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RADWIMPS「世界の果て」歌詞の意味を考えて感じたこと。

2020年3月11日、東日本大震災から9年経ったいま【RADWIMPS】から「世界の果て」が公開された。

 

震災の翌年である2012年から、もはや恒例となりつつある震災に関連した新曲だが、私は本楽曲を聴いて絶望を感じた。だけど同時に人間の優しさや何気ない日常の幸せを感じることもできた。

 

歌詞の意味を解釈してみて私なりに感じたことを僭越ながら綴らせて頂く。

絶望や恐怖を感じた

冒頭でも述べたように、初見聴きで私が感じたのは「絶望」「恐怖」といったものだった。なぜかと言うと、何気ない日常が一瞬で終わるということを再認識させられたからだ。

 

歌詞については後述して述べさせて頂くが、3分11秒で何の前触れもなく音楽が終わるとこでハッとさせられた。そこで動画のコメント欄を見ていると「曲が急に終わるのは3.11で終わるように設定しているからじゃないの」というものがあった。

 

そうかもしれない。ただ、それだけのコンセプトであれば楽曲の終わりを3分11秒になるように、あらかじめ設定をするはずだ。どう考えても「何気ない日常が一瞬で消えること」を表しているようにしか考えられなかった。

 

動画も音楽が終わる瞬間まで日常の風景が切り取られて描写されている。やはり日常を絶つ意味で音楽を絶ったのだろう。この現象に私は「こわい」と思った。恐怖を感じたのだ。

 

すぐさま、この感情が「当たり前の幸せを当たり前に思っていること」に起因していることを理解した。同時に「震災」をはじめとする前触れもない脅威について、真剣に考えている自分がいた。そして日常の幸せを噛みしめた。

 

「世界の果て」は無意識下で風化してしまっていた記憶を蘇らせてくれた。この感情は歌詞からも同様に生まれた。自分なりに細かく読み取っていきたいと思う。

歌詞

明日もしもこの世界が終わんなら
それは地獄なのかワンダーランド
誰一人も分からんなら
考える価値もないのか

さてさて 最後の晩餐は何にしようとか
呑気に言ってられないよな
気が触れずに笑えんのか
正直自信はないよな

それなら僕は行くよ
君の元へ行くよ
せめて僕の腕の中には君の 顔をうずめて

襲いかかるその終わりの
君の視界を覆い
ワンダーランドまでの
短い一秒だけ「さよなら」を

時が経つに連れて徐々に水底に
ゆっくりと沈んでいくかの
ように君の顔もおぼろげに
なっていってしまうのはなぜ

乗り違えたようで降りる駅を間違えたそんな僕らが
ワンダーランドで出逢うには
どの便に乗ればいいんだろう
どこで降りればいいんだろう

この世界の淵から
一、二の三で飛ぶから
「今だ」と叫んでよ 腕を振ってよ 力の限り

海風にかき消されない
波に飲み込まれない
一筋のあなたの 声を命の糸に結ぶよ

君の元へいくよ 必ずや向かうよ
君の姿形 色とか匂いのすべてなくとも

心配せずいてよこの世界で君を
見つけたのと同じようにたやすく
たどり着くから

作詞:野田洋次郎

歌詞の意味・解釈

明日もしもこの世界が終わんなら
それは地獄なのかワンダーランド
誰一人も分からんなら
考える価値もないのか

さてさて 最後の晩餐は何にしようとか
呑気に言ってられないよな
気が触れずに笑えんのか
正直自信はないよな

まず本楽曲の歌詞では、ワンダーランドという言葉が頻発される。ワンダーランドは本来「すばらしい、あるいは珍しい美しさのニュアンスを含む奇観の場所や景色」を示す際に使わる言葉だ。

 

しかし本楽曲においてはワンダーランド=死後の世界として対比されている。この比喩表現は野田洋次郎風の美的表現なのだろう。

 

そして冒頭歌詞は「もし明日が終わるなら」という前提で話が勧められていくのだが、私はやはり圧倒的な絶望感を感じた。

 

  • 「考える価値もないのか」
  • 「正直自信はないよな」

という歌詞に垣間見える人間の無力さが、その感情を助長させたのだろう。自分の状況に置き換えて考えて見ても、やはり笑って飯は食えない。

それなら僕は行くよ
君の元へ行くよ
せめて僕の腕の中には君の 顔をうずめて

襲いかかるその終わりの
君の視界を覆い
ワンダーランドまでの
短い一秒だけ「さよなら」を

この詞からは哀しさを感じた。

 

「明日世界が終わる」という仮定のもと、それならばと主人公は最愛であろう君の元へ行こうとするわけだが、この不幸中の足搔きですら、突如襲い来る震災では不可能なのだ。

 

同情と言えばそれを否定できないし、求めてないと言われるかもしれない。しかし哀しさを感じた。被災者の方々に合掌を捧げたいと心から感じたのだ。

時が経つに連れて徐々に水底に
ゆっくりと沈んでいくかの
ように君の顔もおぼろげに
なっていってしまうのはなぜ

乗り違えたようで降りる駅を間違えたそんな僕らが
ワンダーランドで出逢うには
どの便に乗ればいいんだろう
どこで降りればいいんだろう

ここの歌詞は個人的に強く共感できた部分で、改めて慣れや風化する感情をこわいと思った。

 

そして「ワンダーランドで出逢うには、、、」と続く歌詞からは、震災で亡くなった人たちと繋がりたい、想いを少しでもくみ取りたいという気持ちが垣間見える。やはりしっかり眼を向けることの大切さを説いているように感じる。

 

3.11を恐縮して生きるのではなく、眼を背けずに生きてい行きたいと改めて。

この世界の淵から
一、二の三で飛ぶから
「今だ」と叫んでよ 腕を振ってよ 力の限り

海風にかき消されない
波に飲み込まれない
一筋のあなたの 声を命の糸に結ぶよ

こちらの歌詞も、ひと段落上の歌詞と同じように「繋がりたい」「想いをくみ取りたい」という心内が伝わってきた。

 

  • 海風にかき消されない
  • 波に飲み込まれない

という歌詞は「記憶を風化させない」と言っており、最後の一文なんかは『繋がりたい意』がそのまま込められているのではないだろうか。

君の元へいくよ 必ずや向かうよ
君の姿形 色とか匂いのすべてなくとも

心配せずいてよこの世界で君を
見つけたのと同じようにたやすく
たどり着くから

ラストフレーズからは暗い悲しみのなかに光る、人の優しさを感じた。

 

「君の姿形~すべてなくとも」からは残酷な現実とその哀しさを想起させられるが「君の元へ向かう、必ず向かう」からは人間の強さや優しさを確かに感じ取ることができる。

 

本楽曲を聴いている中で、絶望、恐怖、優しさ、哀しさといった様々な感情に支配されてきた私だったが、最後の「たどり着くから」という一言で、前向きになれた。

 

どうにも震災を思い出した際はネガティブに支配されたり、暗く落ち込んだりするだけで終わってしまっていたのだが「世界の果て」を通して、現実に目を向けたままで前を向けたのだ。

最後に

【RADWIMPS/世界の果て】

 

誰しもが異なるタイミングで3.11について考えると思うが、私の中のきっかけとしては、RADWIMPSの新曲は大きな要因になっている。

 

今年も感謝を述べたい。忘れてはいけないと感じているものを忘れないでいさせてくれてありがとう。

 

9年前の東日本大震災で亡くなったすべての命に、今も被災し続けるすべての方々に、合掌。

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