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【RADWIMPS/風たちの声】歌詞の意味を徹底解釈!笑われない愛より、笑われる愛を。

天気の子の挿入歌として、

野田洋次郎が書き下ろした

【RADWIMPS(ラッドウィンプス)】

「風たちの声」について

歌詞の意味を徹底的に

考察および解説していきたいと思います。

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映画「天気の子」の挿入歌!

軽快なギターサウンドと心躍らせるアップテンポな曲調が特徴的な「風たちの声」は、映画「天気の子」の挿入歌として書き下ろされた楽曲となっています。

 

そのため、本楽曲を深堀していく為には、映画「天気の子」の世界観を知っておく必要があります。

 

こちらが公式で紹介されたあらすじです。

「あの光の中に、行ってみたかった」

高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。
彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。
そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。
ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らすその少女・陽菜。
彼女には、不思議な能力があった。

上記の内容となっておりますが、

確実に押さえて頂きたいところは

  1. 帆高の生活は困窮で、孤独なものだった
  2. 帆高の心模様を表すように天候は雨続きだった
  3. 陽菜に出会うことで世界が転じた。
    (雨続きの世界に日が差し込んだ)

という3つのポイントです。

 

ここが楽曲の内容と密に関係していきます。

では、さっそく楽曲考察に移っていきましょう。

楽曲名「風たちの声」とは

私たちの日常で使われる「風」という言葉は、空気全体の動きということで、全体的な雰囲気の方向のような意味で使われる例が多いです。

例:春の風が吹く ○○風(ふう) など

 

本楽曲で使われている「風」も、上記の意味合いが強く、帆高の憂鬱な日常が陽菜との出会いによって変化するさまを言っているのでしょう。

 

タイトルは、風を擬人化させて

「風たちの声」

となっていますが「声」というのは、

何かを伝えたいとき

に聴覚化させるメッセージです。

 

つまり本楽曲のタイトルは

  • 陽菜との出会いによって変化した世界
  • それに付随するメッセージ

という意味が込められているのだと思います。

 

このタイトルが歌詞ともリンクしてきます。

本題の内容に迫っていきましょう。

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歌詞

風が僕らの前で
急に舵を切ったのを感じた午後
今ならどんな無茶も世界記録も
利き手と逆で出せるような
気がしたんだ 本気でしたんだ

「なんとかなるさ」と
「あとどれくらい?」と
「大丈夫かな僕ら」の間を
振り子のように
行ったり来たりしては手を強く掴んだ
いっそこの夢のど真ん中で派手に
使い果たしてみようよ

笑われないくらいの愛で
変えられるくらいの世界ならば
はじめから用などない 僕には必要ない
神様早く次を僕にくれよ

みっともないくらいの声で
ありえないくらいのこの気持ちを
僕に叫ばせてよ(叫ばせてよ)
腐らせないでよ(捨てないでよ)
僕らの持て余した勇気 使わせてよ

笑われないくらいの愛で
変えられるくらいの世界ならば
はじめから用などない 僕には必要ない
僕らの 持て余した正義を 使わせてよ

「さよなら」のないハローと
「仕方ない」のない未来と
鍵のないドアだらけの心で

未来が得意気に僕らを
見てきてもどうでもいいや
まだ僕らにゃやることがあるから

僕らの こぼれそうな奇跡を 使わせてよ

作詞:野田洋次郎

歌詞の意味・解釈

風が僕らの前で
急に舵を切ったのを感じた午後
今ならどんな無茶も世界記録も
利き手と逆で出せるような
気がしたんだ 本気でしたんだ

作詞:野田洋次郎

タイトル解釈で紹介したように

「風」は、全体的な雰囲気の方向のような意味で使われています。

それを裏付けるのが「舵を切る」という歌詞で、これには「進行方向を変える」ひいては「未来や運命を変える」といった意味があります。

 

ここまでを解釈すると

風が~切った

という歌詞の一文は

陽菜と出会ったこと

を示唆しているように考えられますが

ここでひっかかるのは
「僕らの」という言葉です。

 

「僕の」であるならば、陽菜との出会いを示唆していると容易に解釈することができたのですが、「僕らの」とあるためにその説は棄却されました。

 

そうすると「僕ら」の中には、帆高だけではなく陽菜も含まれているという前提が成り立つため、風が舵を切ったというのは

陽菜と出会ったこと

という、一方的な帆高目線ではなく

二人が出会ったことによる変化

という、両者の心境の変化を意味しているのだと思います。

サルー
サルー

つまり、帆高目線というよりは、帆高と陽菜の両者の目線で歌詞が綴られている可能性が高いということです。

「なんとかなるさ」と
「あとどれくらい?」と
「大丈夫かな僕ら」の間を
振り子のように
行ったり来たりしては手を強く掴んだ
いっそこの夢のど真ん中で派手に
使い果たしてみようよ

作詞:野田洋次郎

あらすじにも表記されていましたが、陽菜と出会う前の帆高を取り巻く世界は連日降り続ける雨という情景に包まれていました。

しかし、晴れ女である陽菜と出会ったことで、振り続ける雨もろとも心を晴らすことが可能となりました。

 

二人で同じ方向を向けば、心は晴れる。

しかし、二人が共鳴し合うということは、天候の変化を巻き起こす事になります。文字通り「世界を変える」という重大事になってしまうため、「振り子」のように一進一退を繰り返しています。

 

葛藤の末、帆高らが選んだのは

世界を変える

という選択肢です。

サルー
サルー

この理由のような背景が、後述されていくサビで描かれています。

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笑われないくらいの愛で
変えられるくらいの世界ならば
はじめから用などない 僕には必要ない
神様早く次を僕にくれよ

みっともないくらいの声で
ありえないくらいのこの気持ちを
僕に叫ばせてよ(叫ばせてよ)
腐らせないでよ(捨てないでよ)
僕らの持て余した勇気 使わせてよ

笑われないくらいの愛で
変えられるくらいの世界ならば
はじめから用などない 僕には必要ない
僕らの 持て余した正義を 使わせてよ

作詞:野田洋次郎

ここは、本気の愛を意義深く唱えています。

歌詞では、「笑われないくらいの愛」とあるのですが、これが意味するのは「取り繕った愛」です。

 

本人たちが熱中している「恋」は、周りから見たら馬鹿馬鹿しくて笑っちゃうような恋愛であることが多いです。

となると、

「本気の愛」→「笑われてしまう愛」

であり

「本気じゃない愛」→「笑われない愛」

という風に解釈をすることができるのです。

 

つまり、ここのサビでは

本気じゃない愛で、変えれるような世界はいらない

といっており、裏を返すと

本気の愛で、変えれる世界が欲しい

と訴えていることが分かります。

サルー
サルー

帆高と陽菜は、お互いに「本気である」と感じ取り合い、世界に影響を与えていく決断を下したのでしょう。

「さよなら」のないハローと
「仕方ない」のない未来と
鍵のないドアだらけの心で

作詞:野田洋次郎

ここでも

帆高と陽菜が真剣に向き合う情景

が綴られているのだと感じました。

 

  1. 「さよなら」のないハロー
  2. 「仕方ない」のない未来
  3. 鍵のないドアだらけの心

というポップな表現の中には、それぞれ

  1. お別れをしない(離れない)意志
  2. 一切の妥協をしない誓い
  3. 自分の本心を包み隠さず公開する

という、真摯な姿が描かれているのです。

未来が得意気に僕らを
見てきてもどうでもいいや
まだ僕らにゃやることがあるから

僕らの こぼれそうな奇跡を 使わせてよ

作詞:野田洋次郎

未来が得意げに見てくる

というのは

「何が起こるか分からないぞ~」

と煽ってきているような解釈でいいと思います。

 

未来に対する不安を抱きながらも

陽菜と出会ったことにより生まれた「風」を、ひいては「風たちの声」を信じて進もうとしているのです。

感想

いかがでしょうか。

「天気の子」主題歌の中では、とりわけ明るくポップな楽曲でしたが、その中身は「天候の調和が狂っていく時代」の中で、懸命に前に進もうとする姿が綴られているという胸熱なものでありましたね。

「僕ら」に聞こえる「風たちの声」を感じ取り、それを信じて突き進もうとする姿勢に勇気を貰えたのではないでしょうか。

【RADWIMPS/風たちの声】

歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)

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