2番
さらしものだよばかのうた
語りき埼玉のツァラトゥストラ
ぼっちの足元の先は
ほぼほぼ 道すらなかった
皆様は、『ツァラトゥストラはこう語った』という、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの著作をご存知でしょうか?
ツァラトゥストラとは、ゾロアスター教・ゾロアスターのドイツ名であり、著書は“「超人」と永劫回帰と価値の転換を主張する哲学的叙情詩”であると称されています。
この本自体は、かなり難解な書なのですが、ツァラトゥストラが語った内容を簡易的に言うと「無意味な人生から逃げることをせず、ありのままに世界を肯定するべき」といったところです。
ツァラトゥストラが語った事柄は、
本楽曲の内容・イメージと被るのではないでしょうか。
つまり、埼玉のツァラトゥストラとは、
まさに埼玉県出身の星野源さん自身。
同じエピソード内に収録されている
「Same Thing」の内容とも重なりますね。
ふと振り返ると ぞろぞろと
後ろつけ楽そう有象無象
はてな別の方 道のない進む小僧
凡人の黒ぶち 偉大な暇人あらお悩みですか 君だってそうじゃん
同じムジナ 交わりだした
有象無象とは、
数は多いが、種々雑多なくだらない人や物。
ろくでもない連中のこと。
ここの歌詞では
- 有象無象の群衆、同じムジナ
- 己の道を進む小僧
が対照的に描かれており
- 凡人の黒ぶち(群衆、同じムジナ)
- 偉大な暇人(小僧)
と表現することで、己の道を突き進む人間の美しさが表現されています。
ツァラトゥストラ風に言うと、
無意味な世界で前を向く姿勢の美しさ
といったところでしょうか。
「なんてことない」なんてことない!…けど
形のない何かで交われる
君の体をWi-Fiが通り抜け 道草で腹を満たす
またその場所に君はいた
もしかすると孤独は一人ではないって…みえる!
交わるための、形のない何か
それを、Wi-Fiという言葉で対比しています。
Wi-Fiとは、
無線(ワイヤレス)でLAN(Local Area Network)に接続する技術のこと。
目には見えないけど、ネットワーク上で私たちを繋げてくれる(交わる)ものですよね。
また、目には見えないものの中には、
「音楽」の意も含まれているのでしょう。
君=音楽の仮説を貫いて言うならば
君の体をWi-Fiが通り抜け
→音楽が無線で僕らを繋いでくれて
道草で腹を満たす
→無意味な世界を突き進む際の癒しになる
またその場所に君はいた
→突き進んだ先にも音楽はあった
このように、絆であり、癒しであり、人生そのものである音楽を、愛して説いているような解釈を行うことができます。
もちろん、誰かの存在に救われたような情景だと、シンプルに解釈することもできますが、星野源の楽曲に至っては「音楽愛」の主張が、解釈として美しく腑に落ちるように感じています。
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ラストサビ
(中略)
Starting off with you and I
さらしものだけの 愛があるだろう
まだ変わらない 怠けた朝が
歩みを照らしだすまま
1番の時点での解釈だと
マイナスな部分もある人間が、群衆の前に立っているから、さらしもの。
だと解釈する他になかったのですが、
全体の解釈を終えた今では
無意味な世界としっかり向き合い、ありのままに世界を肯定しようとしているから「さらしもの」。
であるのではないかと感じています。
感想
感慨深すぎる。埼玉のツァラトゥストラ。
個人的に、今回紹介した「さらしもの」も、前回紹介した「Same Thing」も、題材としては同じようなものであると感じています。
「無意味に思える世界でどう生きていくか」
ここについて深く考えさせられたと同時に、どうせなら全てを前向きに肯定して、人生を謳歌していきたいなと感じさせられました。
【星野源/さらしもの】
歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)
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