2番
いまに枯れる花が 最後に僕へと語りかけた
「姿見えなくとも 遥か先で見守っている」とそうだ 君は打ちひしがれて 削れていく心根
物語の始まりは
微かな寂しさ
米津さんにとっての「ウルトラマン」、子供たちにとっての「パプリカ」。
時間と共に忘れられていく幼き日の情景を、ここでは《いまに枯れる花》《君は打ちひしがれて 削れていく心根》という言葉で表現しています。
だけどインタビューの中で米津さんが語っていたように、忘れてしまったとしてもそれらは人生の中から消えてしまうわけではありません。
もはや自分の人生の一部として、人間性の土台として、自分の中で光を放ち続けるもの。
忘れてしまっても尚、新しい何かを生み出していくもの。
「姿見えなくとも 遥か先で見守っている」とい言葉はそういった意味合いであるような気がしています。
サビ2
君の手が触れた それは引き合う孤独の力なら
誰がどうして奪えるものか
求めあえる 命果てるまで
《それは引き合う孤独の力なら》
この歌詞は、実は詩人・谷川俊太郎の作品「二十億光年の孤独」からの引用となっています。
人類は広大な宇宙に広がる孤独の中で、ときどき別の星に仲間がいて欲しい、なんてことを思ったりするもの。
それは全く仕方のないことで、宇宙空間で物体どうしが互いにひきつけ合う「万有引力」とは「ひき合う孤独の力である」。そう綴った谷川俊太郎の代表作として知られています。
短い詩ですので詳しい内容はリンク先でご確認ください。
人間は孤独を嫌い、否が応でも他者を求めようとしてしまいます。
しかし万有引力が全ての物体間でごく当たり前に働いているように、生命体が他の何かと惹かれ合うのは仕方のない事。
そうであるならば、その普遍的で恒久的な力を前に誰がそれを止められるものか。
ウルトラマンと人間がひかれあうことも、人生の中で様々な人間や作品と出会い、それが人生を形作っていくことも、一体誰がどうしてその体験を奪うことができるだろうか。
《求めあえる 命果てるまで》
天文学的なスケールの中で、人間の営みの正当性を認め、高らかに讃えてみせた壮大な歌詞となっています。
3番
輝く星は言う 木の葉の向こうから
君はただ見つめる 未来を想いながら
僕らは進む 何も知らずに彼方のほうへ
ここでの「君」はウルトラマンを、「僕ら」は米津さんを含めた私たち人間を指しているように思います。
《君はただ見つめる》
幼き日に見た美しきヒーローの姿は、思い出の奥底で僕らをずっと見守っています。私たちがそれを忘れてしまっても、人生の一部として、そこでずっと。
「僕ら」は時にそれを忘れ、時にそれを懐かしみ、ふいに憧れを抱きながら、何も知らず人生の彼方先を目指して進んでいきます。
ラストサビ
君が望むなら それは強く応えてくれるのだ
今は全てに恐れるな
痛みを知る ただ一人であれ微かに笑え あの星のように
痛みを知る ただ一人であれ
ウルトラマンの姿について、米津さんは「孤独な戦いを強いられて尚、強く優しく人間を慈しむ心を忘れないっていうのは、ただただひたすら美しい」と語っていました。
ウルトラマンを鼓舞する視点もありながら、思い出の中で輝いて見えるその美しい姿を賛美するようにもみえてくる今回の楽曲。
《君が望むなら それは強く応えてくれるのだ》
《微かに笑え あの星のように》
米津さんの記憶の中の超然としたウルトラマンの姿を鮮やかに描き出した、「シン・ウルトラマン」主題歌としてこれ以上ない楽曲であるように感じました。
【米津玄師/M八七】
歌詞の意味の解釈でした!
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