サビ2
あなたが望むなら
この胸を射通して
頼りの無い僕もいつか
何者かに成れたなら訳もなく
涙が溢れそうな
夜を埋め尽くす
輝く夢と成る
ここまでの歌詞を読み解いていくと、冒頭で登場したこの歌詞の言わんとすることもわかってきます。
愛の果てにあるのは「夢」。
それが現実になるのか、はたまたただの幻想に終わるのか、正夢なのか逆夢なのかはわかりません。
だけど ”あなた” と愛し合ったその先で何者かに成れたなら、僕らはきっと涙が溢れそうな夜に輝く「夢」になれる。
現実ではない、現実から遠く離れた何かにきっと成れる。
実に常田さんらしい、King Gnuらしい言葉だなと私は感じています。
3番
記憶の海を潜って
愛の欠片を拾って
あなたの中にずっと
眩しい世界をそっと
劇中で主人公の最愛の人は人間として現世にもういないわけで、新しく思い出が作り出されることはありません。
《記憶の海を潜って 愛の欠片を拾って》
だからこの部分の歌詞は、思い出を拾い集める形になっています。
この愛が例え呪いのように
じんわりとじんわりと
この身体蝕んだとしても心の奥底から
あなたが溢れ出して
求め合って重なり合う
その先で僕ら夢と成れ
「愛ほど歪んだ呪いはない」
劇中で登場人物である五条悟はそう語っています。
その言葉通り、二人の関係はまさに愛による呪いであり、これによって主人公・乙骨の人生はめちゃくちゃに狂わされるし、大きすぎる戦いに巻き込まれることにもつながっていきます。
映画の物語から離れて考えたとしても、人はいつの世も愛に踊らされ愛のために生きるわけであって、「愛は呪いである」という表現も全く間違いではないでしょう。
いつになっても人は愛を叫んでいるし、失った愛をいつまでも追い求めているし。
でもそれでいい。
心の奥底から求め合って重なり合って、その先で僕ら「夢」となれ。
例えそれが呪いだとしても。
物語に寄り添って、King Gnuはそう歌い切ってみせます。
ラストサビ
あなたが望むなら
この胸を射通して
頼りの無い僕もいつか
何者かに成れたなら訳もなく
涙が溢れそうな
夜を埋め尽くす
輝く夢と成る正夢でも、逆夢だとしても
《訳もなく 涙が溢れそうな 夜を埋め尽くす 輝く夢と成る》
「正夢でも、逆夢だとしても」
残念ながら、というべきか否かは映画を見た方の感想次第ですが、映画では二人の夢は現実にはなりません。
永遠に現世で、あるいは今すぐに死後の世界で、二人でいることは叶いませんでした。
だけど、じゃあそれがバッドエンドなのかと言われれば絶対にそうではないでしょう。
二人の愛は、現実にはならない「夢」になった。
常田さんは『呪術廻戦 0』の物語をそう解釈して、楽曲のタイトルを「逆夢」としたのではないでしょうか。
愛し合って、生きる意味を見つけて、その先で僕らはきっと「夢」となる。
愛のその先にあるものを歌ったバラードナンバー。
【King Gnu/逆夢】
歌詞の意味の解釈でした!
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コメント
正直、俺の思っていた歌詞の意味とは少し違っていたので驚きました。
俺が思ったのは、「乙骨&里香」を表すだけでなく「五条&夏油」も表しているってことです。例えば、この一文を読めば如実に表されていると思います「失くせやしない記憶の雨が古傷へと沁み渡ろうとも」など。記憶の雨は、過去の五条と夏油を表している気がしました。それに、「当たり前のように隣りにいると」も、五条は夏油をずっと隣にいると思っていたと思っていたんだと思います。
「あの日重ねた手と手」は、里香が乙骨に指輪をわたした時のぬくもりかな、と個人的には思いました。里香が死ぬ少し前の温もりが今も少しだけ残っているのかな、と。
最後には、「愛と憎をしかと繋ぎ合わせ」も、夏油の非術師へ対する慈しみ「愛」と、猿だと見下す心「憎」を表していて、一生かける荒んだ夢となったのではないかな、と。
お門違いでしたらすみません。
最近この楽曲をフルで何度も耳にする機会があり、曲と歌詞の美しさの虜になりました。映画をまだ見ていないのですが、愛する人を亡くした人がそれでも生涯をかけて純愛を貫こうとしていることは痛いほど伝わってきます。歌詞のもつ深い意味をもっと知りたいと思い、こちらを拝読いたしました。
現実で取り返しがつかないとしても、現実はいつか終わる。夢になることができれば、闇を照らすことも、失ったはずのものを現実が終わったその先で、輝く永遠のものにできるかもしれない。いつかその時を迎えるために今を無駄にせず生きていこう…。
何気なく聴いただけで心の奥深いところまで沁み込んでくるような曲ですが、解説していただくことにより何倍もの力で心を揺さぶられました。
ありがとうございます。