3番
ほら見ろ 扉が開くようだ
光に包まれて 出るとどうだ
箱がただ 球になっただけだ
少し先走って説明してきましたが、ここではっきりと楽曲の本質が明言されています。
映画の箱の中だろうと外だろうと、結局絶望の中で生きるという状況は同じじゃないか、と。
「オリジナルと日本版リメイク、両方の映画を観て僕が感じたメッセージは、人間はいつまでも愚かであるということ、理不尽を強いる人がいること、それに苦しむ人たちもさらに弱い立場の人を理不尽に苦しめてしまうということ。それっていまの世の中と変わらないんじゃないかと思いました。」と星野さんは語っています。
『Cube』は単なる謎解き脱出アドベンチャーではなく、その中で生きる人間のやり取りや感情にフォーカスされた作品です。
何故ここにいるのかもわからない状況で、誰かが誰かを苦しめていて、苦しめられている誰かが別の誰かを苦しめている。そんな作品の構図は今の世の中とさして変わりません。
何故地球に産み落とされたかもわからないまま、出口も見えないままで生きていくしかないのです。
また、この部分の歌詞は映画館の話でもあります。
《ほら見ろ 扉が開くようだ 光に包まれて 出るとどうだ 箱がただ 球になっただけだ》
映画のエンドロールでこの曲が流れ、映画館という箱から扉の外に出ていく人に向けて、「ほら見ろ、この箱の中も外の世界も変わらないでしょ?」と歌っているわけです。
ラストサビ
運命 飲み込まれ すべて呪う
ことにも飽き飽きだな
バカが強いる 理不尽を解(ほど)け
出口が光りだす運命の河流れ いま抗え
気付かず生き惚(ほう)けた
過去をみな 紡ぎ縄に変えて
出口に繋ぐまで
「CUBE」に閉じ込められた作品の登場人物のように、地球という球体に閉じ込められ、地獄のような世の中を生かされている私たち。
《バカが強いる 理不尽を解け》
ここでも直接的な言葉で、星野さんの想いが綴られています。
邪魔をする奴は音楽で殴り飛ばして、過去は出口にきっと繋がっているんだと信じて、この運命に抗うしかないんだ、と。
一生の切なさを 笑いながら
踊らせろ
悲しみに座り くつろげるまで僕らいつも果てなきこの愚かさの中
映画の中の世界でも、その外の世の中でも、人間はやはりずっと愚かです。
《僕らいつも果てなきこの愚かさの中》
誰かが誰かを理不尽に苦しめ続ける果てなき愚かさの中で、短い命を燃やしています。
《一生の切なさを 笑いながら踊らせろ》
ならばいっそ、せめてこの一生を踊るように生きていきたい。
「今回の主題歌に希望は一切こめていない」と星野さんはラジオで語っていましたが、希望がない中での、希望がないなりの生き方をダイレクトな言葉でこの曲は歌っているように感じました。
果てなき愚かさの中でどう生きるのか、愚かな自分たちに一体どんな価値があるのか、改めて考えさせられる楽曲。
【星野源/Cube】
歌詞の意味の解釈でした!
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