親も子も二人も 何にも嘘はないけれど
誰にも引き出せない 僕を通わせてく
沿う 汗ばんだ夏が僕へと再生する
ただいま
ここの歌詞には「新しい自分を引き出せるのは自分だけ」というようなメッセージが描かれています。
また1番や2番ではジキルハイドのように理性と本能を乖離させる解釈を行ってきましたが、3番では<誰にも引き出せない 僕を通わせて>から理性と本能の統合の意を読み取ることができる。
二つのキャラクター、もしくはそれ以上のキャラクターが集合することで、僕は存在する。
ラストの「ただいま」も僕が統合されたことを意味するのではないでしょうか。
3番ではやはり「統合された自分」が描かれていたのかなと思います。
ラストサビ
この義理な心情 生きてる君の
正直なくらい危ない 真面目がほしい
格下上等 血走った思い通りを
ぶつけられたとて 悪足掻きと合掌
ラストサビはサビ1、2と類似しているのですが「このギリな人情」が「この義理な人情」に、「隠した上等」が「格下上等」に、「重い通り」が「思い通り」に歌詞の漢字がそれぞれ変化しています。
理性も本能もそれらが統合したとしても、全て等しく危うさが含まれている。反対に言うとどのキャラクターも等しく尊いのです。
<格下上等 血走った思い通りをぶつけられたとて 悪足掻きと合掌>
他が自分をどう見ろうと、なるようにしかならない。ならばどんな自分も大切に、自分の中に飼っているキャラクターを楽しんでいけば良い。
「Character」は人々が持つ二面性と、どちらも大切であることを歌った前衛的なナンバーだったのだ。
感想
言っていることは何となくわかるんだけど、それを明快にするのは難しい。
ずとまよ楽曲を考察しているときにいつも感じる現象ですが、本楽曲においてもやはり同様にその感覚でした。
独自の閃きで歌詞の大きな余白を埋めているので、きっと聴き手によって歌詞全容の捉え方は大きく変わるんだろうなという見解です。
「僕・私はこう解釈しました!」みたいなナイス閃きがあれば、是非コメント欄で教えて頂きたいです。
追記:映画の公開が楽しみ。
【ACAね×Rin音×Yaffle/Character】
歌詞の意味の解釈でした!
スポンサーリンク
コメント