【椎名林檎】の
「マ・シェリ」について
歌詞(翻訳)の意味を徹底的に
考察および解説していきたいと思います。
私の愛する人が自分の鏡のようになっていく
それに対する感情が生々しく描かれているのです。
是非、最後までご覧ください!
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楽曲の基本情報
本楽曲はアルバム「三毒史」に収録されている1曲ですが、もともとは資生堂「マシェリ」のCMソングとして一部公開されており、 全曲公開は、ライブ林檎博18不惑の余裕が初出でした。
上動画は当時の「MACHERIE」のCM。
懐かしい、、、
また「ma chérie、ma chérie」
と、フランス語から展開される本曲を
“鏡の前で口遊めば、どんな女の子でもきれいになれる魔法の旋律”
と林檎さんは語っています。
この魔法の秘密は、タイトル
「マ・シェリ」の意味に隠されています。
楽曲名「マ・シェリ」とは
「マシェリ」というのは
上で述べたようにフランス語。
男性形と女性形で
- モンシェリ mon chéri
- マシェリ ma chérie
と表記が異なるのですが、
- mon や ma が「私の」という所有格
- chéri(e) が「いとしい人・最愛の人」という名詞
ということで、どちらも
「私のいとしい人・最愛の人」
という意味を持ちます。
また、更に言うと
もともと「マシェリ」というのは
妻や彼女レベルに大事な女性
を男性が呼ぶときに使っていた言葉のようです。
この楽曲名が歌詞の内容と
どう関与しているのでしょうか。
本題の歌詞に迫っていきます。
歌詞(和訳)
(かわいいかわいいかわいい人。
ねえ教えて私はだれ私はだれ?
だってあなたは私の鏡だもの。
とびきり美しい美しい美しい。
ねえ教えて愛してる愛してる?
おお、私はあなたの鏡だった。
かわいい人。)泣き虫で笑い虫。おまけに性急なあなた。
お帰りなさい。大丈夫、
ちゃんと事実ばかり見ている。
穏やかで理性的。目利きで平等なあなた。
おつかれさま。大丈夫、
今日も人はそう評価したから。ああ、わかさっていやに敏感。
恥すべき過去を枚挙して
一(un)・二(deux)・三(trois)
いとまがない。うらら。素顔をそっと拝ませて。
私には、どこも隠さないで。ほら、脱いで
剥いで見せて。
裏表、すべてさらけ出しあそばせ。求めては諦めて大人になって来たあなた。
お忘れなさい。大丈夫、
ちゃんと時は過ぎていくから。ああ、老いていくって何て快感。
持っていた手段を順に一・二・三
捨てればいい。うらら。素顔を知って諾って。
あるがままの欲に気が付いて。ほら、脱いで
剥いで見せて差上げる。
いつも答合せしましょう。(鏡よ鏡、この世で最も完璧に美しいのはだれ?)
自らが最大級の謎。はあ面倒臭い。
要らない。取り替えてよ。自我を交換して。
そう私はあなたの、あなたは私の‥自己を形成して。
もうお互いを鮮明に映すだけ。
ほら、脱いで剥いだらさあどちらが
どちらかを見紛うほどにまで、
似通って来ている。作詞:椎名林檎
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歌詞の意味・解釈
1番
(かわいいかわいいかわいい人。
ねえ教えて私はだれ私はだれ?
だってあなたは私の鏡だもの。
とびきり美しい美しい美しい。
ねえ教えて愛してる愛してる?
おお、私はあなたの鏡だった。
かわいい人。)作詞:椎名林檎
()で表される歌詞はフランス語の訳。
「マシェリ」「マシェリ」とフランス語で綴られて始まる歌い出しですが、本楽曲における「マシェリ」は、女性に向けて放たれる言葉ではありません。
女性目線で、愛する男性を呼ぶ言葉
として使われています。
つまり、自分の愛する人を「鏡」と例えて、歌詞が展開されていくのです。
どうなっていくのでしょうか。
泣き虫で笑い虫。おまけに性急なあなた。
お帰りなさい。大丈夫、
ちゃんと事実ばかり見ている。
穏やかで理性的。目利きで平等なあなた。
おつかれさま。大丈夫、
今日も人はそう評価したから。作詞:椎名林檎
きっと多くの人が、多少なりとも
「家と外では違う顔を持っている」
と思います。
ここの歌詞ではそれについて述べられており
主人公の愛する「あなた」は
- 泣き虫
- 笑い虫
- 性急
といった家の顔と
- 穏やか
- 理性的
- 目利き
- 平等
という社会的な部分があるのです。
「人はそう評価したから」
という表現には皮肉を感じますね。
本当は社会のために作られた顔だけど、人はあなたの思い通り良く評価しているよ~と。
ああ、わかさっていやに敏感。
恥すべき過去を枚挙して
一(un)・二(deux)・三(trois)
いとまがない。うらら。作詞:椎名林檎
今度は、彼の二面性に対して、
皮肉を言う自分に呆れています。
彼の事に対して妙に敏感な自分
そのせいで他の事を考える暇がないのです。
なぜこんなに敏感なのかというと
彼は自分の「鏡」のような存在だから。
ここに関しては、
後述していく文で深堀りしていきます。
サビ1
素顔をそっと拝ませて。
私には、どこも隠さないで。ほら、脱いで
剥いで見せて。
裏表、すべてさらけ出しあそばせ。作詞:椎名林檎
二面性を持つ彼に対して
「すべてをさらけ出して」
と迫っている情景が描かれる。
愛する「あなた」だからこそ
隠し事なく全てを理解したい
のです。
しかし、こう言う背景にあるのは、彼が全てをさらけ出してないことを感じ取っているからかも知れません。その根拠は、自分がそうだから。「鏡」のようなあなただから、自分のことのように読み取れてしまうのです。
つまり、本楽曲で綴られる彼の二面性などの一面は、自分がそうだから敏感に分かってしまうのです。
割と共感性の高い部分だと思います。
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2番
求めては諦めて大人になって来たあなた。
お忘れなさい。大丈夫、
ちゃんと時は過ぎていくから。作詞:椎名林檎
自らの欲が叶わないこともある。
テキストだけを見ると、体を求めてきたあなたを拒絶したようにも見えますが、歌詞の流れを捉えると、純粋に「彼の思い通りにいかない出来事が起きた」のでしょう。
単純な解釈ですが、それに対して
「大丈夫」
と、励ましの言葉を送っているのです。
ああ、老いていくって何て快感。
持っていた手段を順に一・二・三
捨てればいい。うらら。作詞:椎名林檎
老いるのは悪いことではありません。
- 小さなことを気にしなくなる
- 忘れることで負を遠ざけれる
など、ポジティブに考えれば考えるほど、いいこと尽くしです。
1番で
とあったように、若いからこそ敏感になってしまい、振り回されてしまう事柄なんてたくさんあります。しかし、年を取ることで寛容になり、いい意味で頭によぎることを捨てることが出来るのです。
だから、
老いる=素敵
と言っているのでしょう。
サビ2
素顔を知って諾って。
あるがままの欲に気が付いて。ほら、脱いで
剥いで見せて差上げる。
いつも答合せしましょう。作詞:椎名林檎
諾(うべ)なうとは、
承諾の気持ちを表す言葉。
ここの歌詞では
“お互い裸になって向き合うことで
答え合わせができる”
と言っています。
なぜなら、主人公とあなたは「鏡」だから。
相手を見ることで、
自分を知ることが出来るのです。
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3番
(鏡よ鏡、この世で最も完璧に美しいのはだれ?)
自らが最大級の謎。はあ面倒臭い。
要らない。取り替えてよ。自我を交換して。
そう私はあなたの、あなたは私の‥作詞:椎名林檎
あなたを私は鏡のように似ている
そうは言っても、彼の皮肉的な部分ばかりが映る自分に、主人公はやや劣等感を感じているのでしょう。
なぜなら
人間は他人を見るときに、
自分自身のフィルターを通している
からです。
分かりやすく言うと、誰かが一般的に優しい行動をしたときに「優しい」と感じるかどうかは、そういう性質が自分の中にあるかどうかで決まってくるからです。もしも、自分の中に優しさを感じ取る性質がなければ、その優しさを感じ取ることができず、気付くことができないのです。
相手を皮肉めいて見てしまう主人公。
それは、自分の中にそういった部分が多いから、その部分ばかりが投影されているのです。
ラストサビ
自己を形成して。
もうお互いを鮮明に映すだけ。
ほら、脱いで剥いだらさあどちらが
どちらかを見紛うほどにまで、
似通って来ている。作詞:椎名林檎
鏡として投影してしまうことで、
相手を見る=自分を見る
となり、劣等感を感じてしまうから
自己を形成して
と言っているのです。
よく
ずっと一緒にいる恋人同士は似通ってくる
と言いますが、それが起きている現状。
相手を通して自分が見えてしまう現状を、うとましく思っているのでしょう。
感想
実に、心理深い部分が
描かれていたのではないでしょうか。
他人を見ること。
それは、他人や状況に対して自分がどう感じているのかを見る際に、自分自身では気づきにくい自分の内面をさぐるヒントになってきます。
「反面教師」という言葉があるように、自分が抑圧している感情や自分の隠された魅力を探すには、うってつけなのです。
改めて、深みのある歌詞でした。
【椎名林檎/マ・シェリ】
歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)
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コメント
椎名林檎さんのマシェリ。
歌詞の解釈は人それぞれかも知れませんが、この曲の歌詞は恋人ではなく、女性が鏡の中の自分自身に言っているのでは?と思います。
LUNAさんコメントありがとうございます。
「マシェリ」が女性を指す言葉という点や、鏡という情景、「鏡よ鏡、この世で最も完璧に美しいのは誰?」という歌詞から、自分もLUNAさんと同解釈だったのですが、
私の愛する人が自分の鏡のようになっていく「マ・シェリ」
というコメントが三毒史のインタビューに綴られていたため、視点を変えて
「愛する人を見ている女性」
という形で解釈を行った所存です。
ただ、どちらで捉えても面白いですね。
こんにちは。
マシェリの解釈、私にとって予想外のもので、とても、素敵だなぁと感じました。
私の勝手な解釈では、「私の愛する人が自分の鏡のようになっていく」は「私の愛する人=私(理想の私)」と考えていました。
1曲目の鶏と蛇と豚にあるように、「愛するのは自分だけ」であり、マシェリの英題であるego-ismという事からもそう思っていました。
曲の最後で、鏡に映る理想の私と現実の私が同じになり、次の曲の
どん底までの「史上最強に仕上がった自分」になったと思っていました。
長々と失礼いたしました。
ブログ楽しく拝見させていただきました^_^
むぎさん、こんばんは。
返信が遅くなってしまい申し訳ありません。。
皮肉な言い回しや「私の愛する人が自分の鏡のようになっていく」というインタビューコメントから、「愛する人」=「私」とはならずに、「愛する人」=「愛する彼」という仮説を立てたのですが、むぎさんの考察が的確過ぎて、「私の愛する人」=「私」という線も濃厚だなと、ゾワゾワしながらコメントを読ませていただきました。
鶏と蛇と豚との繋がり、そしてマシェリ=ego-ismは、本当に面白いですね。自分の発想外の解釈に関心致しております。
改めて「マシェリ」深いですね、、、
面白いコメントありがとうございました。今後もよろしくお願いいたします。
林檎が女性ファンを思って作ったというインタビューがありました。
やはり女性目線の歌だったのですね。コメントありがとうございます(^^)