【ずっと真夜中でいいのに。(通称:ずとまよ)】の
「マイノリティ脈絡」について
歌詞の意味を徹底的に
考察および解説していきたいと思います。
葛藤の末、主人公を待っている結末とは!?
ACAねさんの綴る難解な歌詞を丁寧に読み解いていきます。是非、最後までご覧ください。
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楽曲の基本情報
今回紹介する「マイノリティ脈絡」は
2ndミニアルバム『今は今で誓いは笑みで』
の4曲目に収録されているナンバーです。
【miniAL曲紹介】
04.マイノリティ脈絡
アレンジは煮ル果実さん今は今で紛らわすほど確信的で
色んな理不尽を想定し過ぎてこわくて踏み込めないこと多し そこまで考えてしまう時点でもう始まってしまってるのもまた一興。。#今は今で誓いは笑みで #よかった— ACAね(ずっと真夜中でいいのに。) (@zutomayo) 2019年6月11日
上記はACAねさんのTwitterでの呟き。
楽曲について
色んな理不尽を想定し過ぎてこわくて踏み込めないこと多し そこまで考えてしまう時点でもう始まってしまってるのもまた一興。。
とコメントしています。
意味深さが安定してますね(笑)
しかし、楽曲に深入りする為には見過ごせないコメント、、、どんな意味を持つのでしょうか?
少し分かりやすく独自解釈をすると
といったところでしょうか?
このACAねさんのコメントと絡み合ってくる歌詞の展開に注目です。と、その前に楽曲名の解釈に移ります。
楽曲名「マイノリティ脈絡」とは
「マイノリティ」とは
社会的少数者 。
という意味であり、
「脈絡」とは
脈、物事の一貫したつながり、筋道。
という意味になっています。
つまり「マイノリティ脈絡」を直訳すると
「社会的少数派に続く道」
ということになります。
ちなみに、物理的な数が少数でなくても、差別や構造により社会的に弱い立場である場合は「マイノリティ」と呼ぶようです。対になる言葉は、マジョリティ(社会的多数派)です。
この楽曲名が歌詞の内容と
どう関与しているのでしょうか。
歌詞
実は僕は こう見えて強引に
ビリビリに包装紙 破ける
切らした無添加の味噌 選んで
朝ごはんの支度で忙しい
かっこつける 君の日々の文脈も
可愛がれてしまう日々は
きっと 父さんも 姉ちゃんも 誰も
何も知り得ない
邪に はみ出した純粋から消え去りたいね
捏ねくり回して塞いだって もうっ
割り切りたいよ
客観的な言葉で操れられんよ
気づかれたくて でも冷静でいるんだ
帰れなくなる前に痛んでよかった紛らわして紛らわして 距離を取るほど
一方的を貫くなら
触れたい=凌ぎたい=口にはしない
散々 確信しているから
話さないよ 離せないよ
見つめ合う時 僕でいられるなら
足りない=繋ぎたい=全て成らない 方が
仲良しだね、よかった悲しいたましい 晒しあえるとき
新しいはなし 交わしあえるとき
悲しいたましい 晒しあえるとき
新しい悲しい 交わしあえるとき最終地点に連れ出して?
自然な細胞に入れ替えて
想像破壊は辞めにして?
体内に早急に悩みたいのにな確かめたくて
安心感を汚したって もうっ
割り切りたいよ
能動的な方程式を保ってられんよ
近づきたくて でも冷静でいるんだ
途切れてしまう前に素直でよかった紛らわして紛らわして 距離を取るほど
一方的を貫くなら
触れたい=凌ぎたい=口にはしない
散々 確信しているから
話さないよ 離せないよ
見つめ合う時 僕でいられるなら
足りない=繋ぎたい=全て成らない 方が
仲良しだね、よかった悲しいたましい 晒しあえるとき
新しいはなし 交わしあえるとき
悲しいたましい 晒しあえるとき
新しい悲しい 交わしあえるとき誰にも明かさずに超えてみたい
仮になる前に潤わせたい
今わかるなら問いときたい 喋ろ
ただ 自分になりたいの 一刻も早く紛らわして紛らわして 距離を取るほど
一方的を貫くなら紛らわして紛らわして 距離を取るほど
一方的を貫くなら
触れたい=凌ぎたい=口にはしない
散々 確信しているから
話さないよ 離せないよ
見つめ合う時 僕でいられるなら
足りない=繋ぎたい=言葉にしちゃう から
ありがと、で良かった作詞:ACAね
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歌詞の意味・解釈
1番
実は僕は こう見えて強引に
ビリビリに包装紙 破ける
切らした無添加の味噌 選んで
朝ごはんの支度で忙しい
かっこつける 君の日々の文脈も
可愛がれてしまう日々は
きっと 父さんも 姉ちゃんも 誰も
何も知り得ない
邪に はみ出した純粋から作詞:ACAね
主人公の本性は、周知されているものとギャップがあるようです。
周りから見た主人公は
落ち着いていい子。
しかし、主人公が秘めている本性は
強引に ビリビリに包装紙 破ける
と歌詞で表現されるほど、
強引でアグレッシブ。
これかなり共感性が高い。他人の評価と自分の本性が一致しないことって良くありませんか?別に優しくないのに「優しい」と言われたり、縮こまっているだけなのに「大人しい」と言われたり、、、
そして、主人公が多面性を秘めていることが
切らした無添加の味噌 選んで
朝ごはんの支度で忙しい
という部分で表現されています。
無添加とは、
特定の物質が使用されていないこと
を表す。
つまり、
隠された主人子の一面
の事を言っています。
解釈すると
毎日毎日、性格を選んで切り替えている
ということです。
性格を切り替えるまでは言わなくても、その日の気分で人の性格って変わりますよね。そんなニュアンスでOKだと思います。
消え去りたいね
捏ねくり回して塞いだって もうっ
割り切りたいよ
客観的な言葉で操れられんよ
気づかれたくて でも冷静でいるんだ
帰れなくなる前に痛んでよかった作詞:ACAね
- 他人の物差しで計測される評価
- 多面的な自分を統合した自己評価
ここのギャップに主人公は
強いもどかしさを感じている訳です。
確かに他人からの評価を押し付けられると窮屈になりますもんね。例えば「いい子」という認識をされていると、いい子でいなければならないと思ってしまう。
この窮屈から脱却したいから
客観的な言葉で操れられんよ
気づかれたくて(本性を)
と歌詞中に綴られているのでしょう。
帰れなくなる前に痛んでよかった
というのは、
客観的評価に染まってしまう前に、
本性とのギャップを感じることが出来てよかった
ということでしょう。
ギャップに気付いたからこそ、窮屈さやもどかしさという「痛み」を感じてしまった主人公。しかし、これのおかげで冷静に自己を保つことでできているのです。
サビ1
紛らわして紛らわして 距離を取るほど
一方的を貫くなら
触れたい=凌ぎたい=口にはしない
散々 確信しているから
話さないよ 離せないよ
見つめ合う時 僕でいられるなら
足りない=繋ぎたい=全て成らない 方が
仲良しだね、よかった作詞:ACAね
サビでは、
葛藤の末に本音を隠す主人子
が描かれています。
触れたい=凌ぎたい=口にはしない
という方程式に注目。
まず、触れたいと凌ぎたいは強気な言葉です。
※凌ぐ(しのぐ)とは、苦しい局面やつらいことを、なんとかもちこたえて切り抜けること。
この強気な言葉のイコールがなぜか
口にはしない
という、消極的な語になっています。
この嚙み合わないさまがミソ。
触れたいと凌ぎたいという能動的な想いを秘めているのに、表に表すことができない。
そんな主人子の葛藤が方程式で表現されているのです。
後述しますが、実はここは2番のある歌詞の伏線。
そして次の方程式
足りない=繋ぎたい=全て成らない は
- 客観的評価不足でギャップがある自分
- マイノリティになりたくない自分
- 成りたい自分を出せない自分
をイコールで結んでいるのです。
つまり、本音を隠す選択をしているわけです。
なぜなら
仲良しだね、よかった
とあるように、その方がマジョリティ(社会的多数派)に所属することが出来るからです。
サビの情景が色んな理不尽を想定し過ぎてこわくて踏み込めないこと多しというACAねさんのコメントと重なります。
悲しいたましい 晒しあえるとき
新しいはなし 交わしあえるとき
悲しいたましい 晒しあえるとき
新しい悲しい 交わしあえるとき作詞:ACAね
上で述べたように、本音を隠してマジョリティに溶け込むことを選択した主人公ですが、
悲しいたましい
とあるように、自分の筋を通せなかったことに哀しみを感じています。
悲しいたましい=隠した本音
と解釈すると、
本音を晒し合いたい
本音で交わり合いたい
という隠されたメッセージを察することができます。
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2番
最終地点に連れ出して?
自然な細胞に入れ替えて
想像破壊は辞めにして?
体内に早急に悩みたいのにな作詞:ACAね
最終地点というのは、主人公の「こうなりたい」というゴールのこと。
自然な細胞は、自然体でいれる状態のこと。
想像破壊は、客観的評価で崩されていく自己イメージのこと。
それぞれを上のように解釈するとここでは
周囲の人間に対する切望
が描かれていることが分かります。
確かめたくて
安心感を汚したって もうっ
割り切りたいよ
能動的な方程式を保ってられんよ
近づきたくて でも冷静でいるんだ
途切れてしまう前に素直でよかった作詞:ACAね
ここで注目したいのは
能動的な方程式を保ってられんよ
という歌詞の一文。
ここがサビの方程式であった
触れたい=凌ぎたい=口にはしない
足りない=繋ぎたい=全て成らない
と絡み合ってきます。
積極的と消極的がイコールで表されることに違和感を感じませんでしたか?
能動的とは、決まった方向に動くこと。
つまり、上の方程式を成り立たせているのは等号である=ではなく矢印だったのです。
触れたい→凌ぎたい→口にはしない
足りない→繋ぎたい→全て成らない
こうなっていると解釈できると、
主人公の情緒の変化や葛藤がより見えてきます。
<サビ2の解釈は割愛します>
3番
誰にも明かさずに超えてみたい
仮になる前に潤わせたい
今わかるなら問いときたい 喋ろ
ただ 自分になりたいの 一刻も早く作詞:ACAね
最後まで主人公の悩みは変わりません。
超えてみたい
というのは、
マジョリティとマイノリティの境界線
のことを言っているのでしょう。
今は、客観的評価に馴染むことで社会的多数派(マジョリティ)に属しているけど、本当は勇気を出して社会的少数派である(マイノリティ)に進みたいのです。
タイトル「マイノリティ脈絡」というのは、主人公が進みたい道だったのですね。
ラストサビ
紛らわして紛らわして 距離を取るほど
一方的を貫くなら紛らわして紛らわして 距離を取るほど
一方的を貫くなら
触れたい=凌ぎたい=口にはしない
散々 確信しているから
話さないよ 離せないよ
見つめ合う時 僕でいられるなら
足りない=繋ぎたい=言葉にしちゃう から
ありがと、で良かった作詞:ACAね
ラストサビでは
足りない=繋ぎたい=全て成らない
の方程式が
足りない=繋ぎたい=言葉にしちゃう
に変化しています。
これは、
自分らしくある為に(僕でいるために)最終的には本音を晒した
ことを表しているのではないでしょうか?
つまり、マイノリティ脈絡に進めたわけです。
そして、ラストの
ありがと
という肯定文は、周囲の反応で、主人公の本音、本性が受け入れられたことを表すのではないでしょうか?
良かった
という言葉で歌詞が終わるように、葛藤の結末は、ハッピーエンドで締められるのです。
感想
私自身、主人公の葛藤にかなり共感できたため、最後のハッピーエンド(あくまで自己解釈ですが)で心がホッとしました。
中毒性の高い声や音楽もそうですが
難しい解釈で展開される歌詞の中に、
人間らしさがギュッと詰められているのも、
ずとまよの魅力の1つですよね。
時間がある方は、まとめページへどうぞ。
【ずっと真夜中でいいのに。/マイノリティ脈絡】
歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)
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コメント
包装紙を破く云々の件は単に強引さの象徴というより、『包装紙』というのは外っ面みたいな意味で、このおとなしい第一印象はそっちに合わせて適応してあげているんだよ、その気になればいくらでも本性見せてやれるんだぞ、みたいな感じなのでは?いつも面白い記事ありがとうございます。