【米津玄師】の「カナリヤ」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。
✔ 米津さんが楽曲に込めた想い
✔ カナリヤが象徴するもの
✔ コロナ禍の現状に刺さる歌詞の情景
そこに描かれていたのは究極の愛。アルバムの最後を着飾るに納得のナンバーでした。是非最後までお読み下さい!
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「生きていても大丈夫」というメッセージ
今回紹介していく「カナリヤ」は、米津玄師の5thアルバム『STRAY SHEEP(ストレイシープ)』のラストに収録された楽曲。
アルバム名の「STRAY(彷徨う)」に表れているように、迷っているアルバムになったという名曲揃いのストレイシープ。中でもトリに収録された「カナリヤ」は作るのにとても苦労をしたそうです。
本楽曲について、米津玄師さんのコメントが以下。
この曲を作っているときは、新型コロナウイルスによって世界的に混乱が蔓延している中で、いろんなミュージシャンがそれぞれいろんなことを発信していて、それを見ながら自分は何をするべきかを考えていたんです。それで自分のやるべきことは新しい音楽を作ることだと思った。自分は音楽を作ることが生業で、それが生活の一部になっている。今の苦しみに喘いでいる人たちに対してできることは、その人たちに「この世に生きていても大丈夫だよ」というメッセージを込めた音楽を作ることだと。ものすごく些細な形かもしれない、もしかしてなんの意味もなさない戯言にしかならないのかもしれないけれど、それでも音楽を作るべきだと思った。それで作り始めたのが「カナリヤ」です。
この曲については、変わっていくことを肯定したいという思いがすごく大きかったです。自分は音楽を作るにあたって、“変わっていかなければならない”ということを半ば強迫観念みたいに思っている節があるんですけど、それがやっぱり自分の本質的なところなんじゃないかなって。
まさに私たちにとってタイムリーな救いの曲。
- 「生きていても大丈夫だよ」というメッセージ
- 変わっていくことを肯定したい思い
これらの想いが「カナリヤ」には収録されているのです。
私は楽曲を聴いて、ざっくりとした「人類愛」を感じていたのですが、上のコメントを読んでなるほどなと納得致しました。
と、この時点で米津さんが込めた想いに感銘を受けるわけですが、ここから更に楽曲の中身を深堀していきます。まずはタイトルに着目していきましょう。
楽曲名「カナリヤ」とは
「カナリヤ(カナリア)」とは
- アトリ科に分類される小鳥、及びそれを原種として品種改良された愛玩鳥フィンチの一種。
のことです。まさに上の図の愛らしい小鳥。
歌詞中では「カナリヤが鳴きだす四月の末の…」と、季語の役割を担っています。
カナリヤと聞くと、希望的な意味合いが強い「春」を想像できるのではないでしょうか。
そしてさらに深読みすると、カナリヤは
- か弱さ
- はかなさ
- 傷つきやすいもの
の象徴とされる側面を持ち合わせています。
今の苦しみに喘いでいる人たちに「この世に生きていても大丈夫だよ」というメッセージを込めた音楽を作りたい。
そんな米津さんの想いがカナリヤには隠されているのかも知れません。
楽曲の輪郭が見えてきたところで、いよいよ本題の歌詞考察に移っていきます!
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歌詞
ありふれた毎日が 懐かしくなるほど
くすぶり沈む夜に揺れる
花を見つめていた人いきれの中を あなたと歩いたこと
振り向きざまに笑う顔を
何故か思い出したカナリヤが鳴きだす四月の末の
誰もが忘れていく白いプロムナード
あなたの指先が震えていることを
覚えていたいと思ういいよ あなたとなら いいよ
二度とこの場所には帰れないとしても
あなたとなら いいよ
歩いていこう 最後まで転げ落ちて割れた グラスを拾うあなた
その瞳には涙が浮かぶ
何も言わないままカナリヤが消えていく五月の末の
木の葉が響き合う湖畔の隅っこ
あなたを何より支えていたいと
強く 強く 思ういいよ あなただから いいよ
誰も二人のことを見つけないとしても
あなただから いいよ
はためく風の呼ぶ方へあなたも わたしも
変わってしまうでしょう
時には諍い 傷つけ合うでしょう
見失うそのたびに恋をして
確かめ合いたいいいよ あなたとなら いいよ
もしも最後に何もなくても
いいよいいよ あなただから いいよ
誰も二人のことを見つけないとしても
あなただから いいよ
歩いていこう 最後まではためく風の呼ぶ方へ
作詞:米津玄師
歌詞の意味・解釈
1番
ありふれた毎日が 懐かしくなるほど
くすぶり沈む夜に揺れる
花を見つめていた人いきれの中を あなたと歩いたこと
振り向きざまに笑う顔を
何故か思い出した
まず1番では「当たり前の日々を失い当たり前の幸せに気付く情景」が描かれています。
具体的に言うと、インタビューにもあったように今を蔓延る「コロナウイルス」に関与する部分が大きいのだと思います。
人いきれ(人が集まって体熱や特有の匂いでむんむんすること)を感じることもなくなった現在を憂鬱に感じ、ありきたりな景色だったはずの「人いきれの中のあなた」を思い出しているのです。
ふと笑顔を思い出してしまうのは、笑顔ひいては愛情の不足を感じていることの裏返しなのでしょう。
だからこの歌では一貫して「広義的な愛」が歌われていきます。
カナリヤが鳴きだす四月の末の
誰もが忘れていく白いプロムナード
あなたの指先が震えていることを
覚えていたいと思う
普段使いしない言葉ですがプロムナードとは、
- フランス語で散歩あるいは散歩の場所
を意味する語です。
つまりBメロの歌詞もAメロと通じるものがあって、誰もが忘れていく白いプロムナードは「散歩する余裕もなくなった現在を憂う心」の表れなのではないでしょうか。
そして続く歌詞の「指先が震えているのを覚えていたい…」というのは、反対に心苦しい現代を覚えておくことで、いつか日常が戻ってきたときに「当たり前の幸せを噛みしめたい…」という誓いの類なのかなと。
解釈が難しい箇所ではありますが、切なさの中に見え隠れする誓いが確かに感じられます。
サビ1
いいよ あなたとなら いいよ
二度とこの場所には帰れないとしても
あなたとなら いいよ
歩いていこう 最後まで
苦境を歌うABメロを越えて、サビでは「あなたに対する無償の愛」が歌われています。
あなたと一緒ならば過去の日々が戻ってこなくても、今以上の苦境が待っていようとも歩んでいきたい。
愛情を超越した強さを感じますよね。
ちなみにこの主人公とあなたの関係性は、具体的にどうこう言わず、恋人や友達、家族、新婚夫婦、老夫婦など、多種多様なシーンに自由に当てはめるべきだと思っています。
どう捉えても美しい歌すぎるのです…
それと考察とは関係ないですが「二度とこの場所には帰れないとしても」が、BUMP「Ever lasting lie」のメロディと重なって、初聴きで痺れました。確実にこれは私が一聴き惚れした大きな要因。
2番
転げ落ちて割れた グラスを拾うあなた
その瞳には涙が浮かぶ
何も言わないまま
解釈が難しい2番のAメロ。
この部分はあなたの情動に焦点を当てて「多少の痛みは自分の心に隠して気丈に振る舞うあなた」を演出しているのではないかと考えています。
涙を浮かべながらも、割れたグラスという危険に手を伸ばしていくさまは、自己犠牲の精神だったり、他人を優先する心を示しているのではないでしょうか。
歌詞はさらに続いていきます!ここに繋がってくる後の歌詞を追っていきましょう。
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