【RADWIMPS】の「新世界」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。
✔ 醜い現実を突きつける歌詞
✔ 他の楽曲との関係性
✔ 意外な楽曲の結末
RADWIMPSの哲学の最終到達地点ともいえる楽曲。是非最後までお読みください…!
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Mステのオファーを受け制作
今回紹介していく「新世界」は2020年5月9日に配信開始された楽曲。
コロナウイルスによる影響で行動自粛が続く中、『ミュージックステーション』出演のために書き下ろされた新曲ということで大きな話題を集めました。
作詞・作曲を務めた野田洋次郎さんは楽曲について
最初にお話をいただいたとき、みんなが前を向けるような曲を作ろうと思い制作を始めました。ですが段々とそれだけでいいのかと違和感が生まれていきました。COVID-19は僕たちからたくさんのものを奪っていったと同時に、たくさんの気づきも与えてくれています。日常がいつか戻って来たとして、それは今までとは違う新しい世界なんだと思います。企業や社会の仕組み、教育現場、政治のあり方。これからを生きる僕たちが、どんな世界にしていくのか。みんなが想像し、創造できるようにと願って作りました。
とコメントしています。
ただの前を向かせる希望の歌ではなく、もっと社会の現実を見据えて製作された楽曲のようです。
楽曲名「新世界」とは
野田洋次郎さんのコメントにもあった通り、この楽曲における「新世界」とは「コロナウイルスが終息した後の世界」を指しています。
「日常が早く戻ってきてほしい」なんてよく言いますが、こんなにも社会が混乱に陥ってしまった以上はこれまでと全く同じ「日常」なんか帰ってくるはずがありません。
その意味で、いつか新しく訪れるであろう日常を「これまでとは全く別の世界」つまり「新世界」と呼んでいるのです。
この楽曲名が歌詞の内容とどう関与しているのでしょうか。
さっそく歌詞を見ていきましょう。
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歌詞
「僕と君ならきっと越えて行けるさ」
そう言った君の声が細く震えていたんだ
あといくつの「夜」と「空っぽ」噛み締めたら
辿り着けるのかも知る人さえ皆無
「当たり前」が戻って来たとして
それはもう赤の他人きっと同じ世界にはもう戻らない
「ただいま」と開けたドアの先は「新世界」
僕ら長いこと崩れる足元を
「上向いて歩けよ」と眼をそらしすぎた泣いて泣いて泣いてなんかないよ
泣いて泣いて泣いて泣いてないよ
「凪いで」「凪いで」「凪いで」泣いてないで
泣いて泣いて泣いて泣いてないよって見てたいものだけにピントを合わせては
あとはモザイクで地球を覆ったの
僕ら空に落ちてくビルは剥がれ堕ちてく
金は皮膚を剥いでく罵声は跳ね返ってく
生け贄は積もってく運命はイビキかいてる
綺麗な0を描いてさ新しくしよう「今」キズだらけの迷子だけが産まれることを
許されたこの地球の上で何を「優劣」などと
のたまう?
実況席で今日も構える神よ、何を思う
あなたの眼で見届けたまえ
このカタストロフィの結末を「僕と君ならきっと越えて行けるさ」
そう行った君の声が細く震えていたんだ
夢は冷めるまではまだ夢ではないさ
嘘がバレるまでは嘘ではないように
「この時空で最後の恋ならば君と越えて行き
たい」淀み切った真実なんて欲しくないんでしょ
可愛い顔の嘘が好きで仕方ないんでしょ?
君が勝ちたいなら僕は負けでいいからそれで
嬉しいんならじゃあ笑顔を見せてよ
君と描きたいのさ揺れた線でいいから
明日の朝あたり世界を変えに行こうかね作詞:野田洋次郎
歌詞の意味・解釈
1番
「僕と君ならきっと越えて行けるさ」
そう言った君の声が細く震えていたんだ
あといくつの「夜」と「空っぽ」噛み締めたら
辿り着けるのかも知る人さえ皆無
「当たり前」が戻って来たとして
それはもう赤の他人
楽曲冒頭では、コロナ禍の世の中の光の見えない状況が残酷にも描写されています。
「僕と君ならきっと越えて行けるさ」
そんな力強い発言すらも、不安で声が震える君。
どれだけの夜と空虚な時間を越えなければならないか分からなければ、そもそも乗り越えられるのかすらも誰も分からない。
そして例え日常が戻ってきたとして、こんなにぐちゃぐちゃに乱された世の中はもはや元の日常ではない。
そんな終わりの見えない、終わったとしても決して元には戻れないパンデミック。
きっと同じ世界にはもう戻らない
「ただいま」と開けたドアの先は「新世界」
僕ら長いこと崩れる足元を
「上向いて歩けよ」と眼をそらしすぎた
「きっと同じ世界にはもう戻らない」とまで歌い切ってしまうところが非常に無慈悲です。
人と人の繋がりは断ち切られ、人々の心はズタボロ。経済は深刻な打撃を受け、社会システムは崩壊寸前。待ち受けているのは「新世界」。二度と元の世界には戻れません。
さらに畳みかけるように、彼らは「もう手遅れなのだ」と人類に諭します。
政治からも教育からも経済からも。僕らは汚い現実から目を背け、夢を見すぎていた。気づいた時には戻るべき世界は壊れてしまっていた。今更どうすることもできないのだ、と。
「おしゃかしゃま」「実況中継」などの楽曲を筆頭に、これまでも彼らは度々人類の横暴な在り方を嘆いてきました。自然破壊、戦争行為、過度な繁殖、飛び交う誹謗中傷、自殺。
コロナによる社会混乱をきっかけにした歌ですが、RADWIMPSはもっと根本的に、人間の歩みそのものに対して「もう手遅れだ」と言っているようにも感じます。コロナが収まろうと、もう私たちの望む平和な世界になど戻れないのだ、と嘆いているのです。
この楽曲でのRADWIMPS、ひいては野田洋次郎さんの立場は、希望を見つけようとする人間の対極。過ちを犯し続ける人間に、まじまじと残酷な現実を見せつける立場にあります。
泣いて泣いて泣いてなんかないよ
泣いて泣いて泣いて泣いてないよ
「凪いで」「凪いで」「凪いで」泣いてないで
泣いて泣いて泣いて泣いてないよって
「凪ぐ」は「風波が収まる事、気持ちが穏やかになる事」を意味する言葉です。
「気持ちを落ち着けて」なんて声を掛け合い、「泣いてないよ」と強がる私たち人類。
きっと現実を突きつける立場からすればそれは愚かで、滑稽なものに映るはずです。
自業自得でこんな世の中を作り上げたのに、必死にもがいて今更見栄を張っているのですから。
サビ1
見てたいものだけにピントを合わせては
あとはモザイクで地球を覆ったの
僕ら空に落ちてくビルは剥がれ堕ちてく
金は皮膚を剥いでく罵声は跳ね返ってく
生け贄は積もってく運命はイビキかいてる
綺麗な0を描いてさ新しくしよう「今」
見たいものだけを見つめ続け、見たくない醜い現実にはモザイクをかけ続けてきた。
その結果が今の世界の惨状です。
コロナでビルからは明かりが消え、貧困が街を襲い、SNSには心無い言葉が飛び交い、命を危険にさらされる人々は積み重なっていく。真っ暗な運命がイビキをかいて目の前に鎮座している。
もう救いなどない世界。いっそ全て壊して0からやり直そう、とまで彼は歌います。
「見てたいものだけに…」からの2行は彼らの楽曲「狭心症」の歌詞を彷彿とさせますね…
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