2番
キズだらけの迷子だけが産まれることを
許されたこの地球の上で何を「優劣」などと
のたまう?
実況席で今日も構える神よ、何を思う
あなたの眼で見届けたまえ
このカタストロフィの結末を
壊れかけの世界。ここではその原因ともいえる、「優劣」をつけたがる人類を強烈に揶揄しています。
人間は自然より偉い。ある民族は他の民族より優れている。A君は皆より劣っている。
そんなありもしない優劣のつけ合いが、自然破壊や戦争、人種差別、いじめを引き起こしてきました。コロナ禍でもあらゆる問題を引き起こしてきました。何を戯言をのたまっているんだ。またもや人類が目を逸らしてきた醜い現実を眼前に叩きつけます。
あえて人類に「のたまう」と尊敬語を使っているのも盛大な皮肉でしょう。
カタストロフィとは「自然界および人間界の大変革」のこと。基本的に悲劇的な結末を指します。
彼らは神に言うのです。2000年かけても何一つ成長しない愚かな人類が、この感染症による大変革を経てどんな結末を迎えるのかを天から見届けたまえ、と。
神が実況席にいる、という前提はRADWIMPS「実況中継」の歌詞を受けたものだと考えられます。
「僕と君ならきっと越えて行けるさ」
そう行った君の声が細く震えていたんだ
夢は冷めるまではまだ夢ではないさ
嘘がバレるまでは嘘ではないように
「この時空で最後の恋ならば君と越えて行きたい」
ここまで痛切に人類を叩いてきた野田洋次郎さん。しかしここで少しばかり、現実から目を背ける人々の立場に寄り添ってきます。
「僕と君ならきっと越えて行けるさ」
そんな希望はただの幻想に過ぎません。いつかは必ず冷めてしまう夢の一つでしかないはず。
しかし、夢は冷めてしまうまでは誰も夢だとは気づきません。
つまり夢が冷めるその時までは、それは現実であり続けるのです。嘘がそうであるように。
暗に「夢」と「嘘」を同一視しているところは嫌味っぽいですが、それでもRADWIMPSは人類の愚かな歩みをもう笑おうとはしません。
「この時空で最後の恋ならば君と越えて行きたい」
なんてこの上なく非現実的で馬鹿げた空想も、ここでは少しだけ輝きを放っているように見えてきます。むしろどこか美しいとさえ思っている自分がいます。
ラストサビ
淀み切った真実なんて欲しくないんでしょ
可愛い顔の嘘が好きで仕方ないんでしょ?
君が勝ちたいなら僕は負けでいいからそれで
嬉しいんならじゃあ笑顔を見せてよ
君と描きたいのさ揺れた線でいいから
明日の朝あたり世界を変えに行こうかね
でもさ。
「淀み切った真実なんて欲しくないんでしょ」
社会がどんなに汚かろうと、嘘でもいいから希望を追いかけていたいんでしょ?
そこまで君が勝ちたいのならば、残酷な現実を突きつけた僕の負けでいいから。
だからどうか笑ってくれ。
散々憎まれ口をたたき続けてきたRADWIMPSは、ここで完全に愚かな人間に屈します。
何故か。それはRADWIMPSも野田洋次郎も、結局は「君の笑顔」を望む人間だからです。
現状を見つめてしまえば、人間はどこまでも醜くて滑稽な存在です。
現実を受け入れる勇気もない意気地なしで、運命に歯向かおうとする愚かな存在です。
しかしそれでもなお希望にすがりつく人間の姿は、誰が見てもどうしようもなく愛おしく美しいものなのです。
散々現実を歌い上げた野田洋次郎さんでさえ、きっと人間なら全てを乗り越えられるはずだと信じているのです。
もう俺の負けでいいから、どうか笑ってくれ。
真っ新できれいな0を書かないでくれ。
どうか我ら人類の愛すべき鎖を止めないでくれ。
どんなに揺れた線だっていいから、君と希望を見れる「新世界」をこの手で描かせてくれ。
痛烈な人間批判に始まった楽曲「新世界」は、実は醜くも美しい人間の姿を描いた人間賛歌だったのです。
感想
RADWIMPSは映画「天気の子」主題歌である「愛にできることはまだあるかい」でこう歌っています。
何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたかなぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい答えてよ
好き放題世界を荒らし散らして、現実を飲み込む勇気もない意気地なしで、それでもなお手をすり抜ける夢や希望に必死に縋り付く愚かな私たち人間の姿。
しかしそれはどうしようもなく愛おしく、きれいなものに思えてなりません。
「RADWIMPS」は日本語で「カッコいい弱虫」。
弱虫で、だけど最高にカッコいい人間の姿を描くRADWIMPSの哲学がこの曲に集約されているのです。
【RADWIMPS/新世界】
歌詞の意味の解釈でした!
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