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【My Hair is Bad/観覧車】歌詞の意味を徹底解釈!圧倒的な「歌詞の良さ」に注目!

【My Hair is Bad(マイヘア)】

「観覧車」について

歌詞の意味を徹底的に

考察および解説していきたいと思います。

今回は特に歌詞が良すぎます。

是非、最後までご覧ください!

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楽曲の基本情報

紹介する「観覧車」はアルバムboysの収録曲。

本楽曲の良さを一点だけに絞ってあげるとするならば、小説や映画のようなドラマを感じさせる、卓越した歌詞の良さを推したいと思っています。

本楽曲を視聴したリスナーは共感できると思いますが、本楽曲からは切なさや寂しさといった寒色カラーの感情を感じたのではないでしょうか?

しかし驚くことに歌詞を眺めると

一言も直接的な感情表現は使っていない

のです。

それこそ使っているのは、「観覧車」や「花火」や「ゴンドラ」といった出来るだけ想像しやすい景色たちばかりです。にもかかわらず、訴えかけられる登場人物の心情。

サルー
サルー

熟達された歌詞表現がここまでのモノを生み出しているのです。では、さっそく楽曲考察に移っていきましょう。

楽曲名「観覧車」とは

「観覧車」というのは

誰もが共通して思い浮かぶ

遊園地の乗り物の1つですね。

ゆっくり回転するゴンドラに乗り、高い位置からの展望を楽しむのが、観覧車の醍醐味ですね。

本題の歌詞に迫っていきましょう。

この「観覧車」を取り巻く、
主人公たちの情景が描かれていきます。

歌詞

助手席の窓から一目覗いた
観覧車がきれいだった
今年最後の花火のようだった

「乗りたい」という君に頷く僕に
工事の看板の彼が
深く頭を下げていた

優しいだけが優しさじゃないとどこかで分かるのに
それでも優しさばかり追っている

少し寒くなってきたね
また長い冬がくるね

「きれいだったこの夜景も
朝が来れば違う顔だ
今の僕らと似ているように見えない?
観覧車は昇って あとは落ちてくだけだ」
とは言わずに抱き寄せてキスをした

カラオケで上辺だけを見せ合った
こういう場は苦手で誤魔化していた
知らない曲にタンバリンが鳴っていた

必要のないものにすら必要とされたかった僕は
必要のない相槌を打っていた

一人の部屋では針を突き刺して
たまに傷口を開いてた
優しい悶絶 特別だったから
痛くないと分からなかった

この傷が見えないように
もっと近づいてきてよ
この傷が見えるのなら
そこだけを舐めてみてよ

「本当はもう気付いてるよ
あなたは傷も痛みも知らない
悲劇を気取って教えて欲しいのよ
このゴンドラから観覧車は見えないじゃない」
窓に映る真逆の君が話す

僕らの花火が散って
ふと振り返るともう
観覧車は真っ黒の鉄だった

作詞作曲:椎木知仁

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歌詞の意味・解釈

1番

助手席の窓から一目覗いた
観覧車がきれいだった
今年最後の花火のようだった

作詞作曲:椎木知仁

一見、なんの変哲もないカップルがドライブしている情景を描いているように見えますが、二人の違和感はこの時点で描かれています。

それは「今年最後の花火」という一文です。

綺麗な観覧車というのは、夜に光を放つイルミネーション混じりの観覧車のことを言うのでしょう。しかし、それならば、「花火のようだった」という対比で解決するはずなのです。

サルー
サルー

追っていく歌詞を見ていくと分かってきますが、主人公の中で君に対する恋心はもうありません。だから「最後の」なんてわざわざ付けているのです。

「乗りたい」という君に頷く僕に
工事の看板の彼が
深く頭を下げていた

作詞作曲:椎木知仁

工事中の看板とは皆さん周知のこれですね。

ここの部分だけを見ると、

観覧車の前まで行ったけど、
工事があっていて乗れなかった

と解釈してしまいがちですが、そうではありません。

ここではまだ二人は車の中です。

観覧車を眺めて「乗りたい」と言った君に意見を合わせる主人公ですが、本心は「乗りたくない」という感情に支配されています。

だから、観覧車までの行き先を阻んでくれる工事の看板が、自分の本心を代弁してくれているようで、強く印象に残っているのです。

優しいだけが優しさじゃないと
どこかで分かるのに
それでも優しさばかり追っている

少し寒くなってきたね
また長い冬がくるね

作詞作曲:椎木知仁

ここで本楽曲において大切な

主人公のキャラクター

が見えてきます。

歌詞の通りなのですが、優しさが全てじゃないと分かっているのに、どうしても優しさばかりを追ってしまう性格なのです。

この優しさ故に、彼女に想いを伝えることができていません。

サルー
サルー

よく言えば「優しい」ですが、本当はもっと違うものであると思います。どちらかというと、彼女と真正面からぶつかるのを避けているだけなのでしょう。

だから、乗りたくない観覧車に近づきながら

「少し寒くなってきたね」

など、他愛のない言葉を放って、

その場を取り繕うのです。

サビ1

「きれいだったこの夜景も
朝が来れば違う顔だ
今の僕らと似ているように見えない?
観覧車は昇って あとは落ちてくだけだ」
とは言わずに抱き寄せてキスをした

作詞作曲:椎木知仁

「」の中に描かれているのが、主人公の本心です。

しかし、遠まわしな表現ばかりですね。

それぞれの対比は

  • 「夜景」は変わっていた二人の心情
  • 「観覧車」は沈静してしまった恋心

といったところでしょう。

サルー
サルー

この遠まわしな表現も、抱き寄せてキスをしてしまうのも、優しさばかりを追ってしまう主人公のキャラクターが反映されているのです。こういった細部にまでいきわたる情景表現が、映画のようなドラマを生んでいるのでしょうね。

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2番

カラオケで上辺だけを見せ合った
こういう場は苦手で誤魔化していた
知らない曲にタンバリンが鳴っていた

必要のないものにすら
必要とされたかった僕は
必要のない相槌を打っていた

作詞作曲:椎木知仁

2番では、主人公のキャラクター性がより生々しく描かれており、彼女との関係性ともリンクしてきます。

カラオケで上辺だけを見せ合う姿や場を誤魔化す姿は、他愛のない言葉で君との場を取り繕う姿と重なり、知らない曲にタンバリンを鳴らす姿は、君に抱き寄せてキスをした情動と、それぞれ重なります。

サルー
サルー

後半の歌詞も同様に、1番で主人公が取った行動全てとリンクしますね。ここまで、違う場面を表す言葉で情景を重ねることができている歌詞を私は知りません。ちょっとこれは上手すぎませんか?

一人の部屋では針を突き刺して
たまに傷口を開いてた
優しい悶絶 特別だったから
痛くないと分からなかった

作詞作曲:椎木知仁

ここの傷口は、おかしくなってしまった彼女に対する気持ちを対比しています。

つまり、描かれるのは、彼女と別れたいのに、つい優しくしてしまう自分との葛藤です。

悶絶とは、もがき苦しむことです。

優しいが付いているとはいえ、主人公の中では悶絶というほどの苦悩だったようです。

しかし、後に主人公は

この痛みは痛くなかった

ということに気付かされるのです。

ここは、ラストサビで回収されます。

この傷が見えないように
もっと近づいてきてよ
この傷が見えるのなら
そこだけを舐めてみてよ

作詞作曲:椎木知仁

自分に傷口があると感じている主人公は、その処置を彼女に委ねようとしています。

これまでの歌詞にそって、
それぞれを解釈すると

  1. 「冷めてしまった恋心が再熱できるように、アクションを起こしてみてよ」
  2. 「冷めてしまった恋心に気付いているのなら、気持ちを汲み取ってくれよ」

といったところでしょう。

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ラストサビ

「本当はもう気付いてるよ
あなたは傷も痛みも知らない
悲劇を気取って教えて欲しいのよ
このゴンドラから観覧車は見えないじゃない」
窓に映る真逆の君が話す

僕らの花火が散って
ふと振り返るともう
観覧車は真っ黒の鉄だった

作詞作曲:椎木知仁

ラストは、観覧車から景色を眺めつつ、彼女が放つ言葉から始まります。

ここがまた意味深で、核心付いていますね。

「優しいを演じて、自分だけが傷ついて、悲劇のヒロインのように見えるけど、それは自分が傷つかないために、理解されるまで待ってるだけ」

といったニュアンスでしょう。

 

また

このゴンドラから観覧車は見えないじゃない

の一文は、彼女の気持ちが強く表れている部分であり、なおかつ二人の別れを表している、本曲中で最も胸に刺さる言葉です。

解釈すると

綺麗だ(恋の再熱ができる)
と思って近付いたのに、

綺麗なもの(再熱の兆し)
は見えなかった

といったところです。

サルー
サルー

ラストの灯りが消えて真っ黒になった観覧車が、決して揺らがない別れを象徴しています。また、最後に振り返る主人公の動作や、最後まで直接的な感情表現がない歌詞も、全ては優しさばかりを追ってしまう、遠まわしな主人公の性格を象徴しているのです。限りなく妙々たる歌詞でしたね。

感想

随所に椎木さんの詩のセンスが散りばめられていた楽曲だったと思います。

本楽曲の歌詞の素晴らしさを、
少しでも共感し合いたい一存でした。

時間がある方はこちらのまとめをどうぞ。

【My Hair is Bad/観覧車】

歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)

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