!」
と背中を押します。
夢に進んでいく中で、思わぬ事態が起きて、状況が変局したとしても
「それは当たり前なこと
(僕らじゃしょうがない)」
と言っているのです。
だから、もしいま失敗しているとしても、壁にぶつかっているとしても、それは取るに足らない「当たり前な事」だと解釈して、成功をつかみ取ることが大切なのです。
感想
まさに背中を押される
「応援歌」でした。
多数の障害の中で夢を追いかける貴方
には、ザクっと刺さったのではないでしょうか。
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MVと歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)
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コメント
空飛ぶ羽根と引き換えに 繋ぎ合う手を選んだ僕ら の意味は
鳥の祖先は恐竜だそうで 恐竜と人は進化の過程で枝分かれしたそうで
人類は恐竜と枝分かれした時に 羽根を諦めたとみなすことができるかと。
人類は集団で生きることを選び 繁栄した種で。
進化の過程で諦めておいて 空を飛びたいと思うのはどうか って事かと思います
100人いたら 100通りの解釈ができるのって 良いことだなと思います